たまたま、、、一緒にTVを観ていた主人に、
ちょっと、「あなたも見習いなさいよ!」
「出産まで7か月も、私を実家に預けっぱなしで」
「出産にも間に合わないし、、、!」
4か月になって、安定期に入るまで、、、
手紙も見舞いもよこさないで、、、
東京の実家から、
はるばる、札幌入りするのだから
「俺様を父親という称号に格上げした、、、偉い息子よ!」
そのように叫んで、、有頂天になってほしかった、
なんで???
千歳空港まで、迎えに来なかったのよ!!!」
一年間も、
出産から、
孫のミルクが4回になるまで
我が家の娘時代に過ごしたのと同様に、
嫁に出した家族を
全面的に
面倒を見てくれた母に
申し訳なくも、、、
羽田空港まで送ってもらい、
大きなトランクと、
オムツと、
念の為にと
6回分のミルクの筒を片手に
3か月半の長男を負んぶして
札幌に向かったのでした。
千歳空港には
絶対に来ているはずと信じていました。
もしかしたら、
全日空と間違ったかもしれないと、
長いロビーを「オムツ」とミルクをもって
行ったり来たりしながら、
「お疲れさま、、、俺の息子だ!
札幌入りの初めの一歩は俺が抱く!」
きっとそのように言うに違いないと、、、
主人を探し回った。....
男の子だから、父の手で
札幌の、、、初めの一歩を、主人の腕に抱かれて踏ませたかった。
仕事が外科医、、、突発的な手術もあろう、、、
私は、日航の到着ロビーで、息子にミルクを飲ませ乍ら
時間を稼いだ、、、
今回は、きっとくる!!
私は、押しかけ女房でも、なんでもない。
現役で薬剤師として、総合病院で働いていたキャリアウーマンだった。
「君の家の外科医として、君の家に入るから、僕は次男だから
博士号を取得したら、東京に帰るから、、、」と
24歳の現役の薬剤師を辞めさせて札幌に呼んだのは夫だった。
私の頭の上を飛び越して
母とそんな約束をしたのは、
無給医という逆環境の中で
薬剤師という手に職を持った働ける女性が
急流で、つかんだ藁だったのだろう、。。。か。
結婚を申し込んでおきながら、
仕事第一、
仲間のスケジュール第一、
コメデイカルの結婚式の幹事が第一、、、
実家に出産までの一年間を
夫タル姓に代わっている女房を預けておきながら
一切の費用は、
キャリアウーマンだった私の貯金から支払った。
その間、、、暑中見舞いさえ来ない。
母への届け物もない。
もちろん生活費の仕送りもない。
札幌に着いて、数時間たったころ、、、
「医師をするための事にしか関心のない
夫の不思議な視点の狭さに気が付いた。」
戦争中に生まれ長野に疎開して東京に戻った後は
戦後のドサクサの復興期の日本は
国民のほとんどが、
ぞん底を味わったはずである。
唯一の楽しみは映画であった頃に
勉強に目覚めたようであった。
幼稚園において、卒業の時に
優等賞をもらえて、
お利巧ちゃんをして、
先生のいう事を聴いて、
正しいこと、正しくないことを
しっかりと守り
成績が良いことが、先生からも、親からも褒められ、
友達の中ではリーダーになれることを
幼児期に、学習してしまった、、、
私が思うには、、、
日本が教科書で育てようとした、
戦後の復活期にひたすら、教えられた事を
正しいと信じ、国の期待に沿って
教科書に仕上げられた、、、まじめ人間のように
私には、
、、、、ありえないと、、、思えるほど
まっすぐに、まっすぐに、、、努力してきた
考え方に幅のないますぐな
融通の利かない育て方をされた人のように見えた、
命を預からせていただき、
病人に寄り添って
病気と闘う医師という職業には
ぴったりの性格かもしれないと思えるが、
女性にとっては、相棒に成れても
愛だとか、、、恋だとかの
浮いた空気は微塵も想像できない、、、
ある種の、安全パイといえばよいのか??、、
つまらない、、、
時代の決めた価値観の中で、、、はみ出せないという
努力に努力の積み上げで
医学部にはいれたのではないかと?
想像したくなるような
地味な、華やかさの感じられない
よ~~くワカラナイママ
母が、「若くして亡くなった外科医の父が、若くなって
この先生に生まれ変わって、我が家の外科の看板を
内科医の兄と、守ってくれるのだと、、、
私なりに役割結婚だと思いながらも、
父の当然の過労死で、
残された患者さんたちへの不安を解決するには
仕事だと割り切って結婚に踏み切った。
内科医になったばかりの兄も、
一人での開業は神経が磨り減るだろうと想像もできた。
ただし、、、役割と割り切って結婚するのですから
医学博士を取得するまでは
実家の職員だと思って
「医師をすることのむつかしさ」への
大学院生活と、技術取得の地方へのローテションの任務には
家内になるものが、邪魔にならないように
実家が全面サポートをするという
暗黙の理解があった。
戦後の貧困の中から立ち上がる日本は
とりあえず、目下支払える者の肩に
請求書は背負うという
暗黙のルールで動いていた。
開業医には税制の有利な法で
多くの居候のめんどうを見ながらも
世間は、当たり前のように
頼れるものは
すべて使って
戦後の復興に
人材養成の結束をしていた時期でもあった。
主人の父親の実家は、
田舎の
何代も続いている産婦人科医であったらしい
叔父さんも産婦人科医で
界隈は出産に立ち会った子供や親が
まるで親戚のようにコロニーになっていた。
叔母さんは薬剤師で
長女は女医で
次女は薬剤師だった、
医学部に進んだ主人に
次女との結婚で実家の開業を継いでほしいと
再三言われたそうであったが、
医学を学んだ主人にとって
「血族結婚は避けるべきだと判断した。」というから、、、
実に、正しいことに沿って生きてゆっくという
融通の利かない狭い視野の中で正しく生きるタイプであると思った。
開業医の叔父さんは実父の弟で、叙勲もされているし
改革総理大臣になった政治家とも
医療面でつながった同郷の後援会長などしていたから
叔母さんの言う通り
次女と結婚していたら
金銭には困らない
田舎の名士の跡取りとして
優雅に暮らせたはずであろうに、、、、
何で、父親の早逝した我が家のあとの職員をする気になったのか?
本人にしかわからない、、、人生の弥次喜多道中が始まりました。
母は昔、
夫であるはずの私の父が
院長をしている総合病院の前の
公衆電話から
遠慮しながら、
息子が病気だと診療を頼んだそうですが
戦争中でもあり、
外科の患者のトリアージで
電話にも出てくれなくて、、、
父は帰宅することさえしなかったそうです。
私は、外科医という、、、
ある種の「愛」の邪魔になる職業と結婚してしまった。
言い換えると、
病院という企業の、
主役の派手さは見事であるが、
病人の為の駒と言える立場に居るのが外科医であるかもしれません。
「連休や正月や、父母の命日には
怪我をするな!事故を起こすな!喧嘩するな!」
患者さんには注文できない外科医である。
正月であろうと、お盆であろうと、
はてさて、、、母の命日であろうと、、、
患者さんのそばに居る職業なのである。
とんでもない、
融通の利かない時間貧乏な男性と
結婚してしまったことなのか!
全ては職場優先の外科医であることを認識して結婚した以上、
今回は今回と、
割り切って、
愛情や、感情で物事を考えないようにした。
彼は、
女房子供を守るという暖かさがあるのかもしれないが
一切のそれらしき寄り添う状況は皆無と言えるほど
暖かさには出会う事は無かった。
同僚を家族と思っているのでしょうか?
ダのような会にも誘っていただけることが
頑張れた証のように、
外で使い果たしたスタミナが
玄関ドアのノブの所でガス欠に陥るほど
医療に夢中で
お仲間と居ることが活きてる証のような毎日が続いています。
過去を振り返ると
単身赴任も職場への忠実。
何よりも、
「取得したい技術」があれば
、突然消えた。
国内技術留学とか言って
大阪の国立循環器センターで
無給でロングステイの技術取得の旅に出ると
帰ってきてからは、
家を長く留守にした正当性を論じ」
自分が医師を続けるには、このままでは
時代に遅れるか、
患者にセカンドオピニオンを紹介する時代に入った以上
目下、足りないと思われる技術を取得するために
家庭の多少の我慢は仕事のうちだと言った。
国立循環器病院で、
受け入れてくれたチャンスを
生かせて、学ぶことが多かったのだから
帰ってきたときは
何か月も過ぎてるのですから
子供に土産の一つも買ってくると
生き方上手と言えるのに、、、、、
応援団長も楽しく出来るでしょう!
文句や説教になると
家からは姿が消えていた。
基礎系の医師ではない以上、
この研修の恩恵は
患者さんへの責任からであろうかと推測した。
大変な出費が家系にかかわってくる宿泊費も
勤務医は税金の控除にはならない。
45歳を過ぎても
ロンがいっぱいで、
子育てにはかかわらない父親の姿には
子供たちも寂しいものがあったのではなかろうか?
主人は大学で**長や**担当長や○○会長をさせていただきながら
自分の事しか見えない時代が確実に有った。
東京の私の実家に帰って、個人開業の我が家に入るなんて
、、、そのような事、、、言ったかな??
いつしか北海道生まれの
北海道育ちの
北大を卒業して医学医学博士を取得したという事は
恩ある母校の世界の連帯の人生で
時代が時代なら
個人というプライベートなつながりが
ちょん切れて、
北海道に貢献してゆく道に一筋というところであっただろう。
日時は光陰矢の如し出あった。
私の、母が死んだときも、
彼は病院を最優先にして
葬式には現れなかった。
「医師をする努力の人」には。
愛のあるなしに関係なく
仕事として、家庭からサポートをすることは
やぶさかではありません、、、
母は明治生まれの外科医の妻ですから
私を自分の分身のように、
一方的に指導的立場をとっていました。
娘のゆく道も、
「医師の娘は医師と結婚すべし、、、みたいな、、、思い込みがあった。」
勝手に、、、自分の意思のままに決めつけているところがあった。
無給医の苦しい時代の
生き残り結婚に向けて
急カーブの急流の
「藁」にしがみついた主人も哀れであった。
次男には、仕送りは卒業と同時に
仕送りはストップになった。
初恋の人が忘れられないのか?
その女性は三越に作品が並ぶ芸術家でもあった。
私は主人に頼まれて、初恋に免じて、
伝統工芸作家の作品を買いに行ったものでした。
主人は知人の冠婚葬祭祝い事に何百回と出席しましたが。
お祝いごとに、彼女の作品を差し上げました。
生涯、、主人にとって高校時代の才媛の、初恋の心の妃が、
心の支えでした。
可愛そうに。。。
この人しか世の中に女性は居ないとばかり
サザエの蓋を絞めてしまった彼の初恋の世界は
不思議と腹が立たなかった。
私にだって初恋の思い出がある。
家の事情が豊かであったなら、
輔つ恋の人とは30歳過ぎてから
薬剤師として一人前の修行を積んでから
ごくごく自然に結婚していたかもしれません。
主人の初恋が忘れられない気持ちがよくわかります。
しかし、、、此処は鬼婆になって
哀しからずや道を説く我!、、、野暮ですが、、、
「あなたの恋した人はね、
あなたが大金持ちで、
彼女の作品を買い続け、
彼女が世の中に評価されるまで、
ゴッホのお兄さんの役をしなければ
販売数や、個展会場の評論家や
はてまた、、、会場への動員数まで
作品を有名にする資金が無いと!!!
彼女の作品は
天才の優美さまでは
届いてないでショウ。
彼女は、単なる医師と結婚しては仕事が挫折する人だから
あきらめた方がいいわよ~~~」
かなり、、、いじわるな解説を夫にして差し上げましたが、、、
夫は、東京銀座の服部時計店での個展に
私をして、、、彼女の作品を買ってきてほしいと、、、
とうとう、
彼女のお気に入りの小物を手に入れたのです。
そのとき、初対面の私は彼女と、
百年の知己のように、
何のこだわりも無く話せました。
小さな作品で、
瀬戸物屋で買ったら4000円ぐらいの水盤もどきの作品に
十万円という値段が表示されていました。
小さいものでは
最高の値段がついていたので、
主人のメンツの為にも、
その一品の作品を買いました。
私、、、馬鹿よね、、、とは思いませんでした。
バカなお金の使い方だとも思いませんでした。
その種の一番の展示物を
買うべきだと割り切っていた私でした。
その結果、
小さな作品のコーナーの品になっただけでした。
たまたま、その作品を
気に入っていた彼女は
作品の感想を訪ねてきた。
「どうして、この作品をかってくださったの?」
「たぶん、御仕事柄、
現実逃避して、
作品のイメージを追いかけているうちに
この小さな宇宙船のような、
ノアの箱舟のような作品に
貴女は
すくわれたんじゃないかな~~~と思ったから、
貴女の作品のファンでもある主人に
貴女の作品を創造するイメージの心の旅に
同乗させてもらえるかなって。」
ふと思ったのよ。
彼女は嬉しそうに頷きました。
生き抜くための必要から結婚した女性(私)との間には
子供が出来たら、
愛は邪魔と
主人は仕事にのめりこみました。
幸いなことに、私も、男女の愛は、邪魔という
自分の趣味を持っていたので、
二人は、誰から見ても、、、お似合いの、
仲良し夫婦で通ってきました。
心は少年少女の同級生のように
歳をとらない夫婦になりました。
ひとかけらの嫉妬もありません。
でも、「心に残り続けるのは
初恋の貴女だと思いますので、
これからも、時々
主人から、、、買ってきてくれないか?
頼まれると思いますよ。」
彼女に告げて、別れました。
作品は、お世話になった知人んで、
飾れるロビーの所有している
作品を展示できる方に差し上げました。
私にとっては、
ちょっとばかりの金銭的値打ちのあるものより
主人あてに届く患者さんからの手紙が大切です。
いまだに、患者さんからの御礼状が届き、
例えば、、、
「先生に若き日につないでいただいた血管がつながり
右腕は失わないで済みました、」
お手紙とともに、自分の農場でとれた果物を送ってきた。
病院では贈答は禁止されているので、
その旨を書いてお返事をしても、
自分の気持ちだからという。
来年も、再来年も、、、、先生が病院に居てくれるだけで
安心する旨の事が書かれていて、、、
受け取ることも、
心の医療かもしれないと、主人は言った。
主人が医師をしている限り、
どこかで患者さんが救われていると思うと、
夫としては、点数のつけようがないが
長きにわたる、
サポート人生で、私も脇役の自己満足を肯定できる歳を重ねた。
私は虫だったかもしれない?
でもこの虫は輝いているのかもしれない
脇役をこなすことの大切さは
虫からも教えられることが多い。
虫が居なければ
花は咲かないのだから。
医師と結婚する女性には
私の経験上伝えておきたいことが有ります。
患者さんから診ると、神様であったり仏さまであったり
信頼できる頼れる人であったり、
様々ですが、、、
ひとたび家庭の事となると、
初めから、
夫人は主役の後ろの陰になる可能性があります。
患者さんという、
病気という
マイナスエネルギーの
「巨大なブラックホール」と闘っている医師は
仲間の病院との時間がメインの闘牛士のようです。
家庭の奥さんになる人は
主役より脇役に向いている人でしょうね、
世間も周りも、
学問や技術の維持費と
時間貧乏の為に
時間を買わねばならないという
見えない雑費や
冠婚葬祭費で
ベンツが買えるぐらいかかるという
会合や学会や海外交流に
現実に
固定資産税の30倍はかかるという
見えない借金を背負っているという事をかんがみて、
必要経費に必要で十分な金額が出せないと、
晩年には、
収入の数字だけで、
税務所からの税金が容赦なく数字からの割り当てで
ローンで払う羽目になりますよ。
経費では認めてもらえない交流が
時代について行ける医師の必須の出費が
必要だという事です。
油断しないで、、、生活は節約して
税金を払っても
老後は施設に入れるだけの備えは必要です。
医師家族が困っても、
誰も助けてくれませんからね。
プライドを守るという事も、
妻の務めかもしれません。
子供にも特技をつけさせないと、
世間の誤解は嫉妬となるかもしれません
相手をいじめっ子にしないためにも、
いじめられない子供に育てなくてはなりません。
婚活のお嬢さん
医師の中には綺羅星のごとくすごいお金持ちも居て
目立ちますが、大半は、、、中流で、
上流のお仲間と付き合いきれないで
孤独になる夫人も居ますので、
しっかりと、
自分の趣味や、
生き方を持ち
自立した精神で、
「医師をするという事に、、、意義を感じるのであれば、」
お見合い結婚しても、
孤独に負けることは無いと思いますよ、、、。
息子のは、
お金持ちのお嬢さんが紹介されてきますが、
贅沢に育ったお嬢さんは
勤務医の質素倹約の、
仕事バカにはついてゆけないかもしれませんね。
勤務医は日進月歩の医学の進歩についてゆかねばなりませんから
生涯、授業料のかかる維持費のかかる人生だと解ってから
それでもと、、、認めてくださるのなら、、、
貴女の方から、2回目のデートは申し込んでください。
忙しいからといわれても、
貴女を拒否しているわけではありません。
本当の事を言っているだけです。
ですから、その時は、、、
都合のよい日に連絡ください、待っています。と
可能性を信じて、次を待ってやってください。
仕事に打ち込んでいるために
時間貧乏と、精神の疲れる職業なので
自分からの行動が
次につなげられる主体が無いという
患者さん本位の時間で動くため、、、
めんどくさくなるのが、、、
めんどくさいという
仕事人です。
理解するのは一生かかりますが、
医師をしているという事の意義を見いだせて、
そのサポートに
応援団長を引き受けるつもりの
医療への理解があれば「絆となって」
相棒となって、、、
運が良ければ、
「愛する、愛される、、男女の絆が生まれるかもしれません」
息子を愛してくださる可能性を秘めていたあなたに
時間貧乏が
すべての原因であることを伝えておきます。
最近、、、結婚とか、男女の出会いに
夢をくださいました。
TVでお似合いのカップルが、
お茶の間の人気をさらっています。
息子の結婚にも、又!夢が持てるようになりました。
あんなに忙しい、、、時間貧乏のはずのお二人でも
見事に最高の出会いで、ゴールイン!!!!!
8月に祝福の末広がりの祝日が出来たことに
又、、、又、、、立ち上がるパワーをもらえました。