高齢になって、歩行ができなくて、補助具を使ったり、車椅子での移動には、とても抵抗を感じるのは何故だろう?祖母の姿に重ねているからか。思うに、その年の祖母は少し変だった。いつものように体が動かず、立ち眩みも多かった。
それが春先のことで、田植えの引き綱だけは手伝う。と畦からの目印を買って出た。ようやく苗代にたどり着き、この田で終りという時に、畦にうずくまった。倒れたのだ。近所周りの人で、戸板に乗せられ家に運ばれた。意識はしっかりしていた。
それから4ヶ月床に居た。座敷の端に布団を敷かれ、庭をぼんやりと見ていた。食べなくなった。断食である。仕事ができなければ、死ぬしかない。というのが祖母の思いであった。母が泣いてかき口説いても、頑として口を開けなかった。
オシメは絶対にしなかった。這ってでもトイレに行く。母が見かねて便器を買って来た。座敷が汚れると撥ねつけ、自分に買ったのがもったいない。と詫びていた。祖母の執念には圧倒された。亡くなる3日前になって、意識が混沌とし始め、やっとオシメを付けた。
だが、1滴も漏らしはしなかった。その頃には、何も口にしていなかったから、便も出はしない。母に世話になった。と言い、息を吸い込んで逝った。私は21歳だった。不謹慎ながら、人間は死に逝く時、二度と息は吐かないのだと知った。
祖母が亡くなって久しい。37年が経過した。だが、祖母の生き様は、鮮明に脳裏にある。小さい時には貧乏が厭で、兄妹が煩わしくてならなかった。願うのは、もう一度祖母の孫で生まれたい。そうして兄妹は要らぬ。荒れ果てた田畑に、無念の想いが込みあがる。
友人の作った傑作。何と、広告紙を裁断して、長さや幅を揃えて作った鍋敷き。もらったものの、使い難く飾っている。なんとまぁ、手の混んだ・・・複雑な想いで使えない。
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