枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自分であること

2009年04月14日 | Weblog
 雨が降った。昨夜からの雨に、水遣りをしなくていいので安心。新聞には、何やら雷があったような記事。銀河の天気予報は当たるのです。地震も、何時、何処でどの位の規模で、と言う詳しいことまでには至りませんが、近じかあることはわかります。

 私の予知夢はその程度ですが、以前はかなりの邪悪な気配が支配していたから、パワーも並大抵ではなかった。そういうのが連動すると、破格の力に膨れ上がることがある。これは止めようがない。完全犯罪みたいなものです。
 
 私がしているのに、実際には他の人にさせる。意思の自由を奪って、強制的にさせてしまう。宮部みゆきの、英雄の書を新聞の連載で、読みながら愕然とした。真実、体の震えが止まらなかったし、怖くてしょうがなかった。人の心がよめたり、感じ取れることほど、呪わしいことはない。

 その力を知らないでいる方がよかった。コントロール不能になる恐怖は、壮絶なものでしかない。Aさんに水を分けてもらいに行き、思うままに話し、問われるままに答えていると、何故わかるのか不思議がられる。科学的な根拠もないし、説明できるものもないもの。でも、そのことがわかる。

 同時に、Aさんの驚きも伝わるから、自分がとても嫌になる。自分であることを消したくなる。またしては同じ事の繰り返しである。いつも劣等感に苛まれ、自分を信じてやれない。とてものことに好きにはなれない。祖母が生きていたのがせめてもの救いだったのは、祖母にも力があったから。

 祖母が亡くなって、数十年の歳月が経っているが、思い出すのは、唯々、祖母への懐かしい想いばかり。今朝も夢に出てきて、私の進むべき路を教えてくれたような・・・。あの時に一緒に往きたかった。永遠に自分との別れを告げたかった。

 もうそろそろそっちに逝っても佳くはないですか?神さまが教えてくださいますか?その呪縛が解けない。研修で、講義を受けた講師の体調が、なんだか気になって、はがきに期間中のお礼と、ご様子をお尋ねしたら、お返事が届きました。

 とても不可思議な廻り遭いのような気が致します。そういうことも間々あるのですね。でも、ご無事なことがわかって、少し安心致しました。気配を察する、というのではないのですが、異変を感じていましたから。私のパワーを僅かでも感じ取ってくだされば、と枇杷の波動を贈らせてもらいました。神の祝福がありますように祈ります。

 昨年。自家製農園で採れた、と持参された枇杷の実です。一見どうということのない実ではあるのですが、甘いのとそうでないのとの差が激しい。偏っていましたね。

 折角戴きながら、美味しくないとも言えませんでした。我が家のは、甘酸っぱさが均等にあり、専門家の方にお褒めの言葉をかけてもらえました。やはり肥料の関係でしょう。

 また寒肥を与えているのと、タイミングもあるのではないのでしょうか。今年の出来が気になるところです。左下のは枇杷茶パックです。
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