褒めまくる映画伝道師のブログ

映画の記事がメイン。自己基準で良かった映画ばかり紹介します。とにかく褒めることがコンセプトです。

映画 いつか晴れた日に(1995) ジェイン・オースティン女史の原作

2025年01月03日 | 映画(あ行)
 大ドンデン返しのサスペンス映画というのはよく観るが、大ドンデン返しの恋愛模様を描いたのが今回紹介するいつか晴れた日に。19世紀初めのイギリス社会を鋭く描いた小説家であるジェイン・オースティン女史による分別と多感を原作とする映画化作品が今回紹介するいつか晴れた日に。19世紀初頭のイギリス、女性達の自由に恋愛することの困難さが描かれている。愛情よりもカネの方が上位に来るというパワーバランスがイギリスの女性を大いに苦しめるのだ。

 さて、二人の姉妹が貧乏に陥りながらも愛情を欲するストーリーの紹介を。
 貴族のダッシュウッド(トム・ウィルキンソン)が亡くなり、遺言で前妻の息子ジョン(ジェームズ・フリート)に住んでいたノーランドの屋敷を与える代わりに、遺産の500ポンドしか後妻のダッシュウッド夫人、その長女エリノア(エマ・トンプソン)、次女マリアンヌ(ケイト・ウィンスレット)、三女のマーガレット達には遺せないが、彼女たちの面倒を全力で見てやってくれと言い残して死亡する。
 しかし、ジョンとその妻のファニー(ハリエット・ウォルター)は、そんな遺言は無視。2人は早速に屋敷に乗り込んできて母娘4人を追い出しにかかる。そしてファニーは弟のエドワード(ヒュー・グラント)も加勢させるのだが、エリノアとエドワードは恋愛関係になってしまう。
 安い新居を探していたダッシュウッド母娘4人はミルトン卿(ロバート・ハーディ)の世話のおかげで、バートン・コテージへ移り住む。しかしながらエドワードとエリノアの仲を裂きたいファニーの計略もありエドワードはロンドンへ帰される。
 貧乏ながらなんとかやり繰りしていたダッシュウッド母娘の前に中年のブランドン大佐(アラン・リックマン)がやって来る。ブランドン大佐はマリアンヌに一目惚れするのだが、ある時マリアンヌは足首を怪我してしまった時に、通りすがりの若者ジョン・ウィロビー(クレッグ・ワイズ)に助けられる。マリアンヌはジョン・ウィロビーに恋心を抱き、彼らも恋愛関係になる。しかし、ジョン・ウィロビーは重大な用事でロンドンへ行くことになってしまい・・・

 原題の分別と多感の意味するところは、分別は冷静な長女であるエリノアのこと、多感は何事にも熱くなってしまう次女のマリアンヌのことを表している。この時代の英国は、女性は働くことが許されていない。貴族の夫が死んでしまい男の兄弟もいないダッシュウッド母娘4人にはこの先が金銭的に思いやられるだけに、ダッシュウッド夫人が娘たちが早く結婚してほしいと思う気持ちが半端なく伝わる。
 しかし、この姉妹たちは男運が悪すぎるのか、彼女たちが愛した男性はエドワードにしろ、ジョン・ウィロビーも最初の見た目は善人なのだが、実は訳あり。次女のマリアンヌはジョン・ウィロビーと結婚できないことを理解してしまうとショックのあまり死んでしまいそうになるぐらい。冷静な長女のエリノアにしても律儀な性格ゆえ自らを苦しめ、エドワードが他の人と結婚してしまうと聞いた時にはショックで泣き叫ぶ。長女と次女の婚活はもろくもカネの力や男の思わせぶりな行動によって吹っ飛ばされる様子が切ない。
 しかし、ファニーという女性の悪さが凄い。自分の弟で三兄弟の長男に当たるエドワードに言い寄る女性達(エレノアも含めて)は排除していく。男兄弟でも長男の価値は英国のこの時代は相当高いことが理解できる。
 さらに酷いのがジョン・ウィロビー。もうこれはクズ過ぎて説明できない。こんな男のためにマリアンヌが命を落としてしまったら、この世の中には神様が居ないことが決定的になってしまう。このまま、この姉妹は泣き寝入りしてしまうのか、と思わしておいて最後は意外過ぎる結末が待っている。当たり障りのない邦題がラストに効いてくる。
 恋愛の障害が高ければ高いほど面白くなるというのはイギリスを舞台にした映画のド定番。本作もその例に漏れないし、豪華キャスト陣が右往左往を繰り広げるのが楽しい。イギリス文学が好きな人やイギリス文学の映画化作品が好きな人にはいつか晴れた日にを自信を持ってお勧めしよう

 監督は台湾人のアン・リー。アジア人の中で最もハリウッドで成功している人物と言えるだろう。台湾時代の作品で恋人たちの食卓、エロエロ映画のラスト、コーション、アクション映画グリーンディスティニー、驚異の映像が見れるライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日ジェミニマンをお勧めに挙げておこう


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映画 七人の侍(1954) 娯楽時代劇に収まらない映画

2025年01月02日 | 映画(さ行)
 日本というよりも世界映画史に燦燦と輝く映画が今回紹介する七人の侍。その凄さはハリウッド映画が本作のリメイクとして荒野の七人という映画を撮るなど現在に至り影響を与え続けていることでわかる。俺が本作を初めて見たのは30年以上前になるが、その時まで日本映画に見向きもしなかったのに本作を観て衝撃を受けた。ハリウッドの大作よりもダイナミックさで優っているではないか。この映画の面白さはクライマックスのアクションシーンは勿論だが、巧みなストーリー展開と単なる勧善懲悪で済まされない奥の深さ。今まで何回か観ているがその度に新しい発見がある。

 黒澤明監督ってストーリーテラーだったんだと、思い知らされるストーリーの紹介を。
 戦国時代の農村において。そこは米の収穫が終わると野盗と化した野武士に襲われ、米だけでなく女も連れ去られたりしていた。村の人々は今年もこのままでは野武士に襲われることを恐れて、村を守るための侍探しに出る。しかし、飯を食わせるだけという条件では、なかなか侍を雇うことは困難だった。ある日のこと浪人風情ではあるが知力を備えた勘兵衛(志村喬)を雇うことに成功する。そして、勘兵衛の素晴らしい人柄のおかげもあり七人の侍を雇うことに成功。七人の侍と農民たちは一致協力して襲ってくる野武士たちと激闘を繰り広げるのだが・・・

 前半の侍を雇うシーンからして楽しめる。当時の侍達は浪人と言っても野心があり、中には一国一城の主になることを諦めてない侍もいる。しかも、侍の中には農民を馬鹿にしている奴も居たりする。米だけを食わすという条件がどれだけ割に合わないかということが巧みに説明されているために侍探しの絶望感が伝わってくる。しかし、侍の中にも百姓の辛さを知っている者がいた。
 そして、雇われる七人の侍が非常に個性的。知力とリーダーシップを持ち合わせている勘兵衛(志村喬)、ニヒルでクールな剣豪である久蔵(宮口精二)、ちょっと怖そうだが馴れ馴れしい面も持ち合わせている菊千代(三船敏郎)と名乗る男など。菊千代が侍の格好をしているのだが、実は百姓上がりだったことがバレるのだが、そのことが悲劇性をもたらすストーリーも胸をうつ。
 七人の侍たちが農村に初めて来たときの。農民たちの態度に驚く。農民たち全員が侍たちが来ることを歓迎していないのだ。農民たちの中には侍の中には野盗のような奴が居ることに警戒感を隠せないでいる。そして、百姓の方でも落ち武者狩りをしているのに、侍たちも嫌な気分を持っている。彼らは最初から一体感になれていないし、百姓の中にも自己中なのが居たりでまとまったいない。そんな百姓たちを訓練していくシーンも興味深く見れる。
 そして、野武士が襲ってきたときの農民達の描き方にも興味が惹かれる。威勢よく馬に乗ってやって来る野武士にビビッて逃げる農民もいるが、そんな奴に限って馬から落ちた野武士に対しては一斉に鍬などの農具で滅多打ちにしているシーンが出てきたりする。寄って高って弱い者いじめする卑屈な社会を感じさせる。
 クライマックスのアクションシーンもリアル志向で興味深い。雨が降り出し、泥だらけの戦場と化すが、泥に足を取られるシーンがあったり、また刀をたくさん用意しておいて1人切ったら刀を取り換えるシーンが出てくる。よく時代劇で1本の刀で大勢の敵を斬りまくるシーンがあるが、あんなのは嘘。本当はよく斬れて2人ぐらいまで。このような本物にこだわった演出は好感が持てた。何と言っても全身全霊で戦っているように思えるのが良い。これで超人ハルクみたいな奴が登場して1人でバッタバッタとなぎ倒していくシーンなんか見せられたら興ざめしてしまう。
 そして激闘が終わって、ラストシーンが印象に残る。まるで今までの戦いが嘘だったように農民たちが楽しそうに田植えをしている。その姿と犠牲になった侍たちをオーバーラップさせて、勘兵衛(志村喬)が吐く台詞が、『勝ったのは、あの百姓たちだ』。結局のところ、農民達にとって自分たちのために死んでいった侍たちのことなんか眼中に無い。単なるハッピーエンドではない憐れみを感じさせられる終わり方が余韻に残る。
 それから意外にもギャグがいけてるので笑えるシーンもある。特に三船敏郎は大いに笑わせる。他にも野武士が襲ってくるのに対する事前準備が緻密に練られていくシーンも流石は黒澤明監督。本当に色々と丁寧に作られていることを実感できる。そのおかげで3時間半の長時間になってしまったのが辛い人には辛いが個人的にはそれほど苦にならなかった。それ以上に問題なのが昔の日本映画にありがちであるように台詞が聞き取りにくいこと。たくさんの名台詞があったように思うので、聞き逃している名台詞がありそうなのが残念。日本語の映画だが字幕付きがあれば、それを利用した方が良いとアドバイスをしておこう。他にも褒め忘れていることがあったように思うが、日本が誇る世界的名作映画を観ないでどうする⁈ということで今回は七人の侍をお勧めに挙げておこう

 監督は黒澤明監督。本当にお勧め多数。本作と同じ時代劇なら用心棒隠し砦の三悪人ヒューマニズムを謳いあげた作品として生きる赤ひげ、社会派サスペンス映画として天国と地獄をお勧めに挙げておこう








 

 

 
  
 



 
 
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映画 ライムライト(1952) 生きる希望があふれてきます

2025年01月01日 | 映画(ら行)
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 映画史において最も偉大な映像作家といえば喜劇王とも称されるチャールズ・チャップリンが挙げられるだろう。サイレント時代を経て、トーキーに時代が変わっても名作を作り続けた。彼の作品には社会や政治的メッセージをテーマにぶっこんでくる時があるが、今回紹介するライムライトは純粋なヒューマンドラマだ。もう本作の頃になるとチャップリンも60歳を超えている年齢であり、晩年の作品に当たるだけに、彼の心情が吐露されているように感じる。そして、チャップリンと言えば、ちょび髭、山高帽にステッキを持ち歩いているイメージがあるが、そんな出で立ちを本作では封印している。

 老境に差し掛かったチャップリン演じる主人公と若きバレリーナとの交流を描いたストーリーの紹介を。
 今ではすっかり落ちぶれてしまったコメディアンのカルヴェロ(チャールズ・チャップリン)は、同じアパートに住む若き女性テリー(クレア・ブルーム)が自殺しようとしているのを助ける。バレエの踊り子をしていたテリーだが、すっかり人生に希望を見出せなくなっていて、足も麻痺して立ち上がれないでいた。
 しかし、カルヴェロはそんな彼女を励まし続け、ついに彼女は自力で立ち上がれるようになる。そして、テリーは順調にバレリーナとして成功するのだが、相変わらずカルヴェロは舞台に立ってもスベリっぱなし。逆にカルヴェロがテリーから励まされるようになり・・・

 アパートの家賃が払えなくて、持っている物を質に入れてしまうほど困窮してしまっているチャップリン演じるカルヴェロが、希望を失っているテリーを励ます言葉が名言の連発。一瞬、お前が言うな!とツッコミそうになったが、落ちぶれている奴が言うからこそ説得力がある。そして、テリーが立ち上がるシーンはクライマックスが来たのかと思えるほどの感動もの。またテリーが踊らなければならない時に、『やっぱり私、踊れないわ~』と弱音を吐くシーンがあるが、カルヴェロがテリーにビンタを喰らわさせて踊れるようにする。そんなシーンを見て、人間には勇気が大切だと感じさせられた。いくら今の時代だからと言って、あのシーンはパワハラだと言って本作を貶めるような奴は居ないだろう。
 テリーは若くて将来が有望な作曲家から告白されるが、それでも落ちぶれているカルヴェロと結婚したがる純粋さには泣けてくるし、これこそ本当の愛だなと感じさせる。そして、そのことに対してカルヴェロも男のプライドを見せる展開は熱いものが込み上げてくる。カルヴェロがあのままテリーに甘えてしまう展開になっていたら何の感動も得られないだろう。
 そして、本当のクライマックスはチャールズ・チャップリンバスター・キートンの共演シーン。映画がサイレントだった頃、この2人はまさにライバル関係にあったのだ。バスター・キートンの映画も何本か観ているが、ガチのアクションシーンを見ることができる。それにしても当時の人たちは、この2人の共演をどのように感じていたのだろうかと思いを馳せてしまう。そして、チャップリンは作曲も本作では担当しているのだが、冒頭と最後に流れてくるがこれが名曲過ぎて感動する。
 そんなわけで、老いと若さの対比がペーソスを持って描かれるライムライトを年初めの一発目のお勧め映画に挙げておこう

 監督は前述したチャールズ・チャップリン。サイレントでは黄金狂時代街の灯そしてモダン・タイムスがお勧め。トーキーに入ってからは独裁者殺人狂時代がお勧め







 
 
 

 

 



 

 







 

 

 





 
 

 
 
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映画 コントラクト・キラー(1990) 自暴自棄になっている主人公です

2024年12月30日 | 映画(か行)
 俺なんかは、人生やってられね~、なんて思って何もかもが面白くない時がある。競馬の馬券が全く的中しない時なんか毎回そのように思ってしまう。そんな時がずっと続くとストレスが溜まってついつい大食いに走ってしまう。そんな俺と同じく人生が嫌になってしまう主人公を描いたのが今回紹介する映画コントラクト・キラー。しかし、この主人公は俺よりもその度合いが深刻なのだが、その様子を見ていると何故か笑えてしまう。まあ、何か楽しいことが一つでもあれば生きていける。俺だってその週の競馬の馬券が外れても、また来週の競馬を楽しみに生きている。

 さて、誰でも自暴自棄になってしまうことがあるとは思うが、それでも生きていけると思えるストーリーの紹介を。
 フランス人のアンリ(ジャン=ピエール・レオ)はイギリスの水道局で働いている。そんな彼は友達もおらず、しゃべることも殆どない。唯一の趣味は自宅のアパートの屋上で飼っている花に水を与えていることぐらい。ある日のこと、アンリは上司に呼ばれて、解雇を宣告されてしまう。 
 すっかり落ち込んでしまったアンリは首吊りやガス自殺を試みるがなぜか上手くいかない。しかし、彼はコントラクト・キラー(雇われの殺し屋)の存在を知り、その事務所を訪ねて、自らに殺し屋を差し向けるように依頼する。
 アンリは住んでいるアパートの前にある酒場で殺し屋を待っていると、その店でバラを売っているマーガレット(マージー・クラーク)に一目惚れ。恋に落ちたアンリは再び生きる気力を取り戻すのだが、既に殺し屋はアンリに向けられていた・・・

 主人公に起きてる事は、かなり深刻なのと裏腹にかなり笑える。殺されるのを断ろうとして再度コントラクト・キラーの事務所を訪ねるも何時の間にやら壊されていたり、挙句の果てに強盗殺人犯の濡れ衣を着せられて警察からも逃亡する羽目になったりで、生きる気力を取り戻してからも笑える展開が続く。もちろん殺し屋もしつこく追いかけてくる。
 しかし、主人公のアンリを演じるジャン=ピエール・レオ(フランソワ・トリュフォー監督作品の常連の人)だが,終始無表情のままなのがシュールで笑えるし、セリフも主人公だけでなく他の人間も極端に少ないのだが、そのセリフの一つ一つを取ってみても独特の間があり笑わせる。何かと笑わせる展開が続くが、イギリスの階級社会に対して皮肉を効かせているのも見逃せないし、派手さの無いモノトーンな映像も見せるべき点として挙げておこう。
 台詞が少なくて、登場人物達が無表情。そして結構な出来事が起きているのにオフビートな作風、そしてアキ・カウリスマキ監督の作品と聞いて心が躍る人に今回はコントラクト・キラーをお勧めに挙げておこう

 監督は先述したフィンランドの俊英アキ・カウリスマキ。小津安二郎監督のような独特な作風が印象的。敗者三部作といわれる浮き雲過去のない男、そして個人的に大爆笑できたのがレニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ、そしてル・アーヴルの靴みがきなどがお勧め







 
 
 

 
 
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映画 群衆(1941) メディアの暴走の怖さを描く

2024年12月29日 | 映画(か行)
 メディアの役割とは何だろう?最低限として事実を伝えることが挙げられる。しかし、彼らとて視聴率稼ぎや、発行部数の伸びに目が行き過ぎてしまい本来の役割を忘れて暴走することがあるかもしれない。情報を得る手段として今でもテレビや新聞といった媒体を利用することが多い我々だが、そのようなメディアがでっち上げの記事を作り上げてしまうことの恐ろしさを感じることができるのが今回紹介する映画群衆。勝手にヒーローを作り上げて、民衆を扇動する様子が描かれている。そして、メディアを私利私欲に使って権力を握ろうとする人間が現れることの恐怖が本作から知らされる。

 メディアに踊らさせられる個人の悲劇を描いたストーリーの紹介をしよう。
 ある地方の新聞社だが経営陣が一掃され、大量の解雇通告を行っている。その中には女性コラムニストのアン(バーバラ・スタンウィック)の姿もあった。解雇処分に納得できないアンは腹が立った勢いで、ジョン・ドウという人物を勝手にデッチ上げ、ジョン・ドウの署名で『州知事の無策のせいで4年間無職のままであり、その腹いせにクリスマスイブの日に市庁舎の屋上から飛び降り自殺する』という記事を載せる。ところが瞬く間にこの記事が読者の間で反響を呼び、新聞社に我こそはジョン・ドウだと言う浮浪者で溢れかえる。
 そこでアンは一計を案じて、浮浪者の中から元野球選手の投手だったジョン・ウィロビー(ゲイリー・クーパー)をジョン・ドウに仕立て上げ、さらに新聞の売り上げを伸ばそうと画策する・・・

 アンの策戦はまんまと成功して、彼女は解雇を免れただけでなくボーナスも手に入れる。そして、社長のD.B.ノートン(エドワード・アーノルド)の直属の部下としての地位まで手に入れる。前半は本当に嫌な女として描かている。
 そして、ジョン・ウィロビーはジョン・ドウとしてアメリカ全土を回らせられ、アンが書いた原稿を手にして、社会の弱者になってしまった民衆の心に刺さるような講演を行い、各地でジョン・ドウ・クラブができてしまうほどの超人気者になってしまう。勝手にジョン・ドウに仕立てられ、良心の呵責もあり迷惑がっていたのだが、次第に正義感に目覚めていく展開が気持ち良い。
 しかしながら、この運動を利用して国政の場に打って出ようとしているのが社長のD.B.ノートン。その企みに気づいたジョン・ウィロビーだったが、D.B.ノートンに先手を打たれて全米の観客を前にして正体をばらされる。この時にジョン・ウィロビーは一斉に罵声を浴びてしまう。このシーンが大衆心理を表していて恐ろしい。この映画の原題はMeet John Doe(ジョン・ドウに会う)なのだが、邦題を群衆にしている意味が理解できるシーンだ。そして、前述のアンの思い付きの記事の通りにジョン・ウィロビーはクリスマスイブの日に市庁舎の屋上に向かうのだが・・・ここからのネタ晴らしは止めておこう。
 メディアの力によって、一個人がアメリカの英雄として祭り上げられて、邪魔になったらどん底へ引きずり下ろす怖さを思いしらされた。しかしながら、観終わった後に民衆の逞しさを感じることが出来る。ジョン・ドウという架空の人物に、次第に芽生えてくる大義は多数でなくとも少数の人間の心に届いていたのだ。強大なパワーを持ったメディアの力に民衆が打ち克つ瞬間を見ることができる。第二次世界大戦中の映画であるが、今の時代を思うと先見の妙を感じさせる映画だ。社会風刺劇の装いだが、恋愛劇の要素もあり、笑えるシーンもあったり、最後は気持ちの良いところでエンディングを迎える映画ということで今回は群衆をお勧めに挙げておこう

 監督はアメリカの正義と良心を大いなる理想主義で描き続けたフランク・キャプラ。彼の作品は本当に気持ち良くなる。或る夜の出来事素晴らしき哉、人生!オペラ・ハット一日だけの淑女我が家の楽園、彼にしては珍しいサスペンス毒薬と老嬢がお勧め











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映画 ガンジー(1982) インド独立の父の伝記映画

2024年12月27日 | 映画(か行)
 どんな残酷な暴力に対しても徹底的な非暴力を貫き、そして絶対に不服従。そして、大英帝国からインドの独立を勝ち取ったマハトマ・ガンディーの生涯を描いた伝記映画の傑作が今回紹介するガンジー。どれだけのエキストラの人数が参加しているのかと思わさせられる圧倒的な映像と共にガンジーの生き様に感動させられる。
 彼の生き様に影響された有名人物は多い。例えば『I Have a Dream』の演説で有名なアメリカの運動家であるキング牧師、チベット仏教最高の指導者であるダライ・ラマ14世などが挙げられるだろう。俺なんかは、やられたらやり返せ!って直ぐに思ってしまうのだが、本作を観て大いに反省させられた。

 それではインド独立の父とよばれる男のストーリーを紹介しよう。
 1893年のイギリス領南アフリカにおいて弁護士をしていたインド人のガンジー(ベン・キングズレー)は理不尽な人種差別を受ける。そのことが切っ掛けで人種を超えた農園を造成し、人種差別政策を行うイギリス政府に対して抵抗運動を行う。一定の効果を得てガンジーは第一次世界大戦中にインドへ帰る。
 南アフリカでの活動によってインドでも民衆から大きな拍手で迎えられるガンジー。彼は大英帝国からの独立を目指すインド国民会議のネルー(ロシャン・セス)のアドバイスもあり、インドを見回る旅をするのだが、そこでインド国民が圧政に苦しんでいる姿を見てしまい・・・

 実は俺の勉強不足のせいもあり、ガンジーが南アフリカで弁護士活動をしていたことは全く知らなかった。しかし、南アフリカでの出来事(人種差別や不当な暴力)が彼のその後の生きる使命を与えることになる。彼の非暴力を貫く姿がインド人の心にも響き、その非暴力を武器にイギリスと戦う。例えばイギリスから入ってくる衣類の非買運動、ストライキ、イギリス政府から禁止されていた塩の生産、そしてデモ行進を駆使する。そして、ガンジーの凄さを感じるのがそのカリスマ性。ガンジーの一声で先述した抵抗運動がインド人全員を行動に駆り立てるのだ。
 ガンジーが偉いのはインド人がイギリスの憲兵に対して、暴力を振るってしまうことにも嘆き悲しむこと。彼の中にはイギリス人に対しては敵対心はなく、人間全員と仲良くやっていこうという善意であふれている。そしてインド人の暴動に胸を痛めて断食まで行うとは、とにかくストイック過ぎる。また、ガンジーが断食していることを知ったインド人は、暴動を止める。どこまでインド人はガンジーの事を慕っているのか。我が国の元首相には友愛精神を説いていながら、国民からすっかり見放されてしまったのとえらい違いだ。
 しかし、インド全体を複雑化しているのが諸々ある宗教。ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、ユダヤ教・・・。この宗教の争いにはガンジーをもってしても最後まで悩まされる。イギリスからの独立に際してインドとパキスタンに分離されてしまうが、そのことはインド独立後もガンジーを苦しめる。宗教の争いが現代にも続いていることを考えると本当に難しい問題だと痛感する。
 この世の中を見ると圧倒的な暴力の力をもってして他国に戦争を吹っ掛けるのを見掛ける。我が日本も隣の国を見るとならず者国家で囲まれている。そんな状況で日本はどこまでガンジーの信念を取り入れることができるのか?しかし、ガンジーの生き様は現代社会においても少しばかりの光を与えることは確かだろう。
 ガンジーと言えば非暴力の面にスポットが与えられがちだが、理不尽なことに対する不服従の精神の面も忘れてはならない。劣悪な法律が日本に存在したり作られそうになったりするが、そんなものに服従していてはダメだ。選挙に行かない人がいるが、ガンジーの不服従の精神を見習え。日本人にとっても考えさせられる伝記映画であるガンジーを今回はお勧めに挙げておこう

 監督はイギリス人のリチャード・アッテンボロー。イギリス人がマハトマ・ガンディーの伝記を映画化することに興味が湧きます。反戦ミュージカルの傑作素晴らしき戦争遠い夜明けがお勧め










 
 

  
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映画 舞踏会の手帖(1937) ロマンチックなフランス映画

2024年12月26日 | 映画(は行)
 昔、好きだったあの人は今頃はどうしているんだろう?なんて懐かしむ気持ちが時々湧いてくる。しかし、現実を想像するとちょっと怖くなる想いをする映画が今回紹介する舞踏会の手帖。まあ俺みたいに50歳を超えても格好良さとユーモアを維持していれば良いのだが、だいたい俺が想像する50歳超えの男女というのはオッサンにオバハンで期待して会おうとするとショックを受けることが多々ありそうだ。
 本作はめちゃくちゃ古い映画であり、モノクロの映像。しかし、俺に言わせれば1930年代のフランス映画はサイコ~。哀歓を漂わせる雰囲気に引きずりこまれるのは、この時代のフランス映画ならでは。その中でも本作は人生の酸いも甘いも味わった大人の鑑賞にもってこいの作品だ。

 1人の女性に対して豪勢な男性が次々に登場するストーリーの紹介を。
 まだ36歳の年齢にして未亡人になってしまったクリスティーヌ(マリー・ベル)。夫との思い出の品を全部処分しようとしていたら、20年前の16歳で舞踏会デビューした時、自分に甘い言葉で言い寄ってきた男達の名前を記した手帖が出てくる。無駄にしか思えなかった結婚生活を脱して、今までの人生を取り返すために、手帳に載っている男達に片っ端から出会うために旅に出るのだが・・・

 クリスティーヌは7人?の男性と会うのだが、既に死んでいたり、ヤクザに落ちぶれていたり等で、古き良き思い出が幻滅するばかり。1人ぐらいは立派な人間になっていても良さそうなものだが。クリスティーヌに言い寄る男の殆どがロクな目に遭っていないことに笑ってしまいそうになったし、これではクリスティーヌはファムタールの典型に思えてしまう。実はクリスティーヌには自分に言い寄って来た男の中でも、最も気に入っていた男が居るのだが住所不明という設定。このまま会えないのかと思いきや最後の最後に一発逆転のチャンスが訪れるのだが、ネタ晴らしは避けよう。
 ノスタルジックな雰囲気が漂い、ワルツの音楽が優雅な印象を与える。そして、ペーソス溢れるロマンチックな展開が1930年代のフランス映画らしい気品が窺えるし、人生の哀歓が描かれているのが良い。高校生ぐらいでは、この映画の良さが理解できるとは思えないが、まだまだ褒めたりないぐらいの映画舞踏会の手帖を今回はお勧めに挙げておこう

 監督はフランス映画を代表し、多くの傑作を遺したジュリアン・デュヴィヴィエ。ジャン・ギャバン主演の望郷わが青春のマリアンヌ、犯罪映画の殺意の瞬間、コメディの陽気なドン・カミロなどがお勧め





 
 

 
 
 
 
 

 
 
 


 
 
 
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映画 グリーンマイル(1999) 感動する死刑映画 

2024年12月25日 | 映画(か行)
 ハリウッドは死刑をテーマにした映画が多い。その中でも特に名作として誉れ高いのが今回紹介する映画グリーンマイル。人気モダンホラー作家スティーヴン・キング原作の同名タイトル小説の映画化作品だ。ハリウッド映画なんてものはリベラルの代弁者みたいなものだから、死刑制度の映画を撮ると反対を訴えかけるような内容が殆ど。しかし、本作はそのようなありきたりなテーマを描いていない。
 しかも、死刑をテーマにした映画は殆どがガチのリアル志向。しかし、本作は超能力を使う囚人が登場するようなファンタジー映画になっている。

 観た後はそりゃ~誰もが感動するやろ!となるストーリー紹介を。
 1930年代のアメリカ南部の刑務所において。死刑囚を収監する刑務所の看守であるポール(トム・ハンクス)のもとに、双子の少女を強姦殺人した罪でコーフィー(マイケル・クラーク・ダンカン)が送られてくる。コーフィーは黒人で人並外れた巨体であり、最初は看守たちも恐る恐る接していたのだが、意外にもコーフィーには暗闇を怖がったりするような気弱な面や優しい一面があることを知る。ポールは次第にコーフィーが人を殺せるわけがないだろうと思うようになっていくのだが・・・

 看守であるポールはオシッコをするのにも激痛が走るほどの尿道炎に罹っているのだが、コーフィーが簡単に治してしまう。それ以外にも極悪看守に踏みつけられて死にかけているネズミを救ってあげたり、脳腫瘍を患っているポールの上司の奥さんを治してやったり、奇跡の連発。こんな優しくて、人助けまでするコーフィーは冤罪であるのは観ている誰もがわかる。しかし、不思議なことにコーフィーは声高に冤罪を訴えるわけでもなく、むしろ逆に死刑が実行されるのを大人しく待っている気配すらある。それは何故なのか?その答えを知った時、多くの人が感動を得ると同時に自らの人生を省みることになるだろう。生まれながらにして超能力を持ってしまったコーフィーが、なぜこの世に現れたのか?それは人類の救済のために罪を被ったイエス・キリストと重なる部分が多々ある。本作はこのように宗教的示唆が含まれている。
 主な刑務官は5人登場するが、主演のポールを演じるトム・ハンクスを始め、他の4人も見せ場充分に描いている。その中には刑務所を舞台にした映画らしく極悪な看守も登場する。そして、もちろん死刑囚もコーフィーみたいな良い奴ばかりではなく、さっさと死刑にしろよと思えるぐらいの悪い奴や悔い改める死刑囚も登場する。このように善人と悪人、正義と悪の対比が上手く存在している辺りにも妙に感心させられた。
 ちょっと良いシーンを入れ過ぎたり、登場人物の描写を丁寧に描きすぎて、ヒューマンドラマの割に3時間を超える映画になってしまったのが残念だが、最後には感動が連発してやってくる。これだけの超能力を持った人間を生かしておけば、病気で苦しんている全員を治せるじゃんと残念な気持ちもちらつくのだが、それは俺の浅はかな考え。そのことは超能力を持ってしまった当の本人であるコーフィーが急に語りだす台詞で明らかになる。俺も超能力が欲しいなんて思っていたが、やっぱり要らね~。
 他にも書きたいこともあったり、逆に書き忘れているんじゃないかと思えたりするぐらいのテーマが含まれている作品。死刑を扱っている割に奥の深さを感じさせる映画として今回はグリーンマイルをお勧めに挙げておこう

 監督はフランク・ダラボン。本作と同じくスティーヴン・キング原作のショーシャンクの空にミスト、そして赤狩りをテーマにしたジム・キャリー主演のマジェスティックがお勧め。最近は何故か監督作品が無いのが残念です










 
 

 

 







 


 

 

 
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映画 テオレマ(1968) 奇妙な映画です

2024年12月24日 | 映画(た行)
 イタリアの鬼才映画監督であるピエル・パオロ・パゾリーニだが、映画監督以外にも小説家、詩人等と色々な顔を持つ。53歳という若さで死んでいるのだが、生前と同様に死に方までスキャンダラス。この監督について詳しく知りたい人は自分で調べてもらおう。ちなみに俺は彼の作品はアポロンの地獄豚小屋アラビアンナイトを観ている。しかしながら、鬼才と呼ばれる映画監督の作品によくあることだが、個人的にはどれもつまらないものばかり。ちなみに本ブログのコンセプトは誰に対しても自信を持ってお勧めできる映画を褒めまくること。そんな時にようやくお勧めできる彼の映画に出会えたのが今回紹介するテオレマ。タイトルの意味はイタリア語で『定理』を意味する。
 
 パゾリーニ監督だが調べてもらえればわかるが、共産主義者。そんな彼の思想が出ているストーリーの紹介をしよう。
 工場経営者のブルジョワ家庭に、何気なくふら~っと青年(テレンス・スタンプ)が訪ねてくる。なぜかこの家庭に泊まることになった青年だが、彼はこの家庭の主人(マッシモ・ジロッティ)、その妻(シルヴァーナ・マンガーノ)、娘(アンヌ・ヴィアゼムスキー)、息子(アンドレ・ホセ・クルス)、家政婦(ラウラ・ベッティ)達といった住人を次々に虜にし、肉体関係まで結んでいく。
 ある日のこと、青年は唐突に家を出て行ってしまうのだが、その日を境にしてこの住人達は奇行に走り出す・・・

 テレンス・スタンプ演じる謎めいた青年が、老若男女問わず肉体関係を結んでいくが、直接的な描写はないのでその点では安心して見れる。何の不自由もなく(実は不満があったのかもしれないが)暮らしていたブルジョワ家庭を崩壊させていく、この青年は一体何者なのか?そのことを考えるだけでも非常に意味深だ。
 この青年が去ってから、主人は経営する工場を労働者に手放し、駅のど真ん中で素っ裸になったり、妻は次々と男漁りをするようになり、娘は急に手が硬直して意識がぶっ飛んだようになり、息子は家出をして抽象画に没頭するものの破滅していっているように見える。この辺りはブルジョワの身分の人間を皮肉っているように思える。
 そして、家政婦だが青年が出て行った後に直ぐにお暇をして田舎に帰る。そこで家政婦は空中に浮かんだり、子供の病気を一瞬で治したり奇跡を行う。この家政婦はキリストのメタファーとして描かれている。しかし、パゾリーニ監督は共産主義者ということから宗教(特にキリスト教)には信仰心がないと思われるが、この家政婦に対する描き方はどう捉えたら良いのか考えさせられる。
 他にもブルジョワ家庭に、二度ほど踊りながらやって来る郵便配達の男も印象的なのだが、この郵便配達の意味するところも悩ましい。
 そして、本作はやたら台詞が少ないので、説明なんか全くないのに等しい。それ故に観ている側は前述したように色々と考えさせられ悩まさせられるので知的な面で好奇心をくすぐられる。ノー天気な気分で映画を観たい人にはお勧めできないが、少々頭を使わさせられるような映画が好きな人に今回は映画テオレマをお勧めに挙げておこう
 この監督作品でお勧めがあれば、遠慮なく教えてください。











 

 
 
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映画 スモーク(1995) 嘘が人間関係を深めるストーリー

2024年12月21日 | 映画(さ行)
 この世の中は平気で嘘がまかり通ってしまっている。テレビのような印象操作をするような嘘もあれば、どこからの情報かもわからないようなデマを拡散するようなネットを使った嘘や、見栄や私利私欲にまみれた政治家の嘘などは何とも嘆かわしい。しかし、今回紹介する映画スモークに登場する人物達もたくさん嘘をついているが、とりとめのない嘘や、どうでも良いような嘘、人生の苦みを感じさせるような嘘等が多く出てくる。
 しかし、人間なんて本作に登場する人物だけでなく誰もが嘘をついて生きている。本作に登場する人物達も心の中に葛藤や苦悩を抱えているが、彼らが吐き出す嘘に嫌味を感じない。そして、そんな嘘を通して人間関係の繋がりの奥深さを知ることになる。

 タイトルのスモークが意味するのは煙草の煙のこと。嘘も現実も煙草の煙のごとく一瞬で消えてしまうようなストーリーの紹介を。
 ニューヨーク、ブルックリンで小さなタバコ屋を営むオーギー(ハーヴェイ・カイテル)は、毎日朝の8時になると同じ場所で10年以上もの間、写真を撮り続けている。そんなオーギーの店に馴染みの客たちがとりとめもない会話をしている。そこへ常連の客であり、オーギーの友達でもあるポール(ウィリアム・ハート)もやって来る。ボールは売れっ子の小説家だったのだが、数年前に妻が銃撃事故の巻き添えを喰らってしまってからスランプに陥っていたのだ。
 ポールがオーギーの店を出てからの帰り道で考え事をしていたら危うく車に轢かれそうになってしまう。そんな彼を間一髪で助けたのが、黒人の少年であるラシード(ハロルド・ペリノー・ジュニア)(ラシードと言うのは偽名)。そのことを切っ掛けにオーギー、ポール、ラシードの3人の交流が始まるのだが・・・

 黒人の少年であるラシードだが、やたら嘘をつきまくるし、結構なトラブルメーカー。だいたい名前からして嘘だったことがわかってくる。しかしながら義理堅いポールは何とかラシードを助けてやろうとするのだが、どう見てもポールが損してばかりのように俺には見えた。しかも、この少年はオーギーにもとんでもない迷惑をかけてしまう。しかしだ、ただの嫌な奴に思えるラシードにも苦悩があるのだ。
 そして、オーギーをいきなり訪ねてくる片目になっている元恋人の存在。これが結構な嘘をついてやって来るのだが、案外これも見ている最中は許せてしまう。オーギーと元恋人とのやり取りなんかは人情を感じさせてしまう。
 実はこのような嘘が絡むようなストーリーがショートストーリーのような形で紡がれていく。けっこうヤバそうな嘘から他愛もないような嘘、真実と嘘が見極めがたいようなのもあるのだが、その後の何気ない会話や行動で、あ~これは嘘なんだな、とわかるものまである。しかし、どの嘘もちょっとではあるが良い方向へ向いていくのが見ていて心地よくなる。
 煙草の煙の量と共に、少しばかりのユーモアを交えて淡々と進む印象があるが、最後にクライマックスが訪れる。ポールに大手の新聞から大きな仕事の依頼が来るのだが、スランプでアイデアが浮かばない彼がオーギーに相談するシーン。この時にオーギーがクリスマスに身に起こった過去の話をポールに語る場面がある。また、この話が真実なのか嘘なのか微妙にハッキリしない。そもそもこの事が本当だったとして、良い話だったのか、悪い話だったのか考えさせられる内容。しかし、ここで感動させられる演出がされる。真実と嘘なんか紙一重であり、善と悪の境界線も時には、スモークのようにあやふやなものだと気づかされた時、本作が凄い傑作だと理解できる。更にここで流れるトム・ウェイツの曲が本当に素晴らしい。今回はブルックリンを舞台にした義理人情が描かれる映画スモークを、クリスマスが近いということでお勧めに挙げておこう

 監督はウェイン・ワン。ド派手な映画は撮りませんが、じわ~と良さが込み上げてくるストーリーが得意。アメリカで暮らす中国人のコミュニティを描いたジョイ・ラック・クラブ、ラブコメのメイド・イン・マンハッタン千年の祈りがお勧め














 

 

 




 
 
 
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映画 ペイ・フォワード  可能の王国(2001) 恩返しではなくて恩送りです

2024年12月19日 | 映画(は行)
 よく俺の周りでも見られるのが、「お前のためにやったんだから、お前も俺のために何かしてくれよ!」という恩返し的な発想。酷いのになると「俺が呑み会の幹事をしてやっているんだから、お前ら俺がタダ飲みできるぐらいの会費を払えよ」なんてことを言っているような行いをしている卑怯な奴もいる。こんな奴が市民の財産を守るなんてことを、ほざいて市議会議員になっているのには心の底から腹が立つ。上に立とうとする人間から恩返しを求められることほど、迷惑なことなんかない。
 クソのような世の中、おっと言葉が汚すぎた。なんだか報われない世の中が良くなるような方法がないものか?なんて思わせる考え方を描いているのが今回紹介する映画ペイ・フォワード 可能の王国

 残念ながら俺1人が実践しても良くならないが、みんながこのような気持ちを持てば、素晴らしい世界が可能なように思えてくる気がするストーリーの紹介を。
 ラスベガスに住むトレバー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は中学1年生。父親は母に暴力をふるって家出をしており、母親のアーリーン(ヘレン・ハント)は仕事を2つ掛け持ちしながらもアル中を患っている。
 トレバーは社会の授業で初めて顔面の半分が焼けただれたシモネット先生(ケヴィン・スペイシー)と出会う。シモネット先生から「もし世界を変えたかったら、君たちは何をする?」というテーマで宿題を出される。それに対するトレバーの答えは「善意を困っている人に与え、善意をもらった人は困っている人に善意を与え、さらにその善意をもらった人は困っている人に善意を与え・・・」、これこそペイ・フォワードの考え方。トレバーは困っている人を3人選び(その中にはシモネットも入っている)、自らの考えを授業で発表し、それを実践していくのだが、ことはそう簡単に運ぶことが出来ずに・・・

 恩返しではなくて、恩送り。これがペイ・フォワード。トレバー君は中学1年生なのに本当に素晴らしい考え方の持ち主。そして俺が特に感心するのは、トレバー君は善意を施したことに対して、偉そうにすることもなく謙虚に振る舞う。この態度が素晴らしいではないか。上に立つと偉そうな態度をとる奴が居るが、本当にこの少年の行いを見習え。
 しかし、自らの行いが良きものだと思っていても、相手にとっては、はた迷惑に思われる可能性もあったりする。そんな時に立ち止まりそうになるが、そこで必要になるのが勇気。トレバー君だけでなく、本作に登場する人達に勇気を迫られる場面が出てくるのだが、果たして彼らは克服できるのか。俺にも本当に勇気が欲しい。
 ところが本作は意外過ぎるラストシーンを迎える。もっと違うエンディングは無かったのか?なんて思えたりするが、これが非常にキリスト教的なエンディング。最初に手を挙げた者は茨の道を進み、その後に続くものが、彼の意志を継ぐ。何とも後味が悪く感じられたりするが、希望の光を見ることができる、ということで今回は映画ペイ・フォワード 可能の王国をお勧めに挙げておこう

 監督は女性のミミ・レダー。他の作品は観たことはありませんが、ディープ・インパクトは面白いみたいです

 


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映画 ゲット スマート(2008) アクションとコメディの融合

2024年12月18日 | 映画(か行)
 なんだかんだ言ってもアクションが凄くて、笑える映画というのは楽しめる。アクションとコメディが程よく合致した映画が今回紹介するゲット スマート。元々は1960年代のテレビシリーズが基ネタ。そんなことは知っていても、知らなくてもどうでも良いのだが、多くあるスパイアクション映画に対してオマージュを感じさせられる作りになっている。

 早速だがストーリーの紹介を。
 秘密諜報機関コントロールの情報分析官として優秀な能力を持つマックスウェル(スティーヴ・カレル)。しかし、彼は長年にわたり現場の諜報員として働くことを夢見ており、諜報員としてのテストもクリア。ようやく念願の諜報員として現場の第一線で働けるかとおもっていたのだが、チーフ(アラン・アーキン)が優秀な分析官マックスウェルが抜けることに痛手を感じていたために諜報員への異動を断たれてしまう。
 しかし、ある日のこと国際犯罪組織カオスによって、コントロールは本部が壊滅。そのことによって顔バレしてしまったコントロールの諜報員が世界中で殺害されてしまう。諜報員が居なくなってしまったために、チーフは仕方なくマックスウェルを諜報員に異動。そして、偶然にも整形手術直後のベテラン女スパイのエージェント99(アン・ハサウェイ)とコンビを組み、カオス撲滅のためにロシアへ向かうのだが・・・

 笑えるか笑えないかは別にして、30秒に1回はギャグが出てくる。個人的には3割ぐらいはウケた。マックスウェルとエージェント99による凸凹コンビでマックスウェルの失敗をエージェント99が始末するというパターン。しかし、マックスウェルを演じるスティーヴ・カレルが真面目な顔をして失敗するのが笑える。しかし、質の程度こそあれ、ギャグのアイデアの多さに感心させられた。
 笑いだけでなく、アクションもそれなりに楽しめるし、ハリウッドらしさを感じるのが政治に対して皮肉っていること。特に副大統領を茶化しているのにはアメリカの懐の深さを感じる。
 スパイアクションに付き物のガジェットが案外ショボいし、それをマックスウェルが使いこなせないシーンなんかは笑える。こんなスパイが本当に暗躍していたら世界が危機に陥ることに不安を感じざるを得ないはずだが、そんな心配をぶっ飛ばすようなノー天気な展開が楽しい。そしてアン・ハサウェイがセクシーなのも良い。何はともあれ肩の力を抜いて観ることが出来る映画として今回はゲット スマートをお勧めに挙げておこう

 監督はピーター・シーガル。本作のようなコメディに腕を発揮する。アダム・サンドラー主演の50回目のファースト・キス、これもアダム・サンドラー主演のロンゲスト・ヤード、シルヴェスター・スタローン、ロバート・デ・ニーロ共演のリベンジ・マッチがお勧め






 
 
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映画 ライアンの娘(1970) 圧巻の映像で不倫を描く

2024年12月17日 | 映画(ら行)
 デヴィッド・リーン監督の特徴といえば、アラビアのロレンスに代表されるようなスペクタクルな映像シーンを挙げることができるだろう。他の監督の作品だと見た目が派手なだけで、中身がスッカラカンで内容が乏しい映画も時々見かけるが、今回紹介する映画ライアンの娘については、そんな心配は全くの無用。不倫というモラルを問われるテーマを扱いながらも見所満載の映像と説得力のある内容が繰り広げられる。
 さて、ストーリーの説明に入る前に本作の時代背景に少し説明した方が良いだろう。現在はイギリス領である北アイルランドとアイルランド共和国がアイルランド島を分裂して存在しているが、本作の時代はアイルランド島全体がイギリス領であった頃を背景にしている。アイルランド人たちは自らの祖国を取り返すためにアイルランドに駐屯していたイギリス軍と対峙していたのだが、そんなアイルランド独立戦争勃発直前というのが時代設定として本作は描かれる。

 反イギリス感情が高まるアイルランドの寒村を舞台にしたストーリーの紹介を。
 ダブリン(アイルランドの首都)から教師をしているチャールズ(ロバート・ミッチャム)が帰ってくるのを待ちわびていたのが、かつて彼の教え子であった若き美しい女性ロージー(サラ・マイルズ)。今では尊敬から恋愛の対象になってしまったチャールズに対して、ロージーは猛アタック。その甲斐もあり年の差を超えて二人は結婚する。しかしながら、ロージーは平凡な彼との結婚生活に退屈さを感じていた。
 そこへ新しくイギリス軍基地に赴任してきたのが若き将校であるランドルフ(クリストファー・ジョーンズ)。ロージーが父親であるトーマス・ライアン(レオ・マッカーン)が営む酒場で働いている時に、客としてランドルフがやってくる。そのことを切っ掛けにロージーとランドルフは不倫への道へと突っ走り・・・

 チャールズとロージーの年の差カップルだが、結婚する前後のシーンだけで、あ~この2人は上手くいかないんだな~と思わせるような場面が示唆的に描かれる。しかしながら、本作が面白くなるのはイギリス人将校のランドルフが登場してからだろう。不倫だけでも大問題なのだが、よりによってアイルランド人にとっては憎きイギリス人と恋愛感情に陥るとは。前述したイギリスとアイルランドの関係を予備知識と知っていれば、この不倫が相当思い切った行為であり、単なる不倫以上の重さを感じることができる。しかしながら、さすがはデヴィッド・リーン監督というべきなのか、不倫に陥る映像表現がめちゃくちゃ美しい。特に森林の中での官能的シーンは印象的だ。
 本作のテーマは不倫だが、それ以上に観ている者に考えさせられることがある。それは妻が不倫しているのに、そのことを咎めようとしないチャールズの考え。すっかりそのことに気付いているのに、なぜ黙っているのか。見たところ夫が気が弱いとか、若妻の尻に敷かれている風でもない。チャールズから出てくる台詞に「いつか君が戻ってくると信じていたんだよ」なんて甘っちょろいことを言っている。しかし、俺にはわかる。これが男の優しさであり、本当の男ならではの器量の広さ。理由はどうであれ愛する女性に対しての接し方を、タフガイスターでならしたロバート・ミッチャムから学ぶことが出来る。
 そして、ロージーの不倫相手のランドルフだがこの男を単なる悪者として描いていないのが良い。この映画の中で最も戦争の被害に遭っている人物として描かれる。彼の戦争によって負わされた傷は肉体的よりも精神的の方がダメージを大きいことが見ていてわかる。戦争の悲惨さは命を奪ってしまうことはもちろんだが、精神に与えるダメージもある。ランドルフの存在によって本作は反戦映画の意味合いもある。
 そして、恐ろしいシーンが後半で待っている。アイルランド独立戦線の武装派がイギリス軍に捕らえられてしまうのだが、密告の疑いがロージーに向けられてしまう。ロージーが密告犯でないことを知っていながら、イギリス人と不義を通じているだけでリンチに掛けてしまうように集団心理の恐ろしさをまざまざと思い知らされる。支持率100パーセントを目指している人間がいるが、実はそれは危険な思想だということがよくわかる。マイノリティの考えの重要性、他人の意見にも耳を傾けることの大切さを惨い場面から教えられる。
 映像的には海岸沿いの撮影が非常に印象的。まさにアイルランドってこんな風景だよな~と感じさせられるところは、この監督らしさが出ている。他にもロージーに対して厳しさと優しさの両面から説教する神父(トレヴァー・ハワード)や、しゃべることが出来なくて村の人々から馬鹿にされているマイケル(ジョン・ミルズ)の存在も惹かれる。3時間を超える映画なのでそれなりに忍耐力を必要とするが、決してダレルことはない。色々なテーマを内包し、見所満載の映画ライアンの娘をお勧めに挙げておこう

 監督は前述した通りデヴィッド・リーンアラビアのロレンス以外にもお勧め多数。本作と同じく不倫をテーマにした逢びきは見比べて観るのもあり、反戦映画の傑作戦場にかける橋、飛行機の発展を感じられる超音ジェット機、これまた不倫を描くドクトル・ジバゴがお勧め


 

 
 
 
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映画 深夜の告白(1944) フィルムノワール映画のはしり

2024年12月15日 | 映画(さ行)
 1930年代から1940年代初めにかけてハッピーエンドな作品ばかり制作されてきたハリウッド映画。見知らぬ男と女が出会って何時の間にやら仲が良くなって結ばれる映画が多かった。しかし、そんな映画も第二次世界大戦を経ると世の中の人に暗い影を落とすようになると廃れていき、やがて主流は犯罪映画になっていく。その中でも男が女性の野心に破滅していくタイプのサスペンス映画が多くなる。そのような女性を犯罪映画の分野においてファムファタールと呼び、犯罪映画そのものをフィルムノワールと呼ぶことになる。女優もカワイ子ちゃんだけで売る時代も終わり悪女役も登場するようになってくるのだが、今回紹介する映画はフィルムノワールのはしりであり、とてつもない悪女、ファムファタールが登場する古典的名作である深夜の告白。モノクロ映画ではあるのだが、犯罪の香りを漂わせるシャープな描写はフィルムノワールに欠かせない。
 ちなみに本作は「郵便配達は二度ベルをならす」の原作者であるジェームズ・M・ケインの小説「倍額保険(Double Indemnity)」を原作とする。ここで本作の原題にもなっている倍額保険の意味を説明しておこう。損害保険の一種なのだが、列車に乗っている最中での事故など稀なことであり、もしもそのような状況で事故死が起きた場合に通常の保険の倍額が保険会社から払われる保険のこと。この原題の意味を知って本作を見ると非常に理解しやすい作品だ。

 フィルムノワールのはしりであるだけでなく、その代表する映画のストーリーの紹介を。
 怪我を負った状態でフラフラになりながら保険会社に戻ってきたウォルター・ネフ(フレッド・マクマレイ)。彼は自ら犯した罪を録音機に向かって告白するシーンから始まり、場面はその数カ月前からの出来事にさかのぼる。
 やり手の保険業のセールスマンであるウォルターは顧客の実業家であるディートリクスン(トム・パワーズ)の自宅を訪れる。彼は留守だったのだが若妻であるフィリス(バーバラ・スタンウィック)に見とれてしまう。フィリスは内緒で夫の障害保険を掛けようと提案してくるのだが、きな臭いことを感じたウォルターはその場で断るのだが、ウォルターはどうしてもフィリスの美貌が忘れられない。するとフィリスの方からウォルターの住んでいるマンションを訪れてきて、彼らはアッサリ不倫関係になる。
 もはや離れがたい二人はディートリクスン氏が知らない内に倍額保険の手続きを済ませて、完全殺人犯罪の計画を立て、実行するのだが思わぬ綻びが生じることになり・・・

 保険金からみの殺人事件など小説や映画だけでなく現実にも起こっている。それだけに真新しさはないのだが、ファムファタールの美女によって、すっかり破滅させられていく様子に興味が惹かれる。倍額保険などと、殺人に及んでも更に欲がくらんでしまう馬鹿さが凄いし、その強欲さに惹きつけられる。
 そして、登場人物でウォルターの上司であるエドワード・G・ロビンソンが演じるキーズ保険調査員の頭脳が本作を際立たせている。この保険調査員が居なければイカサマの事故でも保険金を払ってしまい、そんな保険会社などは直ぐにでも潰れてしまう。しかし、キーズ調査員の推理小説の名探偵以上に勘が鋭いのが本作をミステリーとして非常に出来の良い作品に仕立てているし、全編に渡ってキースとウォルターの友情を感じさせるシーンが多く、ラストシーンは熱いものを感じさせる。
 そして、ちなみに本作の脚本を担当しているのがフィリップ・マーロウが活躍する探偵シリーズで有名な推理小説作家であるレイモンド・チャンドラー。所々で格好いい台詞が飛び出してくるが、それは彼の力によるところが大いにあるだろう。
 そして、フィリスを演じるバーバラ・スタンウィックの悪女っぷりが凄い。利用できるものは義理の娘やその彼氏も利用。旦那殺しと保険金に恐ろしいほどの執念を見せる。こんな女を愛してしまうだけでなく、愛されてしまうとは何たる不運。犯罪映画なんてものは悪女が強烈であればあるほど面白いことが本作を観ていたらよくわかる。
 1940年代のハリウッドの犯罪映画に興味が惹かれた人、悪女が登場する作品が好きな人、ビリー・ワイルダー監督と聞いて心が躍る人等に今回は映画深夜の告白をお勧めに挙げておこう

 監督は前述したとおりビリー・ワイルダー。僕が最も好きな映画監督です。本作と同じサスペンスならサンセット大通り、アル中の恐ろしさを描いた失われた週末、コメディとサスペンスの融合なら第十七捕虜収容所、完全なコメディならアパートの鍵貸します等、お勧め多数です









 

 





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映画 ロリータ(1962) ロリコンの語源になっています

2024年12月13日 | 映画(ら行)
 いい年をしたオッサンが少女に恋愛感情を抱くことをロリコンと呼ぶ。実はその語源ともなったのが今回紹介する映画ロリータ。気持ち悪い映画を想像しそうになるが原作はウラジーミル・ナボコフによる同名タイトルの小説。1955年に出版されて以来、今や20世紀を代表する名作との評判だ。ストーリーの方も40歳を超えているように見える大学教授のオッサンが少女ロリータ(原作では12歳の設定)に恋愛感情を抱くスキャンダラスな内容。実際にヨーロッパの各国においては発禁されていたり、アメリカでも当初はポルノ文学の扱いを喰らってしまったようだ。
 そんな問題作を出版されてから、それほど間をおかずに映画化されたのが本作であるが、実際のところロリータ役の女性がマセて見えるし、モノクロの画像のおかげでそれほど気持ち悪い印象は受けない。そして、作り手側の意図はわからないのだが、オッサンと少女のエロシーンは無いので安心して見られた。

 インテリのおっさんの方が、一方的に少女にのぼせ上がるストーリーの紹介を。
 冒頭から、大学教授のハンバート(ジェームズ・メイソン)が飲み干した酒瓶だらけの邸宅に乗り込んで、クレア(ピーター・セラーズ)を射殺するシーンから始まる。一体この2人の男の間には何があったのか?時は4年前にさかのぼる。
 ハンバートは大学の講義のためにフランスからアメリカにやって来たのだが、講義が始まるまでの夏休みの間の宿泊地を探すために未亡人であるシャーロット・ヘイズ(シェリー・ウィンタース)の邸宅を訪ねていた。ハンバートはこの家は趣味に合わないからと外へ出ようとした時、シャーロットの娘である少女ロリータ(スー・リオン)が水着で芝生の上で寝そべっているのを見て、急に心変わりをしてヘイズ宅で宿泊することになる。
 ハンバートはシャーロットに気に入られて結婚を申し込まれるのだが、ロリータと一緒にずっと居られるのを幸いにシャーロットと結婚する。しかし、シャーロットはハンバートの心が娘のシャーロットに向かっていることに気付き、正気を失ったシャーロットは雨が降る中、家を飛び出し、自動車事故に遭い死んでしまう。
 当初は気落ちするハンバートだったが、これを幸いと彼はロリータが居るキャンプ場に向かい、これからはずっとロリータと一緒に居られることにウキウキ気分になる。ハンバートは車でロリータを連れて色々なところを旅行しようとするのだが、不審な車が後を追いかけてくるのに気づき・・・

 最初はサスペンス映画のような出だしだったのだが、やっぱりこれはロリコンを描いた映画。40歳は超えているように見えるハンバートのロリータに対する偏執狂的な恋愛感情が描かれている。ハンバートから見たらロリータは義理の娘になるのだが、ロリータの帰宅が遅いと激しく問い詰めるし、少しでもロリータに男の影がチラつくと嫉妬する。ロリータの年頃を考えると普通の行動に見えるのだが、この義理の父親はとことんロリータを縛りつける。
 そして、ロリータは見事にハンバートから離れることに成功する。3年間もハンバートはロリータを探し続けるのだが、ある事を切っ掛けに2人は再会を果たすのだが、この時のハンバートの泣き叫ぶ様子が見ていて気持ち悪いし、男のアホさが全開している。ハンバートの40年以上の人生の内、ロリータと一緒に過ごした時間などごくわずかなのに、全財産をロリータに渡してしまう。しかも、ロリータには秘密があったのだが、このことに気付かなかったハンバートの間抜けさに俺は笑ってしまいそうになった。そして、冒頭のシーンに繋がるわけだが、本作は単にロリコンの様子を描くだけでなく、インテリに属する人間の倫理の崩壊を皮肉っていることに気付いた。
 ちなみに本作の監督は天才スタンリー・キューブリック。本当はもっとオッサンが少女に固執していく姿を描きたかったと思うのだが、時代的に彼をもってしてもここまでが限界だったのか?と思わせる。どこか控えめで才気が爆発したような作品になっていないのが残念な気がする。
 ロリータというタイトルに惹かれた人、スタンリー・キューブリック監督の名前は知っているが本作をまだ見ていない人、インテリが落ちぶれていく姿を見たい人、熟女よりも女の子が好きな人等に今回は映画ロリータをお勧めに挙げておこう

 監督は前述したようにスタンリー・キューブリック。SF映画の金字塔2001年宇宙の旅は万人にお勧めとは言えないが、一度は見てほしい。他にお勧めは自由を求めて戦うスパルタカス、競馬場の現金強奪を描いたサスペンス現金に体を張れ、ヨーロッパの貴族社会の栄枯盛衰を描くバリー・リンドン、スティーヴ・キング原作のモダンホラーの傑作シャイニング、人間の本質をとことん抉り出した時計仕掛けのオレンジ、放送禁止語句の乱れ撃ちのベトナム戦争映画フルメタルジャケット、原爆の危機をブラックジョークで描いた博士の異常な愛情 がお勧め








 
 

 

 
 
 
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