枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

珠も磨かねば・・・

2021年02月11日 | Weblog
 幼少時の記憶に因ったり環境や財産での差で育てば、人間形成に大きく変化があるのだろうか?時代背景もあるとは思えるが、山間の田舎の水飲み百姓では生きることが精一杯だった。お八つ等思うこともなく、何時も空腹で欲しい物だらけだった。小遣い等なく、買ってもらおうとするには手伝いだけでは無理だった。親の言うことを良く聞き自分から進んで行うこと。

 兄は長男の跡取り。妹は同性でも小さいと言い続けられた。裕福な家の子なら、お八つも買ってもらえるし、習い事も何でもできた。冬には隙間風が絶えず入り、夏には蚤や百足が徘徊し藪蚊の類は数知れず。兄妹喧嘩も何時ものことだが、食べ物や衣類など無く悔しかったものだ。親に似ていないので訊ねれば、橋の下で拾ったと答えられたことは忘れられない記憶だ。

 両親が年老いて介護を必要とした時には、金銭的にも余裕がなく動きも取れなかった。出来る範囲をすればいいとの約束にも、兄と妹は遺産分けから拒絶してきた。1億円ほどの遺産なら分配の配慮もあろうが、田畑の僅かでは何も残らないのにと呆れた。両親が相次いで亡くなった今は、ふる里に墓参りも途絶えてしまう有様。毎朝のお茶湯は欠かさずしているばかり。

 鬱屈した想いは、心のどこかに潜んでいるものと知っているが、それで両親を恨んでみても元には還らない。家長制度の田舎では到底無理なことだった。だが、素直だからこそ反抗もしたし、間違っていることには殴られても止めなかった。強情だと言うが潔癖なのだ。それで親を恨んでもいないし、親になった時点で納得することもある。心残りは寄り添いが出来ず。

 この歳になって判ることも、当時には理解できなかったことだ。生きていくうえでの様々な要因も、我慢を強いられ耐えることもある。そういった想いに気づける自分であることがうれしい。人を変えることは無理でも、自分が変わることは出来る。色々な書物を読み、悩み傷つき泪しても、前に行ける自分でありたい。努力するのは辛いこともあるが、自分なりで佳い。

 自分の感情を曝け出して心の長を言っても、誰も助けてはくれないのなら、視点を換えたり思考を真逆にするのも方法かもしれない。新聞を丹念に読むことも好い。図書館に予約していた書籍と雑誌を受け取りに行った。エカチェリーナ大帝・下の延長、渋沢栄一伝・幸田露伴 世界2月号 ながいながいねこのおかあさん・キュウライス文ヒグチユウコ絵 モエ2月号。

 けんちゃんのもみの木・美谷島邦子文いせひでこ絵 を借りた。日航機の墜落から35年が経った。この本は亡くなった児への複雑な心情が書かれていて胸が張り裂けそうになる。あの時、わたくしは呼ばれたのだ。そうして連れて往かれそうになった。今この本に巡り逢えたのは単なる偶然ではないと想える。大勢の断末魔の叫びを聴き、金縛りに遭ってしまったあの日。

 今、生きていることへの想いの数々に傷心の印が残る。助けてあげられなくてごめんね、何時かきっと生まれかわっておいで。何処かで誰かが待っているんだからね…あなたのことは忘れない。彷徨うことも哀しみの中で生きることもない無に還ったのだから。いせひでこさんのやわらかな温かい色使いにも心が癒されるよう。鬼ケ島通信からのファンでもあるのだが…
コメント (2)
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