今年も 手作りのケーキを送ってくださってありがとう、
今年も、千葉から名物の梨をありがとう。
この梨は私に送ってくださるというよりも
がんセンターで検診、研究、などを通して
戦後の団塊の世代が果たした「日本の復興」に
黙々と働き続けた多くの昭和20年代の生まれのコロンブスたちの中に
私の弟もしっかりと、眼に見える実績を残したからだと思うのです。
私自身に送ってくださるというより、
その知人の家族が、九死に一生を得たといういきさつから、
本来なら弟に送りたい「梨」なのでしょう。
しかし、、、国立という性質上
お礼心で物をお礼に送ることなど、失礼だし、足を引っ張るのと同じだからと
「友達であり、学友であり、、、、長い付き合いの、、、義姉の私に電話が入ったのが
何十年も前の事でした。」
「あの時、検診を受けなかったら、、、大切な家族と、今もこうしていられなかった。」
「がん」が検診で見つかってから、手術、入院、退院、通院、、、と
築地に通いながら、
絶体絶命と思いながらも、いつしか希望にかわっていったそうです。
そして、、、もう何十年も健康で勤務しているそうです。
「姉」の私に、梨を送ってくるのは
国立は個人的な組織ではないので、「今年も、健康で生きていますよ~~!」と。
感謝を言いたくても、筋違いのシステムで動いているところなので
「姉の貴女に、今年も元気だからと、感謝をどこかに言いたくなる。」、、、というのである。
昔の童話に、「王様の耳は馬の耳」という作品が在りましたが
心情としては、募る感謝をどこかで表現しないとさっぱりできないのでしょうね。
梨はいつも10個送ってくる。
言いたいことを聴いてあげる役も、医療には大切なことだと思っています。
梨を私に送ると、すっきりするから、受け取ってほしいというのです。
梨、、、なし、、、ナシ。。。生し、、、
私自身の事は、、、忘れてしまった、、、友人に
「弟の代わりに、、、食べてあげるから、、、」
思わず、学生の頃の会話になりますから、
私自身は忘れられてる自分自身が微妙に、、、
ピエロに思えるのですが、
癌からの生還であるという事は、
「忘れられない事なんですよね!」
彼女には、、、友人よりウエイトの重い回復という奇蹟に思うのでしょうね。
解る様な気がします。
千葉の梨は絶妙に美味な喜びの味がしました。」
忘れはしない、、お顔も知らない人とはいっても
、無事生還の何十年もの歳月は
私でよかったら、、、梨でも、カキでも、、、ミカンでも、
話を聴きながら食べていますよ。、、、
友達だっていう事を忘れない限りはね。