花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

忘れられてゆくことの原因を考えてみました。

2019-08-20 03:58:49 | Weblog

今年も 手作りのケーキを送ってくださってありがとう、

今年も、千葉から名物の梨をありがとう。

この梨は私に送ってくださるというよりも

がんセンターで検診、研究、などを通して

戦後の団塊の世代が果たした「日本の復興」に

黙々と働き続けた多くの昭和20年代の生まれのコロンブスたちの中に

私の弟もしっかりと、眼に見える実績を残したからだと思うのです。

私自身に送ってくださるというより、

その知人の家族が、九死に一生を得たといういきさつから、

本来なら弟に送りたい「梨」なのでしょう。

しかし、、、国立という性質上

お礼心で物をお礼に送ることなど、失礼だし、足を引っ張るのと同じだからと

「友達であり、学友であり、、、、長い付き合いの、、、義姉の私に電話が入ったのが
何十年も前の事でした。」

「あの時、検診を受けなかったら、、、大切な家族と、今もこうしていられなかった。」

「がん」が検診で見つかってから、手術、入院、退院、通院、、、と

築地に通いながら、

絶体絶命と思いながらも、いつしか希望にかわっていったそうです。

そして、、、もう何十年も健康で勤務しているそうです。

「姉」の私に、梨を送ってくるのは

国立は個人的な組織ではないので、「今年も、健康で生きていますよ~~!」と。

感謝を言いたくても、筋違いのシステムで動いているところなので

「姉の貴女に、今年も元気だからと、感謝をどこかに言いたくなる。」、、、というのである。

昔の童話に、「王様の耳は馬の耳」という作品が在りましたが

心情としては、募る感謝をどこかで表現しないとさっぱりできないのでしょうね。

梨はいつも10個送ってくる。

言いたいことを聴いてあげる役も、医療には大切なことだと思っています。

梨を私に送ると、すっきりするから、受け取ってほしいというのです。





梨、、、なし、、、ナシ。。。生し、、、

私自身の事は、、、忘れてしまった、、、友人に

「弟の代わりに、、、食べてあげるから、、、」

思わず、学生の頃の会話になりますから、

私自身は忘れられてる自分自身が微妙に、、、

ピエロに思えるのですが、

癌からの生還であるという事は、

「忘れられない事なんですよね!」

彼女には、、、友人よりウエイトの重い回復という奇蹟に思うのでしょうね。

解る様な気がします。

千葉の梨は絶妙に美味な喜びの味がしました。」

忘れはしない、、お顔も知らない人とはいっても

、無事生還の何十年もの歳月は

私でよかったら、、、梨でも、カキでも、、、ミカンでも、

話を聴きながら食べていますよ。、、、

友達だっていう事を忘れない限りはね。