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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

翁長沖縄知事死去!

2018年08月09日 | Weblog

 体調が思わしくないのは、薄々察してはいたものの、余りにも急なことに、朝刊の1面を見、言葉を失った。その体調不良の我が身を顧みず、唯々沖縄の未来を考えて、訴え続けてきた辺野古移設反対。命と引き換えにして、沖縄を守ろうとされた意志に頭が下がります。痛恨の極みに胸が痛む。

 私利私欲に走るでもなく、沖縄が沖縄県でいられるように、県民の自由と平等を常に考え、皆が納得できる方向を探り続けて、自分の命を犠牲にされた。沖縄は、沖縄であって、日本の政府のものでも、況してやアメリカの私物でもないのだ。広島と長崎に原爆投下して、未だに悔恨をしないとは。

 確かに、時代は変わっていくし、当時の者でもないかもしれない。然し、それでは失った命を考えることにはならないよ。戦争とは、国と国の争いであり、国民には罪はない。名目がお国のためと言うが、それだったら責任は国にあろう。自国の罪を認めてこそ争いは終わる。言葉だけでなく心から。

 便利で快適な生活の矛盾なのか。機械に操られていることに、何等疑いを持たず、気づかずでいれば、戦争が始まってしまう。武器を輸出し、輸入して、核兵器を作り蓄える。原発再稼働の裏には、処理しきれない大量の、プルトニウムが残るのだ。その費用も莫大なもので、国家の赤字国債を増やす。

 わたくしの命と、翁長さんのと、返られるものならと願う。沖縄の先行きを案じて止まない。人間が人である為に、何が必要なのだろう。思い上がった行動ではなく、謙虚さと慮る気持ちでいられること。命の変わりはないが、余りにも速すぎる死去に哀しみが増す。神は惨いと思わずにはいられない。

 勤務先に着いて、清掃当番なので、業務前にしておく。台所の床も、玄関のマットも、塵が落ちていても見向きもしない。専門のことではないから、徹底してまではしないが、それなりに人の出入りがあるので、掃除は大切だ。以前は丁寧にしていたのだが、最近はポイントを押さえて遣る。時間も掛る。

 水無月も終わりに近づいた。暑い、雨の少ない季節であった、と振り返る。古人が水の無い月と呼ぶのが、今更のように分かる。帰宅して、水遣りをするものの、風がないので暑い。然し、台風の影響からか、酷暑でも猛暑でもない。少しづつではあるが、凌ぎ易い季節に転じている。読書の秋も近いよ。

 猿梨の花。小さな愛らしい花だが、最近は実が付かない。地植えにしたのがいいのだろうか?

 

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