初冬のミカンと言えば温州ミカンですが、温州に続いて夏ミカン色づいてきています。
秋からジワジワと色づいているが、その時期は温州ミカンやユズの派手な色に隠れて目につきにくいのかも。
そしてそろそろ食べ頃ですが、不思議なのは「夏ミカン」という名前。
品種にもよるでしょうけれど晩冬ミカンでも春ミカンでもいいのでは?
初冬のミカンと言えば温州ミカンですが、温州に続いて夏ミカン色づいてきています。
秋からジワジワと色づいているが、その時期は温州ミカンやユズの派手な色に隠れて目につきにくいのかも。
そしてそろそろ食べ頃ですが、不思議なのは「夏ミカン」という名前。
品種にもよるでしょうけれど晩冬ミカンでも春ミカンでもいいのでは?
クラシックコンサートでは客同士のトラブルが結構あるそうです。
最近の「熱演」では数年前にサントリーホールで殴り合いがあったとか。
これはネットでも取り上げられ「いいパンチ入った」とか「まるでプロレス興行」とか活況でした。
ならばオーケストラも戦いのミュージックでも演奏して盛り上げればよかったのにと思ったりします。
そしてこうしたトラブルで思い浮かぶのは、トルストイの『クロイツェルソナタ』の次の一節:
「音楽は自分を忘れさせ、自分の位置を忘れさせます。…人は音楽の力に釣られて、じっさい自分の感じないことを感じ、自分の理解しないことを理解し、自分の出来ないことも出来るような気がするのです。」
しかし音楽が「行為をもって表現されないエネルギイや感情を、やたらに時と場所を考えずに呼びさましたら、それは恐るべき反応を示さないではおきません。」
確かに隣の客が狭い客席にいる「自分を忘れ」「恐るべき反応」を示しでもしたら、たまったものではない。
それではこうしたトラブルを避けるにはどうすればいいか、それに触れれば長くなるので今日はここでオシマイ。
助けないといけないと分かっていても、どうしてもあんなヤツは助ける気になれないというのがいます。
保守層にとって今のフジテレビがそれ。
フジテレビFNNは産経の保守系ニュースを流すことで、テレビと新聞しか見ない層にも保守情報を提供している役割は保守の人なら十分承知しているでしょう。
しかし政治番組やニュース以外でやっていることがひど過ぎ。
それがあってか、「保守系のテレビニュースは守らなければ」といった声はあまり聞きませんでした。
業種や問題はまったく異なるが似たようなので思い出すのが原発事故に遭った東電。
本来なら電力需要者の産業界が「それでも日本に原発は必要」と東電支援の声をただちにあげてもよさそうなのにあまり聞こえませんでした。
となると大事なのはやはり日頃の行いとお付き合いとなりそうですが、サテどうか?
※なおこの記事は文春の「誤報」露呈の前に書いたので、フジテレビについては評価が変わるかもしれません。