枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月二日。

2018年02月17日 | Weblog

 旧正月の二日は、少しばかり風が強いものの、天気である。午前中を寝正月にしたいところだが、すばるに起こされる。お腹が空いたと喧しい。蒲団を干し、洗濯機を回しておいて、自分の朝食にかかる。珈琲を挽き淹れる。久々の窮極の一時に新聞を広げる。嫌な雲行きに開いた口が塞がらぬ。

 憲法の条文を変えるのは、自民党の一存で可能か?そんな好き勝手を、皆が許す筈もないのを、人数で押し切るとは。自国の憲法を、意味も分からず変更する理由は、一体どういう了見だろう。それよりも、森加計問題をはっきりさせることの重要性を考えていかねば。そこから逃げての時間稼ぎ。

 昨日の荒神さまへの参拝で、駐車場からの距離が遠いので、寒くても引き返せないからと、重装備で歩いたが、温かくてとてもよかった。買えり際に、歩道橋の上で、何処かの爺さんが、足の痛みを嘆いているのに行き会った。枇杷葉の生葉を、足の中に入れて歩くといいよ、と教えてあげてみたが。

 膝や足が痛くなったら、何が何でも医者に行くが、そんなもの年齢で、老化現象が起きているのを、治せる手立てはない。精々が湿布を出されるのが相場であり、お大事にで済ます。治療法はなく心掛け次第。大体が、自分で遣ればできることを、誰かのせいにしたり、他人任せにするからだ。

 人間には元より、自然治癒能力が備わっているのを、金を払ってまで医者に行こうとする。時間も無駄なら、病は気からでしょう。以前には、わたくしもそうだった。然し、罹りつけのDrが変人で、診察や訴えは丁寧にするが、薬を極力出さない。副作用のあることを話し、常に飲んでいると変調が。

 感情のコントロールを、時間は掛かってもしていけば、自然治癒能力は高まってくるし、免疫や抗体にも変化か起きる。それを援けるのが枇杷葉だ。自律神経失調症には特に好。身体の働きを穏やかに転じていく。だが。どんな物にも、最初から合う物はなく、使用するには信じることが一番となる。

 自然界の掟を、心に留めおいて、正しい処方で用いる。先ずは、一から始める。加えて、多くを望まない。継続は力なりです。枇杷葉だけでなく、アミグダリンは様々な種に含まれる。杏や梅、桃にもあって、種の中にある、仁の核に存在する。これは熱に弱いが、生は青酸カリに匹敵する猛毒である。

 枇杷葉では、枇杷の実を食べた後、種を乾燥させるか、焼酎に漬けこむ。期間は2年位置いて、そこから使うように。あらゆる症状に効果があるが、飲用には注意が必要だ。そいった知識を知っていないと大惨事に陥る。何時かも、枇杷葉の話を、自分の都合だけを優先した方が居て大変なことに。

 症状として、気分は悪くなるわ、嘔吐や下痢をしたと、言いがかりをつけてきたが、肝心な注意点を聴いていなかったのだが。生の種を20個も口にすれば、誰だって危篤状態に。全く以って、自分本位の解釈位、厄介なものはない。症状に応じた処方をきちんと聴かねば、効果も何もないでしょう。

 癌に効くというだけで、食べたと言うから呆れ果てた。これで亡くなっていたら、どうしたんだろう。実に枇杷葉迷惑な話だ。自然の物を口にするからには、祈りと感謝の心も大切で、そういった気持ちが欠片もなく、自分勝手な思いだけでは、神さまは助けてくれません。分相応の物を戴こう。

 暮れに苞が開いてきて、花芽が咲き匂う。年が明けて徐々に変化があり、立春を過ぎたら結実が。

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