最近めっきり聞かなくなった「根性」という言葉です。
それでも「スポ根」はまだ聞き覚えがあるのでは。
ひたすら苦難に耐えて勝利を目指すのが「スポ根」の神髄。
ただ戦後かなり経ってからのスポ根より、戦中からの昭和の「根性」の用例を見てみよう。
こちらの方がオリジナル(?)でしょう。
例えばシベリア抑留を生き延びたり、フィリピンの激戦地で生き残った人は、軍隊経験世代からすればあいつは「根性がある」となる。
ただどちらも強烈な意志が必要だが輝かしい勝利や業績とは言いにくい。
となると根性のありがたみ、結果をあげる能力よりよりもプロセスにおける意志の強さで、たとえ結果がでなくても強みとしての根性が後まで残ることにあるようです。
そしてこれまた都合のいいことに軍隊の上官やスポーツの指導者は結果に対して責任を逃れられる。
変な形でウィンウィンになれる点で「根性」、ある意味便利ではありました。
しかし根性を養える環境、今風に言えばもろにパワハラブラックと重なりその生態系、かなり消滅しているようです。
最近まで残っていたスポーツにしても、根性のない選手より無能な監督が非難される時代になりました。
根性、この先サテどうなるのか?
それでも「スポ根」はまだ聞き覚えがあるのでは。
ひたすら苦難に耐えて勝利を目指すのが「スポ根」の神髄。
ただ戦後かなり経ってからのスポ根より、戦中からの昭和の「根性」の用例を見てみよう。
こちらの方がオリジナル(?)でしょう。
例えばシベリア抑留を生き延びたり、フィリピンの激戦地で生き残った人は、軍隊経験世代からすればあいつは「根性がある」となる。
ただどちらも強烈な意志が必要だが輝かしい勝利や業績とは言いにくい。
となると根性のありがたみ、結果をあげる能力よりよりもプロセスにおける意志の強さで、たとえ結果がでなくても強みとしての根性が後まで残ることにあるようです。
そしてこれまた都合のいいことに軍隊の上官やスポーツの指導者は結果に対して責任を逃れられる。
変な形でウィンウィンになれる点で「根性」、ある意味便利ではありました。
しかし根性を養える環境、今風に言えばもろにパワハラブラックと重なりその生態系、かなり消滅しているようです。
最近まで残っていたスポーツにしても、根性のない選手より無能な監督が非難される時代になりました。
根性、この先サテどうなるのか?