一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

明治のダイナミズム

2010-02-24 | よしなしごと
昨日紹介した『線路を楽しむ鉄道学』のなかで、鉄道の路線名の由来に触れているところがあります。

「東横線」(東京-横浜)「京阪」(京都-大阪)電気鉄道など起点と終点からとった名称や「羽越」(羽後-越後)本線のように旧国名をとったものが多いのですが、中には当初の計画が途中で頓挫して看板倒れになった路線名もあり、その一つが東武東上線。
もとは東京と上州(群馬県)渋川を結ぶ遠大な計画だったそうです。(現在は埼玉県の寄居止まりになっている)

これに限らず、明治時代にはいろんな地方有力者が鉄道を計画しながらも、資金不足で途中で挫折したり、合併などで路線を延ばしたりと盛んに鉄道投資が行われていたようです。
 (Wikipediaの東武東上本線の「経緯」項など参照)
  

現在の日本では景気の悪化に伴い起業家精神の衰えが憂慮されていますが、明治の頃の方が資本のダイナミズムを感じます。

これは、富が財閥や豪商に集中していて、しかもそれらの会社は株式公開をしていないオーナー企業が多く意思決定が速かったといういわば途上国のダイナミズムなので、現在とは違うのかもしれませんが、そうだとしたらなおさら、中国に抜かれるとはいえ依然GDP世界第3位で個人金融資産1400兆円もの蓄積がある現在において、それにふさわしい資金循環のしくみができているのか、ということを改めて考えさせられます。


と、ここまで書いて思ったのは、明治と現代の違いは富の分布の状態でなく、富の蓄積の仕方にあるのではないかということ。

明治の豪商とか財閥は、明治維新以後にリスクを取って成功した(下世話に言えば「一発当てた」)人なので、新規事業への投資も抵抗感がなかったのではないでしょうか。そもそも明治時代は国自体が日清・日露戦争という国運を賭けた勝負をしていたくらいなので「安全確実な資産運用」などなかったのでしょうし。

一方現在では、個人金融資産はおそらくその大半はまじめにコツコツ働いたサラリーマンの貯蓄だったりするので、そもそもそれを増やすためにリスクを取るというマインドもなく、その代わり高度成長期までは安全確実で高金利の預貯金もあったわけで、そういう風に「しつけられた」お金がいきなり事業資金への投資に向かうことは普通は考えにくいと思います。

こんななかで強引に個人の資金を投資に振り向けようとすると、「皆がやってるから」という殺し文句や、一獲千金の話で資金を取り込むことが主目的のような商売が横行してしまうという副作用が出てきて、それを取り締まろうと金融商品取引法などがより細かくなって、まともな投資商品も「目黒のさんま」状態になってしまう、という悪循環になってしまっているように思います。


個人的には漠然と、「コツコツ型」の個人金融資産はこれからも投資に回らないし、無理に回しても「金融仲介機能」の金融機関に体よくテラ銭を取られて終わりという展開になりそうなので(一般市民がこぞって投資に回って預貯金を引き上げた途端国債が・・・という話は置くとしても)、お金を回すとしたら明治同様一発当てたお金持ちにリスクマネーの供給元になってもらう方がいいんじゃないかと思ってます。

なので、最近話題になっている所得税の上限税率上げはそれこそ所得が表に出るのを妨げる方に働くので逆効果で、どうせするなら所得税率を下げて一定額以上の預貯金に税金をかけるとか、税率を上げるにしてもリスクマネーに回した分は控除や課税の繰延ができるなどのほうが効果があるのではないかと思ってます(後者はマネー・ロンダリングに使われないようにする工夫が必要でしょうが)。 

格差を問題にするのはいいのですが問題は格差を固定化するところにあるのであって、浮き沈みのダイナミズムを作って、金持ちには気持ちよく金を使わせた方が得ではないかと。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『線路を楽しむ鉄道学』 | トップ | 『恋愛小説家』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

よしなしごと」カテゴリの最新記事