枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

煌く数多の・・・・・

2009年10月20日 | Weblog
 昨晩の流れ星は、比較的小さめな物が多かった。五つばかりは、あっ!というのが飛んだが、夏のペルセウス座流星群のように、流星痕のあるのではなかった。けれども、夜にしては温かかったのと、家の庭からの観望ができたことです。午前3時を越えると、さすがに明日のことが頭を過り、布団に潜り込みました。天文台では飲酒ができませんが、風呂に入った後だったので、枇杷種酒は効きました。体がぽかぽかして、寒さはさして感じませんでした。

 天文台でも飲めるのですが、車の移動を考えると、♪高い山から、谷底見ればあぁ・・・。ってな事にも成りかねません。一応、午後からとは言えども、仕事にも行かなければ。まあ、田舎のこと故、家々の明かりが消えたら、星の輝きも一際違って観えました。しかし首はだるかった!

 下々の者の楽しみは、できればお金のかからない、自然満喫がいいですね。古の人にとっては、恐怖でもあり、謎でもある宇宙の星々は、少しづつながら姿を変えて、今尚、人類の頭上で煌いている。人々の心の中に宿り、はたまた活字として、幾億の年月を、語り継がれてきたことだろう。なんという神秘であることか!

 来月には、しし座流星群。再来月にはふたご座流星群と続きます。今年の流星群が好条件で観測できるのには、新月か、或いは新月にさしかかるので、月明かりがないことです。また、秋になれば、大気が澄んでき始めるので、広がり往く雲を気にしなくてもいいからです。天文台に出かけて、雲に覆われた宇宙に、甚くがっかりした思いは、一度ならずではありません。

 某新聞の、日曜版に連載されていた、旧暦のすすめ。月の満ち欠けと、満干潮の働きに沿って、種物を蒔いたり、鉢の移動や、挿し木や挿し芽をした。昨年は、失敗ばかりであったのが、今年は時期を過ぎているにも関わらず、ちゃんと付いた!思い返せば、祖母が実践していたことであり、少ない田畑を守っていく、知恵と工夫であったのだ。子どもの頃には、無意味に感じていたことが、ちゃんと自然の教えを守った、生きる術であったのですね。

 インフルエンザも、A型だの、新型だのと巷は姦しい。一般論としては、致し方ないことでしょう。私は、枇杷種酒を飲んで、嗽と手洗いとを続行しています。自分だけなら、枇杷茶で充分なのですが、何分相手がいては、そうも言っていられない。でも。枇杷葉は、すごい威力ですね。殺菌作用もすごければ、免疫や抗体を作っていくのも、計り知れない。緑茶に含まれているカテキンも、更にうわまるようですね。麦茶は、脚気には効きますが、風邪の予防にはなりません。嗽には、番茶もいいのです。医者に頼りすぎないでおくことも大事。自分の体は自分で守るよう心掛けたいものですね。

 長崎の赤枇杷。葉の中心が膨らんで、目立つようになりました。私は、これを苞と呼んでいる。軟らかな苞の、薄茶色の膜を破って咲くのを、花芽と言っている。白い可憐な五弁の花弁が、重なり合うように咲いていく。その芳香は全身を癒してくれます。今朝には、まだまだ硬い苞の状態でしたが、匂いはそこはかと漂ってきていました。携帯に撮っておきました。
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