枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

光と闇

2009年04月24日 | Weblog
 天気が晴れてばかりだと、日照続きに成る。雨ばかりだと洪水になってしまう。それらが交互に、適当に来るから、生活もできる。生きてもいける。自然の恵みには、人間は勝手に変えてはならない法則があるんだ。とこの頃頓に思う。

 日本人だけではなく、文化の整った地域では、災害に遭った時、そこからの出発に、めげてしまう人間が多い。未開地では、電気も水道もないから、食べていけれれば、それだけで佳く、それ以上を望まない。けれども、機械文明に慣れてしまい、それが当たり前の生活になっていると、水も飲めないので死んでしまう。

 況してや、人間に飼われているペットはより悲惨。自活は絶対にできないし、自然に還ることもできないだろう。で。突如として、本能に目覚めたら一体どうなるか?この世に、光の溢れる世界があるとすれば、同じだけ闇の世界もあるのではないか?

 闇は、決して表には出ないが、心を支配すべく、いつも隙を狙っている。スポットライトを浴びすぎて、自分を見失ったら、瞬時に現れて呑み込む。我に返っても、最早リセットできない。普通がいいよ。自然に任せて生きていられる、そういう幸せはお金を出しても買えません。

 日常生活の中で、自分のしていることと、他人がしていることの差に、びっくりすることがある。洗濯時の衣類は、裏返して入れたり、重ねたまま入れる。干す時に、衣類の皺はそのまま、棹またはハンガーにかけるのに、裏向き、或いは北向きで干す。

 自分ではこんなことをしたことがない。時間がない!って冗談でしょう?ちょっとした手間を惜しんで、取り込んだ時に困るんだよ。昔、子どもが小さかった頃、夫の妹が、おしめをしわくちゃで干し、そのままたたんでいて、注意したらアイロンをかけた!!絶句したのを思い出した。

 安い衣料を買って、何回か着たら捨てる。あたしゃごめんです。安物買いの銭失い。と言われる所以です。質のいい物で、シンプルなのが着回しができるし、何年でも飽きません。躾の基本を教えておくのは、親の努めです。拘らないのがいいのかもしれませんが、あまりにもだらしない。

 亡くなった時には、皆で服を着せたり履物を履かせるが、生きている人間にはしない。今時の若い人には、時間のことしかないから通じなくて、じっとしていないで。と言われてしまう。う~ん。なんだかなぁ・・・。

 庭のリナリア。種がこぼれたり、風で飛んで、あちこちに群れている。きんぎょ草のミニで、枝分かれして、次々に咲く。色も様々で、ピンク、イエロー、オレンジ、パープル、ホワイトなど。枇杷の木の周りで、金魚たちはうれしそうに、遊泳しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする