枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

お祓いの効用

2009年10月27日 | Weblog
 勤務先でのスタッフ。一人は家で、足を捻挫して出勤。一人は、足首の腫れが悪化して休む。もお一人は、仕事中にぎっくり腰になる。休みの者が狩り出され、緊急事態発生でした。今日は、8連勤後の休み。主任は、体調不良で復帰が危ぶまれている。祟りだろうか?お祓いをしなくちゃ・・・。

 いやいや。なまじいいかげんな事を、言うてはなりませぬ。祟りなど、何の根拠があって故です。神頼み、というが、仏の顔も金次第ですぞぇ。個人的には、視えていますから、言ってる事がかみ合わないので、はぐらかしています。だってさ、信じてないでしょうが。何度もしちゃいけないよ。って言ってるのにさ。わかってないんだもの。私は、知りませんよ。

 私は、魔よけを持っているし、邪気を祓えるから、一向に構わない。私に彼らは危害を加えられないのだもの。そういうのが、つまりは主任に往ったのかもしれない。言葉の持つ威力も、私にではなく、言った人に還って往くからね。自分の力を過信してると、必ず報いを受けるんだよ。奢るなかれ。侮るなかれです。当たり前のことを、当たり前にできることは、感謝しなくちゃね。お陰様で、ありがとう。心から言えなくちゃ。罰が下ってからでは遅いよ。

 以前にも書いたんだけど、私を逆恨みした人が亡くなったんだよ。独り相撲だった。バイクで電柱に激突して、即死だったらしい。怪我したり、病気になったり、結構悲惨なことになってる。まあ、私にというより、枇杷葉を信じてないことも一因かな?枇杷葉は、お釈迦さまの教えの中にもあるからです。一概には言えませんが、上っ面だけの姿を、お釈迦さまはご存知なのでしょう。

 これは私自身にも言えることで、謙虚な姿勢を貫きたいものです。常に努力を怠らず、精進していく考えです。万能な人間は、存在しないかもしれませんが、自分の生活より、他人を気遣うことを心かける気持ちや、相手を思いやる態度でいれば叶うことではないかしら?自分自身に対して、信念を貫き通すことだと思える。

 苦しいからと逃げたり、辛いからと止めてしまったりでは、自分の生きている価値がない。神によって、生かされている使命もない。個人々では、価値観も意識も差があって当然だろうが、私腹を肥やすことなく、誰かのために生きられて、死んでいけるなら本望ではないか。

 枇杷葉の効果を、一人でも多くの方に知ってもらい、元気になってもらえたら、私の役目も終わるだろう。それが中々できないから、現世での苦しみに遭わなければならないのだ。神は、なんと情け深いのであろうか。慈愛の心をもってして、教え導いて居てくださるのだ。繰り返し々、何度でもお教え給う。それ故に、お祓いをする前に、自分の信心の原点を知らなければならない。

 枇杷葉の生葉を、ダンボール箱に詰めて、リエさんに送ったよ。枇杷葉温圧療法をしてね。今日、Aさんにしてあげたよ。とても気持ち良さそうだった。
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