枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、雨水・小潮、旧七草

2021年02月18日 | Weblog
 二十四節気 雨水 冬の氷水が陽気に溶け、天に昇り、あまみずとなって降るの意で雨水と言う。毎年、二月十九日頃である。早春の時期には、三寒四温とも云われるが気温は目まぐるしく変わる。今朝も寒さの中に野鳥を見つけるが、餌がなくて花芽を啄んでいる。枇杷葉も中々満開とは程遠くて、期待が大きいのか雪に震えこんでいる。本格的な春の訪れは遠い。

 昨夜は何時もなら布団に直ぐにやって来るすばるが、PCの部屋の毛布に潜り込んでいて出てこなかった。自分の体温との調整をよく知っているものと感心する。飼い主は久々の独り寝に安堵して眠る。朝になったらマッサージチェアで爪砥ぎを遣る。あ・そこは駄目!背中の部分がループ状に…、観葉植物も毛を吐き出すのには必要で、齧らせろと痕跡が残るのだ。

 弁当を作って届け、役場に寄って税金の支払いを済ませ帰宅。本日の予定は終了したので、ブログの訪問に出かけたが、何と2時間もかかってしまった。厭、丁寧に読むから…、文章の句読点で躓きつつ難解なものもあって。中に数人とても読み易い方がおいでで、思った通り文筆関係だった。然し、どんな内容でもきちんと読みたいのでため息をつきつつ続行して。

 枇杷葉。漢字の打ち間違いとは思うが、琵琶は楽器です。植物である枇杷は、その形から似てはいても食用や薬用になります。あ・勘違い(段違い)しないでほしいが、事を荒立てる心算はないので悪しからず。野鳥の写真を観ていて時間や場所で、微妙な色の変化に気づく。その一瞬がそこに視えると惹き込まれる。単純な上に何かが付くのだが、その彩合いにドキ!

 花にも同じで、レイアウトも大切なことだとは思うが、素朴な佇まいに思わず胸を掴まれる。カメラが良いのは無論だろうが撮影者の魂を感じる。従って自分では余り撮らない。新井素子・グリーンレクイエムではないが、語り掛けてくるようになる。ショパンのノクターンはどれも好きだなぁ。チャイコフスキーやラフマニノフのファンとしては浮気みたいなもの…

 枇杷葉の生葉を使って、エキスを作って置くのもいいです。枇杷葉にも焼酎にも殺菌作用があり、災害の起きた時に携帯しておけば、救援物資が届くまでの期間が保たれる。わたくしは、寒中の葉を用いますが堅くてごわごわの葉であれば年中可能です。初夏から初秋間では、葉の繁っていく期間ですから出来れば避けます。実に多用途に使用可能なエキスです。

 枇杷葉にも品種改良が施されて、多々な交配種が出回っています。種なしもあるようですが、種が元なので個人的には反対です。6月頃の店頭で枇杷を買って食べ、種を焼酎に漬けたり、乾燥させたり植えたりします。略3ケ月位での発芽、3年経過して初冬からの移植です。余り早く動かせると枯れてしまいます。鉢は何でもいいのですが、場所を決めておきましょう。

 千葉県以北でなければ路地栽培できますし、実を収穫しないのであれば野外放置がいいです。木丈が10mに及ぶので、毎年枝を決めておいて3m以上にならないように剪定します。時期は冬場に行う。飲用用後は枇杷湯に、その後は自然に還します。土がふかふかになってミミズが多くなります。わたくしは乾燥させて寒肥に用い、糠と塩も混ぜての二段変革活用に。
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再稼働は中止に

2021年02月17日 | Weblog
 これだけ自然からの啓告があるというのに、何処を何を考えても判りそうな原発廃止・再稼働中止なのを、どうやったら進めていけるのかが理解できない。あれだけ福島の惨状があって、然も今以って続いていることは、そこに棲む方々だけの問題なのだろうか?復興とは名ばかりの予算で、徐々に切り捨てていくのも許せない。命はかけがえがないだの何よりも重いって。

 被害に遭えば、ご心痛お察ししますだの・どうぞ気をつけてお過ごしくださいって気休めだよ。あの恐怖、亡くなった命の数々に対する冒瀆だわ。災害が起きた時だけ、労いだけは掛けるがそんな簡単な事では済まない。実際に大地震が起きれば、逃げることも不可能ではあるが。今わたくしたちに出来ることがあるなら、原発を停止して少しでも危険から守れるようにだけ。

 コロナも大事だが放射能が漏れて空気中に散乱すれば、水に混じっていけば即ち人類は生きてはおれない。そんな人為的なことをして私腹を肥やしてばかりの閣僚には、自分は大丈夫という気負いがあるだけ。庶民の命に等無関係の施策で、言う事を聞かねば罰則・罰金と強硬に出脅しをかける。嫌がらせにも程があろう。本来は庶民の生活や命を守るべきなのを忘れている。

 枇杷葉での活用を始めて下さった方が、ご自身のブログ仲間さんに伝えて下さって輪が広がっている。りらさんありがとう。わたくしの頑固なまでの拘りしかないのを、とても上手く惹きだしてくださり感謝します。波長が合う方もそうでない方も、沢山の訪問にもお礼を申します。人には、病の元となる杞憂があって、それが何等かの影響で悪化したり治ることもあるのね。

 わたくしは綺麗ごとでは文章が書けませんし、その心算もありません。何故、他人さまに媚びてまで訪問を願うのでしょう。写真にも、自惚れがあると幾ら綺麗に写せていても、わたくしには視えません。心が無であり、被写体と同じにならなくては見る者の心には届きません。花も然りで、そういった感性の受け取り方で差が出てくるのだと想えます。同じ花にも心が有る。

 税金の申告に行き還付金があると知った。大金を貰えると喜んだが当てが外れる。それでも返ってくるだけ益しでもあると思う。年金暮らしのこのところの出費は大きい。清貧の暮らしで好いと思うが、燃料費は上がっていくし、消費税が10%になってから上昇。税金も正しく使ってなら文句はないが、湯水の如くの散財。働いてもいない者への支給等無駄なことばかり行う。

 友達がやって来ての歓談中に、あっという間に積もっていく雪。猛吹雪である。珈琲を半月分淹れての持ち帰りで、何だかんだとの話しに講じ沢山笑わせて帰って行った。何も出来ないししてもいないと彼女は言うが、干渉し過ぎないのが好いのである。花芽茶に虫が入ってもと持たせるが、大事に飲んでいるのよと気遣う。その何気ないやさしさにうれしく有難いものだ。
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春先の雨に

2021年02月16日 | Weblog
 二日続きの雨であったが、一昨日には断続的で昨日は降ったり止んだりだった。今朝、庭に出てみればクリスマスローズの蕾が大きなっていたり、土を下から押し上げているではないか。中には今年は駄目と思っていたのも、この雨でうれしそうだ。人間が考えるよりも自然の行いは間違いも無いのだと、へんに納得して暫し佇む。他所さまのブログには珍しいのも掲載されて。

 写真ねぇ整理して新しく載せていきたいのだが、既に10年以上は書いてきているので悩む。仕事も辞めて時間だけはたっぷりとあるのだが、如何せん書籍が読みたいのだ。コロナは無関係に出不精なので何処かに行きたいとも思えず、年金暮らしでもあれば資金も乏しい。今までに買っている書籍やDVDの読み観直しも、気分で切り替えられるので不自由もなく過せているが。

 児童文学での繋がりから、横浜で佐藤さとるさんの個展が開催とあった。唯一、それには出かけたいと思うのだが、何時にしようか?悩みの最中でもある。リエさんとは連絡がついているが、はり灸さんにも寄りたく枇杷葉の治療も受けたい。然し、留守にするにはすばるのことがあり、3泊4日の日程調整をどうするかも問題がある。ブログの更新はしないからそこは安心でも。

 スマホを持っていても通話とメール位のことで、偶さか写真撮影するが料金の高額さに断念している。ポイントに釣られてあちこち手を出せば面倒な結果になる。ガラケーのままでもよかったとの後悔。パソコンすら使い切れていないのに、これ以上の冒険はしないでおこう。認知症状の予防なら枇杷葉茶で充分だしと、ため息を吐きながらブログの更新を遣っている今日この頃。

 化粧品が長く合わなかったのが辛くて、すっぴんでいたのは好かったのだが、子どもが幼稚園や小学校に行き始めると問題も出てきた。対人関係が上手くなく自分の殻に籠る方がやり易かった当時、様々なストレスがそこに出た。ノエビア化粧品は天の援けで、ドクダミ茶を飲み始めたのも好かったが、肌荒れが消えてしまった。その後は枇杷葉茶一遍となり今日まで続けている。

 喘息にも・アトピー性皮膚炎・湿疹・被れ等での枇杷葉茶効果は著しい。わたくしが罹る医者も結構変わっていて、薬は毒であるが必要でしょうか?と聞いてくる。ステロイド系は特に即効性はあっても、慣れてくれば元の木阿弥とはっきり言われる。免疫や抗体を創るのは自然治癒力なので、時間は掛かってもそっちが好いです。と驚く患者に話す。そこから枇杷葉茶での工夫。

 枇杷葉の特徴として、自分で治そうという気持ちを変えないこと、自然への感謝を忘れずに治して貰えることを当たり前と捉えないことだった。やり始めたら時間が掛かっても遣り抜くこと。諦めない・挫けない心を持つことだった。病は医者に治して貰うのではない、元気で居られることにも意味があるのだから、還れる方法を見つければいい。紆余曲折の数年であったが感無量。

 どんな薬草にも云えるが、処方箋を正しくしてでないと危険なことも知っておいて。お金のある人は買えばいいと思う。医者に罹ればいいとの判断もしよう。医者にも当たり外れがあり絶対ではない。心のケアが何よりも大切なことは云うまでもない。手術した後のケアが大切。枇杷葉のエキスを傷痕に塗っていると自然消滅します。手を当ててゆっくりと撫でてくださいませね。
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異様な動きに・・・

2021年02月15日 | Weblog
 浅間山が噴火し富士山には冠雪が少ない。今年の大雪にも、あちこちでの瑞雲が観られることにも驚く。自然からの警告を何が無しに聴こうとすれば分かるが、福島での原発事故は元には戻らない。その残骸が残る跡に、建屋での汚染水の漏れがあったそうだ。震源地であるからには予測できることで、オリンピックの人事どころではない。これこそ緊急事態宣言。

 原発の再稼働も外国への輸出もだが、プルトニュームやウランの働きが人類を滅亡へと誘う。国債を使っての施策の遣りたい放題、庶民の生活を守り援けるのではなく、防衛費増大や私利私欲での着服をやらかす閣僚揃い。そこにコロナでの自粛と自力の強制、罰則罰金の押し付けもやる愚策。東京都の感染数は明らかな作為がある。経済が回らぬって誰が中心なの?

 すばるが落ち着きなく走り回る。地震がどの程度の規模になるかも、何時何処で起きるかもはっきりしないが惨状は視える。自然の齎すことだけなら避難すれば済むかもしれぬが、原発のある場所が全国に散らばっているのだ。わたくしたちは戦争での原爆の恐怖を忘れてしまった。自分達の世代には無関係と無視した。覚悟の程にも因ろうが何処に逃げても同だろ。

 田中角栄が日本列島を改造して、小泉純一郎は尽く変えてしまった。それらを元の状態には戻せないが、更なる悪化状態にさせ、混乱を来たしている現政権だ。地球も言葉が云えるなら、悔しく哀しく命も惜しい。再生に転換しようと試みている時期かも知れない。十戒もノアの箱舟も効き目はない。正しい路を歩める人類は誰も居ずで、地球も決断しなければならず。

 ブログの訪問をしようと他者へのお邪魔に行くが、ネットが遮断されている。我が家のPCも昨夜異常な作動に一旦は切れ、再再度の試みでどうにか繋がった。便利な物にはこういった部分もあるんだぁと納得。リエさんとは連絡がつき、安否を確認できたが福島にお住いの知人にはできなかった。無事で居てくれることを祈る。10年ひと昔とも云うが、油断は怠らずで。

 枇杷葉茶を飲用しているからか、精神が浄化されていくのを感じる。見えない筈のものが視え、解ることのない出来事に引寄せられる。体質的な要因かもとは思うが何故?こういったことになってしまうのかが解明できないでいる。視えることは怖くはないが、殊更に恐怖を煽る心算も無い。普段の何気ないことに感謝し祈り、自分をいとおしむことで幸せを感じる。

 大金を手にしていても、いざという時には失せる。ずる賢い方法で儲けていても、世間の非難を浴びぬ筈もないとは貧乏人の僻みかな?魔法のランプがあって願いを三つ言えるとしたら、何を於いても地球から核を消すこと。後の二つは何を言うかな。人間を愚かにすればいいのかもしれない。神の領域には入ることを拒み、ありのままを満足とすることかもと思うが。

 
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天一天上、睦月・中潮

2021年02月14日 | Weblog
 昨夜のすばるの行動を見ていて、地震かな?との想いがあった。兎に角、どんなに言い聞かせても駆けるのを止めないばかりか、まるで狂ったような異常さである。何時もなら、数分で止まるのがさっぱりであった。今朝、他者のブログに記載があり判明した。国内での地震にはこれ程の異常さを示すのかと納得で、今後はすばるの行動を観察しての行動にしよう。

 日本列島は何時、何処で起きてもいい位の確率であり、震源地の上に乗っているとしか思えない。だからこそ原発の再稼働は中止にして、廃炉にも動いていかなければ全土汚染は免れない。備えあればでも、喉元過ぎれば熱さを忘れるでもない。羹に懲りて膾をだと気を引き締めておらねば。オリンピックを中止にするのもコロナだけではない要因もあるんだが。

 予感というのか、昨日は燃料も容れておいたし、米もおかずの材料も蓄えていたから慌てることはなかったが、遠方の友人をブログでの繋がりの方を思い書き込みをさせてもらった。でも、案外とわたくしの忠告には平気な方もおいでだったから、喉元過ぎれば熱さを忘れるの気持ちなのを知った。然し、日常での慣れで心配ないと判断したり、大丈夫と思うよ。

 それに。何時も緊張感を強いられるのは心身ともに宜しくも無いから、そういったことへの対処にもずれが生じるのだろう。わたくしだって、その状態であればおかしくもなる。宇宙を眺め雲の様や風向きでそれと察したい。雲に瑞雲が観えたりするのは天変地異なので、知識として持っているのもいい。自然から発するサインをどう捉えるかは自由だが意味も。

 旧暦で暮らしているのに加えて、テレビを観ないからかも知れぬが、観察をしていると察知することもある。何時もとは異なる状況に敏感になる。月の満ち欠けに潮の満干潮時に起きる変異には、必ず意味があるものだと心得ておきたい。便利で綺麗な暮らしをしていては、気づかないことを自然はその恩恵として視せてくれる。気づける自分でありたいものだ。

 猫や犬を飼っていて、飼い主の危機を察知すれば何があっても、どんなことをしても助けようとする。それに飼い主が気づかなかったりすることも多い。ペットで単なる生きた玩具でもない。可愛いだけの対象でもないから、個人的には冷めた眼で応じている。命を与えられて棲んでいるものとして、きっと彼らは同等なのだ。いざという時には突飛な行動も。

 枇杷葉茶の効能には多々なる働きがある。数年前に結膜炎になった時、枇杷葉茶で洗顔してガーゼに浸した物で拭き取りを続けていた。瞼の目脂は酷くて眼が開かないのを、それが次第に綺麗になってきて治った。年齢もあるから老眼の向きは否めないのだが、枇杷葉茶を飲用し始め然程衰えもないことを知った。免許の更新時には老眼鏡を持参での対応をする。

 眼医者に罹っての診断では、手術をするまではいってないと言われ緑内障の心配も一切なかった。結膜炎は相当長引くが、僅かな期間で完治してしまった。本人の意地もあるが、触られたくない気持ちの方が大きかったためでも。枇杷葉茶での身体の内部からの排出と、外からでの効果もあったものと思える。但し、誰でも可能な方法とも云えないから注意。

 身体全体の冷えは良くないが、心臓・脳・目は冷やすのが好い。眼は炎症を起こしての状態だと温めたら更に雑菌が蔓延る。心臓も、動悸が激しくなり死期を早める。脳も血流が詰った血管を破る。血液自体は温かく身体を保温してくれるが、極度のことを続ければ綻びる。加えて自分では治せない状態を造ってしまうので危険。個人差にも用心すること。
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往生際の悪さ・・・

2021年02月13日 | Weblog
 常々思うのだが、権力を思うさま使い他人にも顎で睨みで強硬に出る方は、例え間違っていると指摘されても絶対に謝らない。辞任劇もここまで用意周到だと勘繰りは否めない。川は流れるんです、どんなに遣ってきたことが素晴らしくても、水は濁ってしまうではないか。辞めたくないのを無理矢理にとの感も強くあるが、その原因を作ったのは自分でしょう?

 すばるは、気温が上昇して暖かいのでご機嫌です。網戸にしていなくても窓の傍に置いた箱の中、一心に毛繕いをしているわ。昨日も夕方までは出窓であったり、PCの部屋に居たりと気儘にしていたが、その後はマッサージチェアの毛布に潜り込んでいた。朔日には湯舟の湯を張り換え洗髪もするので、残り湯を汲みだしていたりと出入りしていたら眠っていた。

 不思議なものだとじっと見ながら、我が家に来て早4年目になるんだと感無量。銀河は子宮癌で死なせてしまったから、すばるには最初から枇杷葉茶を飲ませている。然したる悪戯もせず、陰猫であるが故に訪問者には気づかれることもない。それに猫用の玩具には反応しないので、娘等が買ってくれても使わずなのだ。じゃれるのは飼い主の左足と決めているか。

 先日も思いっきり嚙まれたのだが、枇杷葉エキスを専用の手拭いに浸して包帯を巻いていたら治った。塩も塗り込む。どちらにも殺菌作用があり、細胞の活性化を促す働きがあるので治りも早い。他者のブログで膝が痛いの、腰痛だのと読む度に、騙されて元々と遣ればいいのにとも。病院に行くのも待つ時間も惜しいので、支払いも莫迦にならないから行かぬ偏惚。

 変人と恋人との読み違いに歳を重ねているからでもないが、思い込みが平行棒になってしまうと然もありなんだ。昨夜は、花祭を読み返した。多岐川裕美さんと小野寺昭さんだったと記憶しているが、陰湿な夫役が有川博さん?他の配役は忘れた。文中の夏の奈良にも憧れて行ったが、目的は阿修羅王像と興福寺。藤原不比等の妻・橘三千代が健立したそうだが。

 この時代の男性は通い婚でもあり、何人もの妻を住まわせていたそうだ。葉室麟さんの光明皇后でも、実に繊細な筆致に一気に読んだ。歴史小説が面白い一因は旧暦での記述があるのと、自然への畏怖の念と月の満ち欠けに満干潮の心理状態でもあるのだ。そういったことを教えて貰い、納得できることも愉しい。暮らしに役立てられるのも、貴重なことと感謝。

 以前、毎日新聞の日曜欄に掲載されてた、旧暦との暮らし・松村賢治著だ。人間の心理状態にも、大きな役割をしているとの記述にも驚いたが納得する。わたくしの書籍には分野は決められなくて、佐藤文隆さんの物理学にも興味が深い。図書館で予約を頼むにも?という顔になって、PCでの職員の検索に意欲が湧く。老後は、字が視難いが諦めず続けようとも。

 
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睦月、朔・大潮

2021年02月12日 | Weblog
 旧正月です。年賀状での文字が迎春であったり、新春や初春となるのも立春を過ぎてから正月だった名残でも。今朝は、少し早く起きての塩換えだが弁当を優先する。大根と長芋・大豆(青)の炒め物、青梗菜とウイナーに卵綴じをして塩鮭を焼く。同時進行にするので、ガス焜炉とトースターを使う。新聞を流し読みにし、珈琲も急いで飲む。辞任でも居座り。

 世界が動く前に、自分での決め様はなかったのか?周りが庇い切れなくなっての辞任とあるが、根本は何等変わっていない。ここで女性の抜擢をすればとも。オリンピックは中止がよろしい。東京都知事の判断も強ち間違いではない気がするなぁ。個人的には敵も味方なく、経歴だの遣ってきたことを何とも言い難い。都政を行うのも国政とは異なろうが違和感。

 先日の潜水艦の事故で生々しく蘇った記憶に、実習生が追突されての死亡があった。何人もの命が消えたことにも驚くが、当時の国のトップとして現場への対応が先なのを、ゴルフに講じていたと言うから飽きれる。そんな人を庇う理由もなく、恥の上塗り・火に油会見をしてまでも辞めないとは。前面に出るのじゃないからいい?違うなぁ…無関係で居てくれ。

 何時まで何処まで権限を振り回したら気が済むのかな。後任も既に84歳と言うから、これにもたまげる。もっと若い人で乗り切って行くことこそ、世界の信頼を取り返せるものを。大平正芳氏亡き後、首相の座を蹴った方を見習う必要も大きいよ。息子は別人格でしょう、普通には。何回もの会食があったそうだが、多重人格者かな?倫理も規約も全くの無視だ。

 弁当配達時、河に眼をやれば温んでいる煌めき、道沿いではサクランボの桜が開花している。白梅も紅梅も香り涼やかに匂う。我が家のは、少しばかり綻んできたところだ。待ちにまったクリスマスローズの蕾が咲いた。未だ2輪ほどだが思わずしゃがみ込む。蕗の薹も土を持ち上げて来ていようし、野焼きの後には蓬も覗く。先日見つけた枇杷苗を移植した。

 枇杷葉の花芽も新しいのに換えた。春へのいで立ちに心が弾むが、気を緩めないように心しておこう。けんちゃんのもみの木を何度もページを繰って読む。このシーンもこっちの絵にも、わたくしは覚えがある。特に最初の、星が飛び散るページに牽きこまれていったのだから。いせひでこさんの感性に心中で祈る。ありがとうございますとの呟きにも似て。

 仕事を辞めて、コロナは無関係での自粛暮らしであるので、ブログの更新には愉しみも多い。何だかんだと応援して下さる方も増えびっくりする。猫や花に関する方に感謝しつつ、気楽に書けなくなったことも多い。以前には結構いい加減でも仕事を理由に出来たが、今はそうもいかない。誠実な素直な書き込みも、相手にも因ることを知った。千差万別だ。

 人間のやさしさにも表向きの言い方があること、強さの内にある真実にも気づいた。普段は、ふざけたことを書いていたりする人も、相手の想いにさり気なく待っていてくれることがある。男女を問わずで居ることが有難い。勘違いも平行棒であったり、やけに絡んできたりすることもあるが、うれしく想えるから不思議だ。書籍をよく読むのも多いな援け。

 奈良には御仏の姿や顔に惹かれて、興福寺の阿修羅王像に魅入った時期があった。光瀬龍氏の百億の昼と千億の夜とに刺激されて、早朝に自宅を出て日帰りの旅に。萩尾望都さんの阿修羅王の何と神秘的な顔であろう。長岡良子さんのコミックで初めて知ったのだが、未だに心を占めている。天界だの魔界と云われても、さて堺はどこなのだろう?時空を翔る。

 


 
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珠も磨かねば・・・

2021年02月11日 | Weblog
 幼少時の記憶に因ったり環境や財産での差で育てば、人間形成に大きく変化があるのだろうか?時代背景もあるとは思えるが、山間の田舎の水飲み百姓では生きることが精一杯だった。お八つ等思うこともなく、何時も空腹で欲しい物だらけだった。小遣い等なく、買ってもらおうとするには手伝いだけでは無理だった。親の言うことを良く聞き自分から進んで行うこと。

 兄は長男の跡取り。妹は同性でも小さいと言い続けられた。裕福な家の子なら、お八つも買ってもらえるし、習い事も何でもできた。冬には隙間風が絶えず入り、夏には蚤や百足が徘徊し藪蚊の類は数知れず。兄妹喧嘩も何時ものことだが、食べ物や衣類など無く悔しかったものだ。親に似ていないので訊ねれば、橋の下で拾ったと答えられたことは忘れられない記憶だ。

 両親が年老いて介護を必要とした時には、金銭的にも余裕がなく動きも取れなかった。出来る範囲をすればいいとの約束にも、兄と妹は遺産分けから拒絶してきた。1億円ほどの遺産なら分配の配慮もあろうが、田畑の僅かでは何も残らないのにと呆れた。両親が相次いで亡くなった今は、ふる里に墓参りも途絶えてしまう有様。毎朝のお茶湯は欠かさずしているばかり。

 鬱屈した想いは、心のどこかに潜んでいるものと知っているが、それで両親を恨んでみても元には還らない。家長制度の田舎では到底無理なことだった。だが、素直だからこそ反抗もしたし、間違っていることには殴られても止めなかった。強情だと言うが潔癖なのだ。それで親を恨んでもいないし、親になった時点で納得することもある。心残りは寄り添いが出来ず。

 この歳になって判ることも、当時には理解できなかったことだ。生きていくうえでの様々な要因も、我慢を強いられ耐えることもある。そういった想いに気づける自分であることがうれしい。人を変えることは無理でも、自分が変わることは出来る。色々な書物を読み、悩み傷つき泪しても、前に行ける自分でありたい。努力するのは辛いこともあるが、自分なりで佳い。

 自分の感情を曝け出して心の長を言っても、誰も助けてはくれないのなら、視点を換えたり思考を真逆にするのも方法かもしれない。新聞を丹念に読むことも好い。図書館に予約していた書籍と雑誌を受け取りに行った。エカチェリーナ大帝・下の延長、渋沢栄一伝・幸田露伴 世界2月号 ながいながいねこのおかあさん・キュウライス文ヒグチユウコ絵 モエ2月号。

 けんちゃんのもみの木・美谷島邦子文いせひでこ絵 を借りた。日航機の墜落から35年が経った。この本は亡くなった児への複雑な心情が書かれていて胸が張り裂けそうになる。あの時、わたくしは呼ばれたのだ。そうして連れて往かれそうになった。今この本に巡り逢えたのは単なる偶然ではないと想える。大勢の断末魔の叫びを聴き、金縛りに遭ってしまったあの日。

 今、生きていることへの想いの数々に傷心の印が残る。助けてあげられなくてごめんね、何時かきっと生まれかわっておいで。何処かで誰かが待っているんだからね…あなたのことは忘れない。彷徨うことも哀しみの中で生きることもない無に還ったのだから。いせひでこさんのやわらかな温かい色使いにも心が癒されるよう。鬼ケ島通信からのファンでもあるのだが…
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春の発見

2021年02月10日 | Weblog
 朝方には、一斉に野鳥が飛来して賑やか振りを発揮するが、枯れ葉を掻き散らして餌を啄み後片付けはしない。で、巡回して蹴散らした物を車道から庭に入れていて、あらまっ!長崎茂木の種が発芽して成長しているではないかと見つけた次第。苗という基準だが5cm位には大きくなっていて、移植をするか考える。真南なのと陽当たりは最高の場所だが車道なので。

 昨日は、手塚治虫氏が亡くなった日である。既に20年という月日の経過に愕然とする。漫画の神さまも病には勝てなかったようで、然も医学博士なので自分の余命は知っておられたようだ。然し、それにしても早過ぎると、訃報を知って泪に暮れた。萩尾望都さんや、多くの漫画家への道を開いてもいた人だけに、描けないことへの苦しみは如何ばかりであったろうか。

 庭を見廻る度に、クリスマスローズの蕾が膨らみ、梅も枇杷葉の花芽にも密かに咲いているのを見つける。白い花が好きなので殆どが緑と白になるが、フリージアやスイトピーが彩どってくれるのも好ましい。でも、今年は霜にやられてしまったから、フリージアは期待できない。哭くに泣けない気持ち…魔女の箒も茶色になってしまった。来年には囲いをしておこう。

 枇杷葉を信じて下さって試しておられる方が、お礼を書かれたのに恐縮してしまう。波長が同調したものと思えるのだが、珍しいことなのかもしれない。リエさんのように実際に逢った訳ではないから、ここでの発信を感知されたことにも驚く。不可思議なこともあるものと感謝している。年金暮らしなので、以前のようには送料込みでは送れないのも悪いなあぁ。

 薬草にも多々あって、使い方や処方方法を間違えれば殺人も行える。トリカブトが知られているが、これも慢性腎炎・浮腫み・関節炎・神経痛等に用いられる。決して単独で使わぬことと薬剤師の指示を守ることだ。花の紫には眼を奪われるが、それだけに毒性も高いことを知りたい。属種では二輪草がある。枇杷葉も種の核には猛毒があるので、生での摂取は危険。

 以前の勤務先の友人が珈琲を飲みに行きたい、との連絡に了解を出し来訪しての歓談に盛り上がった。久々に大笑いをさせてもらってうれしい。目的は、様子見なのだろうがさり気ない気遣いをしてくれ、またねと帰って行った。相手のことを思えるやさしさにも感謝する。わたくしには飾り気のない心が貴重なのを理解してくれる。枇杷葉茶も美味しいと飲んでいた。

 ブログの更新をしながら、何方の記事にも一喜一憂してしまう。自分の心を表現する難しさに、或いは容易く綴れることへの想いに、他人は様々な想いも抱く。書かれていることの真逆だったり、素直にそのままを受けとることも多い。権利だけでは云えず、自由であると同時に責任も担うから。自分だけが辛いのでも遣っているのでも、哀しいのでもないと思えるように。

 星に願いをしても、叶うこととそうでないことも多々ある。でもだからと言って命を終えられる訳でもない。強くなれと頑張れとも言われても、心がそぐわないこともある。自分だけがと他人を羨み、自分は駄目だと諦めてしまうことも。だが、生きていかねばならないしんどさを、ほんの少し解かって貰えるのはうれしい。ほんの少しのやさしさに救われることがある。

 
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師走・二十八日・中潮

2021年02月09日 | Weblog
 気温も中々上がらずの日です。寒いと冬眠体制に入ろうとするのか?と、横着者はそっちの思考になってしまう。飼い主の気も知らずなすばるは、朝から駆け回っていて見ているこっちが目を回しそうになる。PCの画面操作がゆっくりになり、もしや?と乾電池を換えたら直る。エボルト君も沢山での寿命では長持ちのようにCMするが、店頭に置いている時期もあるな。

 弁当配達は明日までないので、のんびりと過ごしてはいるが肥る一方になる。まあ年齢的なことは避けられずであり、独身時代にトゥィギー・小枝と呼ばれた体型とは程遠いな。甘い物には眼がないし痩せているのを好いことにして食べるから、気づけば肥ってしまうのだ。身長に対しての体重は痩せ過ぎの結果になるが、ウエストが戻らない。諦めてはないが60にしたい。

 枇杷葉は火傷には生葉を当てたり、エキスをタオルに浸して行うが、アロエにも同等の薬効もあり身近にあれば重宝する。枇杷葉には炎症を抑えて水泡を潰さずに治す働きもあって、医者に行くことも無く完治させる。これに塩を置いてエキスを浸した布で覆っていても好い。因幡の白兎であるが効果の程は明らかだ。擦り傷や切り傷にも常備して用いたい。医者要らずなの。

 肌の色が気になったりするのも、色素の関係だから無茶をしてはいけない。わたくしも決して美白ではないが、血管の掃除を枇杷葉茶がしてくれたことに因って、多少の改善にはなってはいる。鶯の糞が好いそうだと雑誌で読んだ記憶もあるが、実に高くて買えない。肌の色が綺麗な方が言われていたのが鶯のだった。猫が居れば室内では飼えないし、山に探しにも行けない。

 自分で工夫して可能なことが出来れば好い。健康を維持する方法にも様々なやり方があり、個々に違っていて良いのだと思える。誰かの真似をしてみても、DNAが基本異なっているのだから無理なのだよ。それよりも野菜中心であったり、食材を捨てることなく使い切る方法も好いかなと。他所さまのブログでの献立にも、大いに役立つことがあって楽しく読め面白いものだ。

 弁当を届ける往復では、河の野鳥に眼がいき沿道の様子にも心が和む。自宅での庭を見廻っていても、春の足音は確実に近づいているのがうれしい。クリスマスローズの蕾に、枇杷葉の花芽に日々の変化を見られる。自然からの恩恵には、実に多岐な趣があるものと感謝する。それでも気持ちの切り替えが巧くできないこともあって、彷徨ってしまい螺旋階段へと翔けて往く。

 わたくしはやさしくもないし強くも思いやりにも欠けている。でも、心配されるのも同情されるのも厭で、媚を売るのは更にしたくない。美人だからといい、遣ってはいけないこともこともある。だから何?という甘え方もしたくない。そうしないと自分が壊れてしまうし、生きていくことが厭になるからだ。皆、あちらの世界に逝ってしまわれて、簡単には遇いにいけない。
コメント (2)
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