枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦、睦月・七草

2018年02月22日 | Weblog

  田の畔を歩いてみたら、すずな、なずな、芹、はこべな、ごぎょう、仏の座、すずしろもよく探せば見つかる。この時期に、若菜摘むというのも分かる。古の人々は、今ならさしずめ風流だが、そういうのは上流貴族の生活だけです。

 研修の内容や日にちを、きっちりと記憶する上司は仕事が出来る。また、聴いたことに対しての返事は、パソコンに資料が保存されているので、直ぐに見れば分かる。他人任せのいい加減さに厭きれる。やれやれ惨めなこと。

 人間ほど、他人の真似をするが、コピーを丸写しや、そのまま出すのも恥ずかしい、と思わないのだろうか?書籍をじっくりと読まないから、意味も分からず、普段通りの溜口で記述したりする。それって文章じゃないです。

 二十歳になれば、家庭での躾は手を離れる。それまでにするのが躾。加えて就学までには、基本的生活習慣を身につけさせたい。そうして見本となる大人が教えなければ、これは暴走してしまうし、集団生活に馴染めないよ。 

 早出勤務を終えて帰宅すると、珈琲が届いている。隔月の購入だが、これがとても美味しい。Aさん家の水で淹れるので、更に味が良い。高々、珈琲と言うが、風味が実に宜しいのだ。サンタさんが、止めて困っていて発見。

 普段には、枇杷葉茶を飲むので、刀豆にも、千振にも使う。お茶は、農薬がたっぷり掛かっているから買わない。ペットボトルも買わない。もらっても飲まない。容器は使うので、綺麗に洗っておく。寒中の枇杷葉茶を保存。

 新幹線で上京の折には、魔法瓶に容れて行く。帰りは、リエさんが容れてくれたりするが、売店や自動販売機での購入をしないので、空容器はあり難い。暑いのを容れることもあって、大切に使っている。塵で捨てるなんて。

 介護の業務中には、その都度、淹れて飲めないので、朝沸かしたのを魔法瓶に容れて行く。温かいのが美味しいので、ちょびちょびと飲む。珈琲も淹れて飲むが、同僚にも注ぐ。小川珈琲がいける。まあ、これは価格の問題だ。

 天気が思わしくないが、明日は雨だろうか。降れば降ったで遣ることがあるし、天気なら、枇杷葉の生葉を少々採ろう。焼酎に漬けておいて、自分の腰痛用に置いておく。人さまのこともだが、何を於いても用意だけは万端に。

 来月になったら、人間ドッグに行かねば。勤務をする以上は、仕方がないとの事だが、年齢を重ねてくれば、ガタがくるのは当然のこと。だからと言って、病院に罹り薬の世話になりだすと、すっかり歳をとって病人になるよ。

 北側に種をばら撒いたのが発芽した。昨年は、ここから数本ばかりがもらわれた。

 

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