今回のワールドカップ予選ではギリシャ、スペインの初戦の敗北は財政問題とからめてネタにされましたが、イングランド、フランス、ドイツが苦戦する中で、旧アフリカ植民地の宗主国にからめた話題が出てくるかもしれないと思う今日この頃です。
ところで、昨日の1900年つながりで言うと、南アフリカでオランダ系白人のボーア人(アフリカーナー)の共和国がイギリス軍に敗れたのがちょうど1900年になります。
もともと17世紀頃から南アフリカに入植していたオランダ系住民の子孫のボーア人は、19世紀に入ってイギリスのケープ占領とオランダの植民地譲渡により、内陸部へ異動し、そこで(原住民を排斥して)新たな共和国を作りますが、そこで金とダイヤモンドが産出されたことでイギリス系人が大挙して押し寄せ、イギリスが自国民の保護を大義名分にボーア人の共和国を併合しようとし、これが1880年の第一次、1899年の第二次ボーア戦争につながります。
このボーア戦争でイギリスは大量の人員・物資を割かれたので、満州に影響力を強めるロシア帝国に対抗することが日英同盟締結するきっかけになったと言われ、その意味では日本も縁がないわけではありません。
(以上詳細はWikipedia参照)
また、この話は、現代ではアメリカにおけるイラク・アフガニスタンであり、アジア地域の安全保障に通じるものもありますね。
もっとも110年前とはプレイヤーも勢力関係も変わっているので、その中で日本がどのように振舞うべきかが問われているわけですが。
ところで、昨日の1900年つながりで言うと、南アフリカでオランダ系白人のボーア人(アフリカーナー)の共和国がイギリス軍に敗れたのがちょうど1900年になります。
もともと17世紀頃から南アフリカに入植していたオランダ系住民の子孫のボーア人は、19世紀に入ってイギリスのケープ占領とオランダの植民地譲渡により、内陸部へ異動し、そこで(原住民を排斥して)新たな共和国を作りますが、そこで金とダイヤモンドが産出されたことでイギリス系人が大挙して押し寄せ、イギリスが自国民の保護を大義名分にボーア人の共和国を併合しようとし、これが1880年の第一次、1899年の第二次ボーア戦争につながります。
このボーア戦争でイギリスは大量の人員・物資を割かれたので、満州に影響力を強めるロシア帝国に対抗することが日英同盟締結するきっかけになったと言われ、その意味では日本も縁がないわけではありません。
(以上詳細はWikipedia参照)
また、この話は、現代ではアメリカにおけるイラク・アフガニスタンであり、アジア地域の安全保障に通じるものもありますね。
もっとも110年前とはプレイヤーも勢力関係も変わっているので、その中で日本がどのように振舞うべきかが問われているわけですが。