枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

文月の宙に

2018年08月24日 | Weblog

 旧暦では、文月は既に秋になる。その宇宙にから、今年は眼が離せないのは、金星や木星、土星と、火星の大接近にあろう。見かけの大きさは24'.3視直径で、光度は-2.8である。大都会の明るさの中でも人目を惹く。二つのフォボスとデイモスも確認できよう。次回は2020年で、光度も下がる。

 足の痛みが引かず、腫れあがってしまったので、勤務を休む。昨夜には、蒟蒻を当てて可なり腫れは引いて来たが、立ち仕事であり歩行が困難となれば、業務が出来ない。すばるを外に出さないでいるが、野良猫に目を付けられたのに困惑する。それでも雄であれば闘争本能は隠せまい、と反省す。

 熱のせいか食事も欲しくなく、ぐったりであるが、蒟蒻と枇杷葉の生葉での手当てである。本来なら、肉が裂けて骨が見える状態だろうと判断し、精神的なことも然ることながら、痛みが引かないのに迷う。蒟蒻は、冷やしたのを当てての治療だ。ひんやりして気持ちが好く、うとうとするばかり。

 若草物語。子ども向けでは、ロウレンス家との付き合いで、父親の帰宅を待つ所までだった、と記憶しているが、本作では、ジョーがべスに死を受け入れることを告げられ、哀しみを超えて作品を仕上げる。人生を生きていく上で、親としての愛情に溢れたオルコット作品に、原作を読み直そうと。

 小公女・小公子・秘密の花園にも、ハイジにも、表面だけのきれいごとではなく、人生の指針を含めた、作者の想いは時代を超えるもの。今時の薄っぺらの物にはない素晴らしさも。そういった内容が書ける作家が、亡くなられていくのに、一抹の淋しさを覚える。綺麗ごとばかりでは面白くない。

 石田衣良さんの新聞連載 炎の中へ は、読みながら涙が止まらない。東京大空襲の話は、とある作家さんからお聴きしてはいたが、これ程の悲惨さであったのかと戦慄するばかりだ。死体の上を踏んで逃げた、と言われた。そうしなければ自分が死んだのだ。よく命があったものだと話をされた。

 想像で映像を仕立てるのと、実際に現実で遭遇するのとでは、明らかに感情も違ってくる。沖縄の方の土地を勝手に騙して取り上げ、土地を返すこともなく、新たな難儀を吹っかける政府の遣り方には我慢できない。初めの状態に戻して、土地を基地に渡し、埋め立てを承認するのでなければ否だ。

 星を観上げ、宇宙の謎をかじってみれば、地球と言う青い星に棲む有難さが分ろうというもの。

 

コメント
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