激務を終えて帰宅途上、ふと宇宙を観ると、彩光が美しい。あっ、虹が出ている。図書館の駐車場に乗り入れて、携帯で撮影する。こういった自然現象に、皆無関心であるが、偶然とは言え、風景を眼にするチャンスは稀である。ああ、もったいない。何がどれだけ忙しいというのだろう。心を亡くさないでいたいものです。
職員の勤務者にも依り、動き易い日と、全く反対の日とがある。年齢さえなかったら、どうということのない業務も、全部を一人でするのは困難である。朝食の用意と介助、排泄の介助に、飲み物の提供。トイレ介助に昼食の支度。その後の口腔ケアと排泄介助。その後の水分補給とお八つであるが、実際目が回るのですよ。
日曜日と祭日は、施設内での食事の用意があり、献立や買い物が多くある。レトルトや冷凍食品ばかりでは通らないので、新聞や献立のアイデアを、どうしたら使えるかを考える。何しろ、食べてくれなければ、廃棄処分になるのでもったいない。本日は、餃子のタレを、酢・砂糖・白だしで作った。皿まで舐めていたそう。
皆、美味しければ黙っていても口にする。何となくその方の好みが分かってくるが、何時もは隔たりがあるので作れない。簡単なと言っても手間は必要で、これは作る者の気構えかもしれない。刻み食が多いので、見た目では食べてもらえないが、盛り付けには注意している。手抜きをするのとは少々違うのだが難しいねぇ。
明日は休みにしていたのだが、人数不足で、午後からの時間を出ることにした。こちらの都合もあって、遅出ばかりはできないのを、ああだこうだと言うので断る。年金だけでは暮らせないが、余り働き過ぎると税金が増える。貧乏人への虐待かも知れない。と些か立腹するが、政府の目論見は、もっと他にありそうな気も。
石川啄木さんが、この時代に生きていたら、何と言うだろうか?働けど・・・じっと手を見れば、皸だらけである。白魚のような手等、有得ませんよ。枇杷葉のお陰で、どうにか凌いで入るが、これも無かったら、状況は悲惨、惨澹たる死活問題となる。戦争への道を歩む前の、引き戻せない深みか。武器も核もいけません。
友人の実弟さんが、花木店に行っていたのに頼んで買ってもらった。このところ花が少なくなったが、風に揺れる花が素敵だ。