今朝は雲一つも浮かんでいない青空である。然し、気温は低く冷たいのでストーブを点火する。弁当の日なので大根を切り干し状にして乾燥ワカメと味付け、白菜と揚げの煮物にサラダを添え酒粕に漬けていた小松菜を油で炒める。手直にある物での内容になるが、親が娘にしているようなもので家庭の味。相互に信頼関係での安さでしているので余り文句も無い。
他者のブログ訪問が楽しいのは、自宅に居ながら各地へ行けることであり、既に歩いた場所や思いでの懐かしさに心が揺れる。隅田川の桜が観たくて、滝廉太郎への感情にも触れて堤防に上がり川を覗いた。浅草はりえさんとしーちゃんと、お煎餅屋さんを探して迷子になりそうだった。奈良への散策も月ケ瀬にも、当時の想いが詰っている。御薪能は圧巻です。
阿修羅王像に魅せらて、何度も日帰りをした若かった頃の想いや、入江泰吉記念館までを大仏殿から辿ったことも。奈良には古き良き時代が好ましくあり、新聞連載の歴史小説に愉しみが見つかる。人生は平坦でもなく、そうかといって下り坂ばかりでもない。己の心の持ち方で螺旋を描くこともあれば、翔けていくことにもなるがありのままの自分で居たい。
枇杷葉には、人間の(個々に違う)自然治癒能力が備わっているのに、援けて貰えることで治されていく。生命力の持つ力に寄り添って、生きたいと願う想いに或いは祈る心で感知してくれる。とわたくしは信じている。地球上に存在する命の数々には微生物も、細菌も眼には見えないけれどもあるからだ。爬虫類も昆虫も苦手だが、人間を援けてくれている。
大地にも太陽の光を浴びて生きている物もあり、それらを採取して人間の命へと換えてくれる。そのことに当たり前と思うのか、歓び感謝するかでも違ってくるだろう。お金さえ出せば手には入るが、命が代償になるのかもしれない。農薬の掛った物は避け規格外でも安全な方を選ぶ。胡瓜が曲がっていようが、色どりが悪かろうが安心して食したいものです。
スーパーに行けば何でも並んではいるが、品種改良を重ねて早く早くとするには、本来の旬を捻じ曲げている栽培でもある。儲けが絡むので売りに出されず廃棄される、作物に考えることが出来れば反乱を起こす。珍しいのも冬に季節外れの物を口にするのも、それはそれで消費者が買うからだ。わたくしは旬の時期に合わせた食材を大切にして摂取したい。
枇杷葉から自然に還れとの啓告を聴いて、食べ物の工夫をするようにもなれた。旬の物がなければそれでいいし金に任せて買うことは止めた。それを食べなければ命に拘わると言う物は、世界中どこにもない。清貧の暮らしには無駄をなくして、贅沢さえしなければやさしい気持ちになれる。枇杷葉での援けがなければ今日のわたくしもないが、感謝するばかり。
宝石の類も、子どもの重労働問題があることを知って買わない。世界中の子どもの安寧を願うなら、贅沢は断たなければ不可能だと思える。わたくしにできることは痴れているが、小さなことで続けたい。自然とは宇宙であり、神で森羅万象を指す。福島正信さんが藁一本の革命と題しての著作には、木村秋則さんも感銘されたそうだ。自分を失わずに生きる。
他者のブログ訪問が楽しいのは、自宅に居ながら各地へ行けることであり、既に歩いた場所や思いでの懐かしさに心が揺れる。隅田川の桜が観たくて、滝廉太郎への感情にも触れて堤防に上がり川を覗いた。浅草はりえさんとしーちゃんと、お煎餅屋さんを探して迷子になりそうだった。奈良への散策も月ケ瀬にも、当時の想いが詰っている。御薪能は圧巻です。
阿修羅王像に魅せらて、何度も日帰りをした若かった頃の想いや、入江泰吉記念館までを大仏殿から辿ったことも。奈良には古き良き時代が好ましくあり、新聞連載の歴史小説に愉しみが見つかる。人生は平坦でもなく、そうかといって下り坂ばかりでもない。己の心の持ち方で螺旋を描くこともあれば、翔けていくことにもなるがありのままの自分で居たい。
枇杷葉には、人間の(個々に違う)自然治癒能力が備わっているのに、援けて貰えることで治されていく。生命力の持つ力に寄り添って、生きたいと願う想いに或いは祈る心で感知してくれる。とわたくしは信じている。地球上に存在する命の数々には微生物も、細菌も眼には見えないけれどもあるからだ。爬虫類も昆虫も苦手だが、人間を援けてくれている。
大地にも太陽の光を浴びて生きている物もあり、それらを採取して人間の命へと換えてくれる。そのことに当たり前と思うのか、歓び感謝するかでも違ってくるだろう。お金さえ出せば手には入るが、命が代償になるのかもしれない。農薬の掛った物は避け規格外でも安全な方を選ぶ。胡瓜が曲がっていようが、色どりが悪かろうが安心して食したいものです。
スーパーに行けば何でも並んではいるが、品種改良を重ねて早く早くとするには、本来の旬を捻じ曲げている栽培でもある。儲けが絡むので売りに出されず廃棄される、作物に考えることが出来れば反乱を起こす。珍しいのも冬に季節外れの物を口にするのも、それはそれで消費者が買うからだ。わたくしは旬の時期に合わせた食材を大切にして摂取したい。
枇杷葉から自然に還れとの啓告を聴いて、食べ物の工夫をするようにもなれた。旬の物がなければそれでいいし金に任せて買うことは止めた。それを食べなければ命に拘わると言う物は、世界中どこにもない。清貧の暮らしには無駄をなくして、贅沢さえしなければやさしい気持ちになれる。枇杷葉での援けがなければ今日のわたくしもないが、感謝するばかり。
宝石の類も、子どもの重労働問題があることを知って買わない。世界中の子どもの安寧を願うなら、贅沢は断たなければ不可能だと思える。わたくしにできることは痴れているが、小さなことで続けたい。自然とは宇宙であり、神で森羅万象を指す。福島正信さんが藁一本の革命と題しての著作には、木村秋則さんも感銘されたそうだ。自分を失わずに生きる。