枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

普通って何?

2021年11月13日 | Weblog
 秀才も鈍才も、見方に依っては普通だと思う。誰かと比べたり、基準を設けてするから外れてしまうように感じる。それに何故どうして普通でなくてはいけないの?別に困ってないんだけど、纏めてや一緒にが多いのだわ。自分で道を選んで行っていると、必ず横やりが入り軌道修正しないと間違っていると言われる。

 何がいけなくて、何処が違っているのかが解らない。他人と異なることをしたら何故駄目なのだろうか?危険回避をしたくて、右を選んでいるのを左に向けさせる。でも、それはわたくしではない。何時も自分を隠してじっと息を潜ませて、誰かが見つけてくれるのを待つばかり。視えるのは世界でも実際には天だけ。

 数日前、声に導かれて目覚めた。普通なら些細な取るに足らないことでも、わたくしには心が解放され翔けた。その日が来る、と云うのはこのことだったのかも。マリアが受胎告知でイエスを宿したのも意識の覚醒か。その声は何処から?頭に直接響いて来るが、そのことへの説明は困難を極めるし出来ないのですが。

 命が芽生える約束事には必ず意味があるのだと思う。前世での記憶を消され、新しい肉体に移されて誕生する。或る者は不完全ながらも朧気にだったり、或いは過去のことをはっきりと覚えている人も居るのかもしれない。幽体離脱も自分でしたい訳ではなく、意識を開放している時に起きるため戻れなくなることも。

 今朝は、半々の気持ちでお弁当を作って詰め終えたら空白ができた。PCの部屋の座布団や掛物だけを、陽は当たるが軒端に干して届け何処にも寄らずに帰宅。フェンスの外が気になっていたが、風が強かったりで迷っていた片付けを決行した。干してあるのが陰になれば仕舞う段取りだったので、入ると2時近かった。

 何時も時計は身に付けないので、太陽の動きで時間を知る。時雨がなかったので丁度良かったと室内に、昼食をお弁当の残りで戴き更新中。枇杷葉の苗を送りたかったり、使って貰いたいと思う方がおいでなのだが個人情報に突き当る。何か手立てがないものかと自然に祈っていたら、吉報に驚愕しながら記載に安堵。

 こんなことって、あるんですねぇ。たかさん地の庭の片隅に、枇杷苗が何処からか落ちて発芽したのだそう。散策を良くされる方なので、その声を聴いた鳥が運んで来てくれたのだろう。植えた覚えがないって言われるのだから・・・或いは必要とされる意志の強さに自然からの賜りなのであろう。感激に書き込みを。
コメント (14)
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