枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

辛抱強いのはきつい?

2018年02月27日 | Weblog

 虐められていても、黙ってどこ吹く風と素知らぬ顔で、自分の意思を貫くのは、性格的にはきついのだろうか?別に、仲間が欲しい訳でも、つるんでいたいのでもないからで、相当な意志の固さがある。あの手この手も、千手観音に及ばずと、相手にしない。阿修羅王と帝釈天の戦いを想い、あの長さを知れば、耐えられるものと、命を大事にする。

 自分のしていることが正しいのなら、御仏の罰も下ろう。神も、助けてはくれないが、真実であれば生きよと諭そう。虐められて惨めになるのは、自分ではない。野の花は、踏まれても刈られても、じっと耐えて春には咲く。あなただけの大切な命を、奴らにくれてやる必要はない。娘は、小学校時代に、担任にも虐められていたが、親は気づけず。

 田舎の少数の人数では、決まった者等が仲良くする。そんなどうでもいいような、と思えることも、産まれた時からの遊び仲間なので、更に事情が込み入ってくる。能天気な親であったために、まさか子どもが虐めにあっていようとは考えだにしなかった。修学旅行に行く時に、足の調子が悪くなり、皆に迷惑をかけてまでは行かない、という訴えに。

 この時の担任は代わっていて、話しをきちんと聴いてくれ、同伴するというこちらに、小さくて軽いので、ご心配には及ばない。と言われたが、何せ田舎の小学校。幼稚園からの付き合いは辛い。親の中には、同じ班ではないのに、自分の子が面倒を見るのは可哀そう、と言う。スポ少にも入ってないからとも。虐めていることはないと言い切られた。

 苛めは、昔から何処にでもあったが、陰湿で酷いのは最近のこと。筆箱がごみ箱にあったり、ノートを破られたりは、日常茶飯事です。親も、何かが可笑しいとは思っても、そこまでの苛めとは気づかない。我が子を信じてやれず、まさかの想いばかりだった。殺意を抱く時、というのはこういうのだ。だが、殺人を犯せば、今以上に我が子の立場が。

 娘には辛かった想いをさせたが、羹に懲りて膾を吹くで、腸が煮えくり返る思いを、きっと何時の日にか返せるから。と言い聞かせた。どんな人生を送るかは、自分で決めなければならないが、風に向かって歩いて行こう。と話した。今、幸せを満喫している娘に、生きていてよかったねと言いたい。人生の糧を自分自身で裁量できたのもよかったです。

 海棠の蕾が、そろそろ咲き出そうとしてきた。花の咲く姿が、茎から下がって揺れるさまがいいんですね。

コメント
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