枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

カレンダー作り

2009年10月02日 | Weblog
 来年のカレンダーをそろそろ始めなくちゃ。と携帯で写真撮影をしている。マンネリ気味もあるので、思案中です。我が家のですから、人物も入れますが、やっぱり自然の景観がいいかな。とも思うのね。今日の鞆の浦の判決ではないけれども、地球に残っている当たり前の風景が、なんだかんだと消えていくのには、一抹の淋しさがある。子どもの頃のままでもどうだろうか?思うに、ゴミが散乱していなくて、(コンビニの発泡スチロール、煙草の吸殻、菓子袋、瓶や缶等)彼らなりに工夫をして遊べるのがいいな。と考えている。

 私が、柿の木に登って腰かけていると、いつの間にか祖母が下に来て、「寒うなったで下りろ」と小さいが厳しい声で言う。地面に両足がきちんと着くのを見計らって、「枝が軟いで上がるな」と諭す。祖母は、決して声を荒げなかった。孫が大声に驚いて、それこそ足を踏み外したら、と言う思いと、高い所まで登っている、孫の自信を壊さぬよう配慮していた感がある。単に祖母が大声で、「柿の木は折れやすいから、上がってはならぬ!」と叫んだとて、同じようにも思えるが、それでは実際に、枝が折れるまで登る、私の性格を知っていたからであろう。

 祖母は、明治の人だったから、学校も尋常高等小学校の、二年生くらいしか行かせてもらえなかった。と話した事がある。けれども、自然をよく学んでいて、天候や季節の山を知り尽くしていた。同時に生き物が何処には何が居る、というテリトリーも熟知していた。そこに人間が踏み込まなければ、危害を加えられないのだと常々教えてくれもした。だから祖母についていれば、自然の恵みを分けてもらえることが多かった。生まれながらの水呑百姓で生涯を終えた。

 今、私の言う事やしていることには、そういった祖母の教えが多分にある。先日も主任が、私の知っている事柄に、感心してくれたが、単に記憶がいいだけです。加えて言えば、以前にもここに書いたが、漢方医のIさんが、突然頭の中に話しかけてくることもあります。Iさんは、漢方医としてとても素晴しい方だったそうですが、志中途で夭折されました。お墓掃除とお参りに行かせてもらいました。

 私の平熱は低いのですが、最近は体中が熱くなってしまう。パワーの放出を処構わずしている。というか、私の傍に寄ってきてほしくなくての、本能的な行動かもしれない。バリアーを張ってます。我が家に居れば、天空への放出が可能ですが、勤務先からだとちと遠い。でも、時空の彼方へ向けての行為なので、幾らかはパワーアップしてしまうように思います。そういうのがわかったり、感じたりしてくれる人が近くに居ればいいのだけれども、生憎全く、壊滅的にいません。

 枇杷茶をね、飲んでくださいよ。そんでもって、飲むにしても心で感知してほしい。私は、何時如何なる時にも、心を込めて淹れます。安物のお茶にしろ、同じですね。だってそこには、作ってくれた人の心があるからです。丹精込めた物品には魂さえ宿っています。TVで興味本位に見せているような、恐怖ではありません。そういう事に気がつかないから、祟られたり、怨まれたりするのです。

 人間は、聖人君子ではありません。また万能でもないのです。だからこそ、そうありたいと望み、研究し、学んでもいけるのです。人間は何人も弱く、無防備ですから、自分を守ろうとするのでなないかな?他人のことを思いやる前に、我が身を大事にする。至極当たり前な心境です。私は、自分が生かされていることに気がつき、他人からの思いやりに触れて、援けてもらえたことに感謝できたよ。だからこそそのことを忘れないでいようと想うのね。

 水を分けてくださるAさん。千葉のRさんとはまるで引き寄せられた出会い。友人のMさんやサンタさん。イタリアに移住してしまったMさん。作家のSさん。これらの何等接点のないような関係が、実は枇杷葉で繋がっていることに、軽い驚きがある。そうして、子どもの頃にうなされて、遭ったこともない面影に何度と怯えていたことが思い出される。ジクソーパズルがぴったりあう。夢は正夢であった。いや夢などではなく、出会うべく人への予知であったのだ。

 外は雨です。金魚草の種を蒔いたよ。これは蟻が好きで、巣穴に運んで行くのだが、ここ当分出てこられないので。銀木犀は咲き終わりました。枇杷葉の苞が、日に日に膨らんできています。
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