枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

三寒四温、梅も綻び・・・

2021年02月06日 | Weblog
 弁当配達で往復する際沿道の梅が咲き始めていて、風向きで匂ってくるのが好い。我が家のは、堅い蕾の状態だがそれを待つのもうれしい。季節は自然からのサイクルで巡るものの、どういった出来事が起こるかもしれない。だが自然災害と呼ばれる事項には殆どが人工的な手が加わっている。オリンピックも人類の祭典なら歓迎もし、開催を歓ぶのだが違和感が拭えない。

 金と権力に囲まれての言いたいことも云えずの委員会。以前の栄光にも泥を塗る態度にも信頼感は欠けていくばかりだ。庶民には到底理解し難いことだが、自分の立場を守るとしか思えない。山下も橋下も権力にまみれている。あの感動した瞬間を鮮明に覚えている者としては、不快感も大きくなるばかりだ。例え支持する者が何万人と居ようとも、競技事態にも懸念が湧くよ。

 政治の世界に染まってしまった今となっては、あの頃の気持ちを忘れないでと言いたい。正々堂々と言う宣言さえも嘘で固まっているようにも。裏で動く金銭的な思惑を庶民に知られてしまったのだ、潔く辞任することを勧める。署名が届いてからでは遅い、加えて首相時代にも疑惑から辞めたのを、金に目が眩んでのオリンピック着任でしょう。蛙の面に何とかの例えかな?

 今朝、カーテンを開けながら庭を見ると、クリスマスローズの蕾が咲きそうになっている。これは1本の茎の上に沢山の花が咲くのだが、寒さに怯えてひっそりしていたもの。デジカメでの撮影をしておく。他にも蕾が開花しそうになっているのが数蕾あるのもうれしい。枇杷葉も陽射しに誘われてか、花芽が綻び始めているのが有難い。田舎暮らしの特権は、自己満足なのだが。

 室内での開花はベゴニアが数輪ばかり、常時咲いているのも心が和む。シクラメンは台所の出窓に置いているが、7輪が咲き5輪が蕾の状態である。毎年変わらずに咲いてくれるのもうれしいもので、夏場には水は遣らずで管理している。他のシクラメンの鉢も此処に移動させたが、今年は無理かな?観葉植物にはすばるが目を付けるので油断できない。台に上がって引っ張るのだ。

 風呂場にも入り込むことがあって、散乱状態に怒る気も失せる状況だった。要は、すばるの居場所の確認と、そういった物を置いておくのが悪いのだ。暫くは何も手に付かず涙も出なかった飼い主。今はオリズルランも増え過ぎなので、今回の霜でやられたのを際に減すことにした。中に仕舞わなかったわたくしが悪い、生き物の立場になって考えることは意外と困難なことでも。

 最近は新しいDVDを買わなくて以前のも観直しているのだが、カイル・マクラクカンの老け振りがいい。ケイト・ブランシェットは、指輪物語でもエリザベスやルイスと不思議な時計等どんな役でもさらりと演じる。役者は演じてこその職だが、これ見よがしの演じ方には鼻につく。若年性認知症状は、印象が大きく違った。普通にしていることが本人にはそれと分からないの。

 認知症状とは、新しい事への対処方法が理解できなくなることで、自分から何も分からないのではない。家事一般や働いていたことには時間は掛かっても出来る。要は自分をそこで必要としてくれているかどうか。誰がどんな方法でも心に寄り添うことでなければ、自分の存在を否定されたと思う。パティ・デュークが審査委員の問いかけに、ヘレンになり切ったのは有名。
コメント (4)
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