芹洋子の歌うCDにある曲。以前は、何処かに行ってみたい、と思うばかりであった。それらが念じられて夢を視る。正夢になる。科学的な証明はできないけれど、その場面がピタリ!とはめ込まれる。
記憶と映像が重なる。小さな時から、恐怖に駆られて叫ぶより、声を呑み込んでしまう。体が動かなくて、じっと固まってしまうのだ。で、そういう自分をもう一人の私が、冷ややかに視ている。その決まったパターンが繰り返された。
映画やTVで大声を上げたり、絹を裂く悲鳴と言うのがあるが、どうもよくわからない。戦慄した時、人間の心理として、言葉も声も出ないと思うよ。出るとすれば、少し間を置いてか、現実に引き戻されてからではないのか?人間が殺人を犯すのに、一瞬にしろ、殺意がないのに、人が殺せようか?
計画性はないとは言っても、生きている者の命を奪うのだ。殺意が存在しなければ怪我であろう。死人に口がない、と言うがそれはない。突然に命を奪われて、殺されたお礼を言うか?ましてや見ず知らずの者に殺されて無念さこそあれ、喜んでなどいる訳がない。
松本清張が生まれて、100歳だそうですね。彼の一連の作品には、事実とも思える内容がある。中でも『黒の福音』『砂の器』『獣道』有名なのは『点と線』。何度もTV化された。題名の多くに黒がつくので、黒の作家とも言われているそうです。
砂の器の、主人公が小さい時、川で作る砂の器。作って崩れる、また作る。あの場面に心を鷲掴みされました。獣道の民子は、夫を殺した復讐が自分自身であることに気がつかなかった。最後の場面で、小滝が不適にほくそ笑む。人には殺すからには理由がある。弁護士が手回し良く、段取りをしてしまうのではないのだ。
冤罪は失くさなければならないが、人を殺せば、その者は、死刑が当然ではないのか。戦争も、指導者が殺人をしているのだ。ヒトラーがその例であろう。どんなに正当化したとしても、殺したのには違いない。
私も、はっと気がついたら、血の海にいた。生温かいぬるりとした感触に、ぎくっとして我が手に握られている物を見た。出刃包丁があった。真っ暗な闇に眼が慣れたら、生臭い物が鼻をついた。死体であった。天井を向き歪んだ顔の、姑の体がそこにあった。呆然自失の体。ああ・・やってしまった。そう思った。
自分だけが生きている訳にはいかない。ワタシモシナナケレバ・・・。デモコドモタチヲオイテハイケナイ。その時点でやっと声が出た。思いっきり叫んでいた。その声で眼が覚めた。今でも、あれは夢ではなかったように思う。
きっと何処かの世界で、私は人を殺して来たのではないか?あんなにはっきり、リアルに、感触まで覚えているのだ。この先ずっと神の許しを請わなくてはならない。声が耳に聴こえたり、視えてしまうことで、自分を戒めている。
長崎赤枇杷の実が生って、種をそこいらに埋めておいた。出てきた当初はちっぽけな苗で、育たないのではないか?と思っていた。丈は5cmくらいで、発育はよくない。それでも新芽が出てきている。枇杷葉も、種の大きさに合わせての、苗のようです。淡路田中の苗は、全体に元気がいいのです。
記憶と映像が重なる。小さな時から、恐怖に駆られて叫ぶより、声を呑み込んでしまう。体が動かなくて、じっと固まってしまうのだ。で、そういう自分をもう一人の私が、冷ややかに視ている。その決まったパターンが繰り返された。
映画やTVで大声を上げたり、絹を裂く悲鳴と言うのがあるが、どうもよくわからない。戦慄した時、人間の心理として、言葉も声も出ないと思うよ。出るとすれば、少し間を置いてか、現実に引き戻されてからではないのか?人間が殺人を犯すのに、一瞬にしろ、殺意がないのに、人が殺せようか?
計画性はないとは言っても、生きている者の命を奪うのだ。殺意が存在しなければ怪我であろう。死人に口がない、と言うがそれはない。突然に命を奪われて、殺されたお礼を言うか?ましてや見ず知らずの者に殺されて無念さこそあれ、喜んでなどいる訳がない。
松本清張が生まれて、100歳だそうですね。彼の一連の作品には、事実とも思える内容がある。中でも『黒の福音』『砂の器』『獣道』有名なのは『点と線』。何度もTV化された。題名の多くに黒がつくので、黒の作家とも言われているそうです。
砂の器の、主人公が小さい時、川で作る砂の器。作って崩れる、また作る。あの場面に心を鷲掴みされました。獣道の民子は、夫を殺した復讐が自分自身であることに気がつかなかった。最後の場面で、小滝が不適にほくそ笑む。人には殺すからには理由がある。弁護士が手回し良く、段取りをしてしまうのではないのだ。
冤罪は失くさなければならないが、人を殺せば、その者は、死刑が当然ではないのか。戦争も、指導者が殺人をしているのだ。ヒトラーがその例であろう。どんなに正当化したとしても、殺したのには違いない。
私も、はっと気がついたら、血の海にいた。生温かいぬるりとした感触に、ぎくっとして我が手に握られている物を見た。出刃包丁があった。真っ暗な闇に眼が慣れたら、生臭い物が鼻をついた。死体であった。天井を向き歪んだ顔の、姑の体がそこにあった。呆然自失の体。ああ・・やってしまった。そう思った。
自分だけが生きている訳にはいかない。ワタシモシナナケレバ・・・。デモコドモタチヲオイテハイケナイ。その時点でやっと声が出た。思いっきり叫んでいた。その声で眼が覚めた。今でも、あれは夢ではなかったように思う。
きっと何処かの世界で、私は人を殺して来たのではないか?あんなにはっきり、リアルに、感触まで覚えているのだ。この先ずっと神の許しを請わなくてはならない。声が耳に聴こえたり、視えてしまうことで、自分を戒めている。
長崎赤枇杷の実が生って、種をそこいらに埋めておいた。出てきた当初はちっぽけな苗で、育たないのではないか?と思っていた。丈は5cmくらいで、発育はよくない。それでも新芽が出てきている。枇杷葉も、種の大きさに合わせての、苗のようです。淡路田中の苗は、全体に元気がいいのです。