二十四節気 立春 立春は、冬の陰気に閉ざされた万物に、春の陽気が立ち始める、という意味で、立春と言われている。毎年、二月四日頃である。何となく、春の気配が感じられる日で、のんびりとしていたら、職場の同僚が、お赤飯を作ったから持って行くと連絡してきた。珈琲を挽いて淹れたばかり。
待つこと十数分で到着し、珈琲を淹れて枇杷葉のことに触れる。猫の気配がしないと不思議がるが、排泄の臭いがないのに驚く。風呂場に、黴がないのにもびっくりする。床も、ピカピカであるのに目を丸くする。枇杷葉の威力に感心して、慌ただしく帰った。実際に自分で確認しなければ、分からないよ。
加えて、枇杷葉茶を飲まなければ、我が家に来るのは難しい。それにわたくしの話すことに耳を傾け、心に留めてくれないと、玄関払いになってしまう。これには邪気が必ずあって、多少でも取れていないと、家自体が拒むようだ。尤も、玄関には箒を立てているので、玄関を安易に開けることはないのだ。
節分の巻き寿しを作って、娘夫婦を待っていたが、連絡がない。ストーブも点け、用意は整っているというのに。来ないのかと電気も消し、がっかりしていたら到着する。まあ、遅いとは言っていたが、早10時ではないか。さぞやお腹が空いているだろう、と食べさせ、明日の分も持たせて帰らせる親心。
新車に、カバーを掛けておかねばと、悪戦苦闘する。結局、型式を間違えての注文と分かり、がっかりするが、包みを開けてしまったので、返品は利かない。この分は、ポイントもなかったしで更なるダメージが被さる。つくづく早とちりはいけないことを知る。すばると昼寝をしよう。陽だまりが暖かい。
秋や冬の、風もなく暖か日を、小春日和と言うが、立春を過ぎたら云わない。皐月晴れは、旧暦の皐月を指し、その頃は、新暦の梅雨時と重なる、空の表現でもある。皐月雨を集めて速し最上川。が有名だが、情景が分かれば、大水の濁流が最上川をのたうつ様子が眼に浮かぶ。昔は水害に苦しめられたが。
然しだからこそ、自然を畏怖し、天を侮らず、地に感謝と祈りを捧げ、大切にしてきたのだ。星を眺めて一日を安堵し、明日の天気を知った。だからこそ異変が分かりもした。現在は、余りにも情報に頼り過ぎて、直感を信じることが少ない。だから逃げ遅れたりして、命を落とすことにもなってしまう。
宇宙を観たり、星を眺めていると、少なからずささやきの聴こえることもある。月のやさしい光を観ていたら、天女野舞いが・・・