枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

人間の真価

2009年04月15日 | Weblog
 火の鳥の飛鳥編だったかな?猿田彦の子どもを宿したうずめが、おてもやんの顔から本当の自分の姿になって、敵国の男に対して高らかに笑う場面がある。何故か、あのシーンが焼きついている。

 美しい人は、醜めになってみれば、顔だけがいいのか、その本人が好きなのかが真実わかる。というのだが、人間の本質の見抜ける賢者が、どれほど居ようか。シンデレラになれば、言うに云えぬ苦労があるし、知性も教養も備わっていなければ、他国とは渡り合えない。

 権力と金にしがみ付いていたら、クーデターが起こる。トップの地位を守るためには、弛まぬ努力が必要だし、怠らない心も至極当然だよね。しかし皇帝も、とても淋しい時がある。夜になると皇帝の庭に、慰めに来るナイチンゲール。美しい声に聴き惚れ、訪れが待ち遠しい皇帝。ところが宝石を鏤めた高価なオルゴールの登場。この際誰が悪い、というのでもない。

 皇帝は、淋しい心を優しく包み込むように、慰めてくれていたのが、ナイチンゲールだったことにようやく気づく。人間の真実のやさしさ、ってなんだろうか?上っ面だけで接すればいいことなのかしら?10人居ればその数だけ、対応が違うよね。でも、ありきたりの言葉を幾万回聞いても、そこに心がなかったら、伝わることは叶わないではないか。

 いじめにあった人の話を聞いて、わかるなどとは言えないよ。こころの奥底で涙が溢れても、本人ではないからわからない。だけどもそれ以上を耐えてみて、とも言えはしない。頑張れなんて・・・聴きたくもない言葉だ。遣り方は多々あったんだけど、それしか思いつかなかったのだものね。

 聴いてくれるのが、風や空や花であってもいい。自分という存在を認めてくれるだけでもうれしいよね。自然は邪魔にはしないもの。人間がお互いを憎み、必要ないようにしてしまう。神さまは、何のために人間を創ったのか?輪廻転生というけれど、巡り廻って、見つからない答えを悟らせるべく修行をさせているのか?そうかもしれない・・・。

 人間の傲慢さ身勝手さを、悟れば生まれ変わらせる。それの繰り返しをさせているのかも。今の私は、神の視させている、幻想なのかもしれないな。

 地球上には、何億と言う人間が存在しているようで、その実、たった独りの思い描く夢の世界かもしれません。阿修羅の問う未来永劫の世界はあってなく、無くして傍らにあるやもしれない、としみじみと感じました。

 枇杷の花芽が、今年はばらばらと落ちる。実が大きくなってはいるのに、花芽がたっくさん、落ちてもいるのです。うひゃあ!!実になるのが少ない。殆どが下に落下してるよ。野菜屑を捨てたからかな?なんだかがっくりきちゃった。トホホです。

 コゴメ花は、ユキ柳ともいいます。今年の海棠とユキ柳は、花が極端に少ないです。水は切らさないよう、気をつけていたんですが、自然に対しては、知らないことが多すぎますね。もう一度初めからやり直しましょう。

 近所の公園にあるりんごの花?某テレビ局の、朝の連続ドラマで、画面一杯のりんごの花に、圧倒された思いがあります。あの時の女優さんは、お元気かしら?
コメント
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