昨日のエントリのつづきで、じゃあなんで僕はブログをやってるんだ、ということをもう少し考えてみました。
ちょうどイトイさんに聞く「Web2.0」(その3)の耳の痛い指摘があります。
一部のブロガーさんは熱心だし、本当に頭がいいですよね。伝えることもあるし。僕はただただ、凄いなぁと尊敬して見ているんです。でも、そんな人ばかりじゃない。ブログを書くためにせっせと集めている情報って、一体その人個人にとって本当に必要な知識なのかなぁって、思うんです。否定しているわけではなくてね、そのエネルギーで、結局、何をするのか、という部分が見えにくいんですよね。
そのエネルギーで結局何をするのか?
最初にこのブログを始めたときは、僕は忘れっぽいので旅行や読書の感想とか、これとこれは実はつながってるよねというような思い付きを日記代わりに書こうと思ってました。
そのあと、コメントをいただくようになって、あらためて普段「立ち止まってちょっと考えてみる」ということをやってないよなと自覚をして、ちょっと考えてみて文章にしてみようという風になりました。
これはけっこう勉強にもなったのですが、<使う時間=話題の幅×考える深度>という限界があるので、よほどはまるネタがない限り「広く、ちょこっと深く」というのが多くなってます。
もうひとつの理由としては、深く考えたつもりでも文章にするとまとめ方が定型化してしまうという自分の欠点があります。
これは仕事で「簡潔、明瞭、定型化」の説明資料を長い間作っている悪影響ではないかと(そのせいにしておこう)。
結局組織で動いていると、市場分析だとかリスク要因だとかコンプライアンスだとかCSRだとかいろんなことに配慮しなければならなくて、結局「目黒の秋刀魚」になっちゃうんですよね。
そうすると「これをやりたい」にたどり着くまでのアイデアの当初の勢いとか方法の取捨選択に悩んだ過程とかそのへんのダイナミズムが失われてしまいがちになるわけです。
上の記事で糸井さんはこういってますが、これは非上場のオーナー社長ならではの醍醐味ですよね。
考えてみると、僕は本職の仕事をする時にはちゃんとやっているんです。周囲の人に「あの件は考えなくてもいいの?」と言われても、「いや、考えなくてもいい」って、どんどん決めてやっているんです。それでもなんにも問題はないんですよ。
で、仕事外のブログネタでは、そのへんの勢いやドロドロ・グルグルしたところを思考過程の全体の雰囲気を生かしたままそのままうまく言葉にできればいいんですが、そこまでの筆力がないので結局論理的な整合性をつけたり留保をつけたりする「目黒の秋刀魚」になってしまうわけです。
そうでなければTwitterのように、切り口だけ提示して思わせぶりをするとか。(Twitterでの議論を見ていると、140字の制限のために考えの「核」のところだけしか書けないので、「お前の反論はそもそもよくわかってない」「そんなことはいってなかっただろう」というようなすれ違いになりがちですね。)
まあ、そんなことを考えながら、日々是精進でございます。
(って、またまとまりがないしw)
そして、私はその最たる存在なので、「切り口だけ提示して思わせぶりをするとか」は、グサリと突き刺さり、冷や汗が出ました…(^^;
でも、心地が良いんですよね。私のレベルでも、発言は出来る。無意味で無力で無価値なんでしょうけど、続けられるだけで、少なくとも私には価値が有る。自己のレベルを考え、自粛を考えるが止める事が出来ない。
いやぁ(ため息)、反省しました。ありがとうございます。
このエントリはホント独り言なので(汗)
文章はただ書けば上達すると言うものではないな、文章にすべき中身が大事だよなというのを改めて思った次第で。
ただTwitterのように(ブログでもそうですが)書いているところから考えが発展すると言うところもありますから、そのいみでは本当に「つぶやき」であって、つぶやきの相手先がない限り他人は「とがめだてモード」になってはいけないのでしょうね。
自意識過剰なオッサンって、気持ち悪いですよね(^^;まぁ、私はそれに当てはまっているので、そう思われても抵抗する気は有りませんが…
ただ、go2cさんのブログは、いい歳をしたオッサンなのに、未熟者で何者にも成りえていない私の心の琴線に響きまくるので、ついついコメントしてしまいました。