枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

違和感拭えず・・・

2021年02月07日 | Weblog
 違うんだなぁ…、自分で辞めようと決めたのなら誰が何といっても行えばいい。身内を持ち出しての釈明等、同情をさせての幕引きにするのか?女性に対する根本が違うんだ、それに気づこうとしていないことが問題。アラジンの実写版で、ジャスミンが父王(サルタン)に女はなれないと言われ、ジャファーにも綺麗で黙っているのが好いと皮肉られるが毅然と顔を上げる。

 日本の国民性の問題にもなるのだが、何故?寡黙で働くだけはしっかりと、口は挟まず控えておれという雰囲気がある。給料だって明らかな差はあるし、資格がなければ人間でないような風潮もある。職種に因ることも大きいが、今ではそういった者が犯罪を平気で犯す。信じられない愚行の数々は、一流大学出身ということも。学歴社会のツケかも、と嘆かわしいこと頻りだ。

 戦後の日本を曲がりなりにも打ち立てていこうとした当時の内閣も、アメリカの言い成りに事を進めていたのでもなかろうが、自分の立場を有利にさせたことは明白だ。首相の座に就くということには、一国民の全ての命を預かる立場になるのではないか。無論、強硬に出なければならない事例も、敢えて事を起こさぬように勧めることにも、賄賂も無論のことあったであろう。

 時代的な事実と真実には差があるのは必然で、それらの事柄を側近に訊ねたり相談しての判断を下す。自分のお気にいりを侍らせて、賛成せねば首という愚かさはなかった。権力は絶対であり行動に移せば戦争も止めない。だが、日本は第二次世界大戦後、戦争への参加はしないと頌っているのだ。国の指針を変えるには、全国民の賛同を得なければできない事に思えるのだが。

 言葉では至極綺麗ごとで済ませているが、人間の本音は戦前も戦後も何等変わってはいない気がする。無報酬での働きであったのか?それとも持ち出しでの役職だったの?後釜を前首相に譲る心算だったて正気の沙汰か!小説を地でいくような愚かしさ。コロナでの困窮者への思いやりにも、医療従事者へのねぎらいにも欠ける。やべぇ時代のツケが相当に表面化してきたねぇ。

 今朝陽射しも明るく青空でよろこんでいたら、見る見るうちに曇って来ての怪しさになる。気温は16℃と高いので洗濯物は外に干す。窓のカーテンを開けていたら何やら塊が…、すばるの毛繕いをしたのが吐いてある。畳にあったので雑巾で拭うが、毛足の長いカーペットだと難儀なのだ。枇杷葉茶で拭き取り、何度も水で拭いた後に枇杷葉ローションを塗布しておく。臭いが。

 机の上に置いてある箱に入っての、室内からの警戒中。押し入れに侵入を試みるが巧く開けられず、飼い主に見つかることになる。湿気と重たいので猫力では無理らしいが、もう1匹居るとすれば難なく開けていようとは思う。猫にも好奇心一杯のも居るようで、多彩な才能に驚くことも多いのだ。写真を見る限りでは何とも可愛い。これで悪戯をするのだろうか疑うことも。

 猫ばかりではない。人間も時と場合に依るものだが、環境での時間的な変化は否めない。流れは止まってくれないのと、その中で生きていくことの辛さや難しさは当人でないと分からない。わたくしにも悩みやストレスは多大にあるが、ではそれらを誰かに話してみようとは思わない。独りで問題を抱えながら、自問自答していすばるにも猫権があるのだからストレスもたまる。




コメント (2)
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