枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

黄金桃、葉月・二百二十日

2021年09月10日 | Weblog
 白桃は大概の方がご存じと思うが、黄金桃となると缶詰かしらん?生食出来ることも知らないであろう。白桃は上品な人気度で価格も高い。近年は黄金桃も1玉が¥300はするようになり、手に入れるには生協での予約か青空市しかない。洗濯物の乾きもよく、布団も干したのを仕舞ったから出かけて来るかな。

 あ・ご飯食べてからですが。昨夜は星月夜を堪能でき、北半球の観える星座をデジカメで撮影したり流れ星も数個を認めた。真夜中には天頂に天馬ペガサス、北東にはカシオペアからアンドロメダ星雲も、獅子の巨釜もペルセウスの勇姿も観える。天の川には白鳥が水浴びをしており、川端では琴の音が響く。

 南には蠍は姿を隠し、オリオンやプレアデス姉妹・ヒアデス姉妹の戯れが賑やかである。秋の夜長は大気も澄み始めているので、天気さえ良ければ愉しめるというもの。田舎に居ると誰にも遠慮なく観望でき、防犯灯さえなかったら最高の時間でもある。夕方には木星・土星と惑星もくっきりと観えたのも佳。

 今夏の不安定な天気を思えば鬱屈した想いもあるが、そこは自然が相手のこと無理だなぁ。今与えて貰えることが歓びであり、幸せなことと感謝しよう。誰の為でもなく自分のことだけを想えることは何よりも有難い。星空にアビーの姿が!人間の年齢にしたら100才に近いんだね。当たり前の幸せを贈りたい。

 枇杷葉には未だ解明されていない未知なる効力があるのでは?以前に記したが結膜炎が治ったのも、枇杷葉茶とエキスのお陰で目脂が大量に取れたからだ。あの眼前が霞むというか不快感は堪ったものではない。人間で可能なら猫や犬も同様だと思えるが、すばるの目脂も出なくなったのにはびっくりしたよ。

 ブログで飼っているものへの獣医通いや、投薬に手こずっているのを読むと枇杷葉エキスをと思う。枇杷葉茶も然りで、嫌がるのを何度もしなくても一度で済む。足爪が割れていたり爛れているのは、エキスに浸ければ良いのにと心が痛む。見えない目が開くかは不明だが、根気良くすれば可能になるかもな。

 地球に棲む生き物に過ぎない人間も、電化製品に囲まれて生活していると麻痺してしまう。多少の不便さを覚悟してでないと、資源には限りもあるし自分だけの物でもない。対価を払えばいいとばかりの贅沢でなく、必要なことは充分過ぎる筈だ。コロナ禍で、生活が逼迫して今日が精一杯なのに無関心では。

 他人の痛みを感じられる、おもてなしでなく思いやりを持ちたい。政治が悪いと言い切れば済むなら、どんなに楽なことだろう。無論、辞めるには背負い斬れなくなったからだが、国会を開いて説明に徹して欲しい。このままでは済まないわよ、森加計問題も桜もオリンピックの収支も含めてです。誠意なし。
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蜻蛉のめがね

2021年09月09日 | Weblog
 ♪トンボのメガネは水色めがね、青いお空を飛んだから飛んだからぁ~二番はお日さまをみてピカピカになり三番では夕焼けお空で赤くなる。秋の情景を時間で表わせた歌詞が楽しい。子どもの頃に蜻蛉を捕まえるのに、指先を回してみたが逃げられた。彼等の眼は複眼なのでさぞや警戒心も多いのだろうと察する。

 リエさんが、佐藤さとる展に行って来ての便りをくれた。コロナ禍で行きたくても自粛とあっては、無理をして後のことに心配が及ぶ。今月の日曜日までの開催だが、鬼通での集いに参加できただけでも儲けもの。暁子さんもお元気だったし、読者仲間での会話も盛り上がって燥いでいたのが遠く懐かしいばかり。

 佐藤さとるさんが枇杷をお好きなのを知って送り、大層に喜んでくださった。こちらはそれがうれしくて更に丹精籠め、甘く果汁たっぷりなのを毎年届けていた。一緒に写真撮影にも気軽に応じて下さったし、サインもちゃんと書いてくれた。少しはにかみしたような顔で、穏やかに話されるので固唾を呑んでも。

 コロボックルの話は、娘が小六の教科書に紹介で載っていたのを文庫で買った。これが面白く全巻を直ぐに読んだ。その後は単品であったり、本屋に勤務していた関係から新刊は手元に。初めて話せた時には緊張のあまり言葉が出なくて、長年のファンですとしか言えなかった。もお・天にも昇る気持ちでしたね。

 日本の世界のファンタジーの先駆者。憧れの方でした。亡くなられる数年前には、奥さまとの会話で大好きなんですとお伝えしたら、わたくしもなのとおっしゃってくださった。作品の数々ある中で、僕の犬くろべえと桃太郎伝説や宇宙からきたかんづめが好きである。創作への意欲も衰えずだった惜しい文筆家。

 児童書は子どもだけが読む物でもなく、大人でも充分な読み応えの小説である。絵本にも、描いているのは子どもではない。ページの隅々までを丹念に見れば、花や草木も名前が判明する精密さである。言葉だけを読むのではなく、深い想いに地球への温かみを知りたいものだ。読書の秋にあなたは何を読みます。

 重陽の節句となっているが、旧暦の方がしっくりと来るのは歳を重ねた証拠か。季節感への違和感もだが、新暦との誤差は否めない。暦を基準にするなら全体を通じて遣ればとも思い、一緒くたの混ぜ込みは避けて貰いたくなる。月の満ち欠けも潮の満干潮にも意味があり、そこでの暮らしを尊重したいとも想う。
 
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足湯に行っていい?

2021年09月08日 | Weblog
 他所さまの娘さんだけども、必ず連絡してから来ます。まあ、そういうのには駄目だとも言えないので時間を聴いて了解します。コロナ禍で、仕事もしている関係なのもこっちからは云い難い。無理のない範囲で付き合っているという。夕方までは滞在すると思えるので、急遽ブログの更新をしてますが途中切れに。

 夫婦喧嘩は犬も喰わない、というけれどもブログ訪問で笑える文章に出遭う。歯ブラシを掃除に使用後置忘れが、お前か俺か?一日の工程を辿ればどっちがしたのか判明するが。気の毒な歯ブラシには名誉回復はない。まあ、傍からみればどうでもいいことであるが、喧嘩の二人には重要問題。本当なら犬は喰ワン。

 毎日が平穏で幸せであるからこそ、夫婦喧嘩もできるのだ。この歳になって喧嘩を吹っ掛けて行く気にはならず、爆弾が落ちて来ない有難さと生きてさえいられれば問題ない。コロナ禍での蔓延にも歯止めは掛からずだが、終息は何時とも断定できないこと。あっそうにはそういった庶民への配慮は頭から消滅だ。

 今朝は、風はあるものの小雨で洗濯物を案じたが外に干している。生乾きは分っているが、冷房を止めているので、室内は避けたもの。暖房を入れるまで乾くのは放置しておこうという算段、衣類は不足なくあるがアイロンをかけよう。そろそろ図書館まで迎えに行って来よう。返却本もあるので好都合でもある。

 足湯の効果があったのか、ご機嫌になって帰って行く。丁度昼食時と重なったので、自分の分とを持ってきての食事。足を浸して塩で擦りエキスでマッサージ、出るわ出るわの角質に本人もびっくりである。枇杷葉のエキスを塗布すると、角質が何故剥がれるのか不明だが入浴で洗っていても出るので不思議なの?

 Pm3時過ぎまで肩もガチガチなのを解し、足裏までを数回繰り返す。誰が施行しても同じとは思うが、必ず螺旋を描くようにします。ストレートだと傷になったりもあるので、充分な注意をも必要です。誰かにして貰うのが好い場合と、自分で思うようにするのも自由な時も有。これだけをしようでなく気儘が良い。

 季節的には、寒くも暑くも無いというのが曲者で気づけば後手になり慌てる。血管の錆や血流を促すには今が最適で、何時間も掛けるのではなく5分の休息で対処。それを根気よく続けるとなると、様々に支障も出る訳だが継続は力なり。最初から無理のない範囲で施行していけば、立っていても座ってでも出来ます。

 わたくし、相当の横着者でありぐうたら三昧の者です。唯、一度決めたことや遣るからには諦めません。試行錯誤は沢山の失敗も踏んでいますから、自分の方法ですれば好いことです。他人の言うことには落とし穴も、罠もあるけどあの手この手で生きましょう。千手観音さまお手本よりも、先ずは自分を信じて…

 
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旧八朔・大潮、葉月

2021年09月07日 | Weblog
 旧八朔 二十四節気 白露 朝夕涼しくなり、草木の葉に宿る露が、白く光るという意味で白露と言う。毎年、九月八日頃である。今朝は、27℃の表示があり天気は変わり気味で身体には丁度いい。すばるも出窓で寛いでいるので、塩換えも済ませ洗濯物も終えてブログ更新。観葉植物の室内取り込みもせねば。

 冬衣装には少し早いが、急激な気温の上下には用心とハンガーにカーディガンも。当分は気分にも因るが、半袖・長袖・七分袖と組み合そう。腹巻を外すと調子が悪くなるので外見上は分からないまでも離せない。枇杷葉茶のお陰で新幹線にはならないが、温かくするには越したことはない。備えあれば憂い無。

 今朝の川柳で桃と竹は切る時に、怪我をさせないかったのか?と詠んでいたが然もありなん。桃太郎の場合には、種が包丁の刃先を防ぎ無事誕生したんだ。竹・輝夜姫の時には光具合で、伐る場所を教えてくれた。何物語というか御伽草子には語り手の勝手な想像で、どんな内容にも可能だった気もしています。

 緋色の夜明け下を読み終え、魔女の覚醒から始まった連作も区切りがついた。海外物には興味の対象から違和感が少なくなかったが、これは想像を超える。最初に躓くと先に進めなくなる可能性も含む。指輪物語やナルニア国物語は古典だが、これは近代にも過去にも翔ける。わたくしの想いを顕せてくれた?

 庭の露草を片寄せ、百日紅や桑の伸びを留めながら通草・木通の蔓を纏めた。枇杷葉が新芽を色濃くしてきており、葉の中心に苞の出るのが待ち遠しい。観葉植物の引っ越しには、ランナーを下ろしたり巻いたりが必要なのだが何処に?棚に置けばすばるが齧るので、吊るさないと駄目なのだが不安も多大に有る。

 狭い部屋の占領にすばるは甚く機嫌が悪くなり、通行の妨げとばかりに鉢を落とす。新聞紙を敷いてもいるが結果は惨憺たる有様で、掃除する羽目になる。あ・掃除機が嫌いだから傍に置いとくか?でもなぁ…嫌がらせのようで。植物もすばるも大事なんで、選ぶとなると出来ませんです。悩み相談室に行くかな。

 珈琲を挽いて淹れ、一日に4杯程度を飲むが実質には1杯を薄めてのこと。最近は喫茶店にはご無沙汰だが、¥500以上はするし苦い・不味い。其処でケーキ等を、注文する羽目になるのは頂けない。コロナで自粛は有難く、自宅で飲めれる至福の時間に感謝する。インスタントも紙か布で濾過すれば美味しく飲める。

 すばるのトイレ交換が残っているので、ブログ更新後にしよう。普段はその都度片付けているが、全部を換えるのは朔日に決めているのだ。先日には台所の片付けも半分できたが、棄てる決断に至らず迷うばかり。どうするんだぁ?独りではこんなに食器は要らない。腹の立つことも減ったから割るには成らずで。

 

 
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PC凍り、夏過ぎの怪談

2021年09月06日 | Weblog
 我が家は平屋なので、そんなことは有りえんと高を括っていた矢先PCの画面が動かない。作動しないのは何処かと触るが皆目見当つかず、電源を抜いて放置するが熱を持ってる?火事になるかなと心は騒ぐが対応できない。明日の朝に望みを架けるべく、放置して枇杷湯に浸り眠ったものの同じ状態は変わらず。

 何処かに・購入先に連絡しようにも電話番号も控えず、何よりもネットでの問い合わせが出来ない。う~む・・・予備のパソコンはなく、非常手段も理解不能なのでお手上げ。冷静に・落ち着いて・怪傑黒頭巾かハリマオに聴こう。おおっ!あの手がある、最後の手段かも知れぬが遣ってみてにしようじゃない。

 あらっ?お待ちください・・・寒さも厳しい冷凍庫から解除され氷の階段から無事帰宅。やはり平屋で良かったと安堵です。我が家にはそういった連中が魑魅魍魎と居るので、怖さはなく慣れています。夏も終わるというのに何というアクシデント、楽観は禁物だが用心への手立てを講じておかなければ危険が…

 昨夜に書き込みへの返事をと思ったのがpm8時過ぎ、今朝のam10時過ぎまで掛かった。非常事態宣言と云うのは、コロナだけではありませんなぁ。早起きをしたのだが、繊細な機械のことなので迂闊には触れず頭痛がした。スマホ?料金が高くなるので設定していません。操作も字が小さくて片手打ち苦手ね。

 それにしても、更新の記事には事欠かずなのは悦ぶべき。まあ写真の添付もしないからだが、デジカメにも携帯にもPCの中にも保存はしてある。これも整理しておかねば増える一方で、貯めて置くだけに撮っているようなもの。体調不良になりでもしたら誰が纏めてくれるのか不明?あ・棄てられるのかな。

 今朝は涼しいとか言う気温でなく寒い。これが例年の季節への変わり目ではあるが、今年は寒暖が余りにも激しくついていけない。コロナも、暑さで弱ったかと思えば気温低下で復活猛威蔓延である。政界はそういった審議を放置しての水面下の動きで、庶民を置き去りに見切り発車をして正解はなく誤算で。

 文月三十日で明日は八朔です。吉原での白装束は、徳川家康が江戸城に登城した日だとか。昔の人は粋だねぇ、暑いのを多少は我慢しても贅沢の限りをさせる心意気。時期的には衣替えに中るため、着物も夏から秋へとの変化。長袖を出せば暑いし、半袖では肌寒いので羽織物で凌ぐ。ダメージが大きいなぁ。

 枇杷葉の生葉がとても大きくなっており、全長が30㎝は軽くある。腰痛治療には持って来いの大きさで、これ1枚で当てておけば神経が和らぐ。焼酎に漬けているのは、患部への塗布には注意してエキスが付いたら落ちません。染料にすればとても綺麗な色に仕上がりますが、茶色になり手強いですので覚悟も。
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怪盗すばる?

2021年09月05日 | Weblog
 油断していた。挽肉を冷凍庫から出してフライパンに入れて他の用事をしていた。その日は弁当の用意があって落ち着かなく、集中していなかった。さて復帰、フライパンを覗き込んで??此処にこんだけの分量で出していた?あれぇ・出してなかったか。ん???すばる、もしかして食べたの生で…冷たいのは平気。

 回答する出窓のすばる。嫌々、解凍してたんです。お構いなく、丁度解凍出来ていたので食べ頃でした。ニャンとも怒るに叱れない事態であったが最近は飼い主の動作は無論のこと、行動を把握しており油断大敵であった。恐るべしすばるは、時々変身することも判明した。猫の安心・安全の為に、怪盗すばるに変化。

 枇杷葉茶を飲用していると、そういった事態が現れて来ますので注意をされますように。ある日突然、恋に落ちてしまうことも間々あります。わたくしのように時空を翔ることも可能ですが、目的がはっきりしていないと帰還不能です。沢田研二さんがコンサートを企画・50周年の節目。チケット予約?無理だわよぉ。

 何となく予感はあったので、近直にはとも想えてブログにも書いたがチケットは会員でないと。キネマの神様さえ行くのを躊躇しているのに、コンサートで生を観ていれば状況的にも。まあ人気沸騰するのは好いことです。そっちは遠慮なく応援できるから、ジュリー!と叫ぼう。俄かファンでは致し方も無くなのだ。

 今朝は日曜日ということもあり、のんびりと起床した。天気回復も頼りなく青空は何処へやらで、洗濯物は外に干したが無風。駐車場の出入り口にある枇杷葉は、植えて3年目に枯れ復活したものである。霊気が宿っているのを感じるものの、初冬になったら伐らねばならない勢い繁り方である。文月に雨が幸いかな?

 庭の枇杷葉の状態をじっと見ていたら、曲がった枝の途中から発芽しているのや枝が枯れたのもある。種が野鳥に啄まれて発芽すれば、役目を終えてしまうのも出て来るのだと知る。何と自然の仕組みは雄大であることか、人類はコロナに選ばれているのかもと感じて。人間が可能な範囲を超えての感染は防げる限度も。

 枇杷葉茶を煎じて飲み、枇杷湯に浸り手当を行い清貧の暮らしを送れれば佳としよう。自分では何も作れず望みもせず、この現状を甘んじよう。明日に命を終えるとも神さまが決めてのことである。その日までの来し方を煩わず、誰かに渡せるよう心に掛けていよう。枇杷葉を信じてならば心の安寧を約束してくれた。
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帯に短し襷に・・・

2021年09月04日 | Weblog
 彼の人は、引継ぎでのオリンピック開催だけを何としても遣りたかった。やべぇに言い含められバッハと高笑いに脅されて?まあ庶民を無視してるのは、最初から分かるし施策等思い付きでしかなく詮議もしない。それが椅子を宛がわれた役目。然しそれにしても、世界中から同情されて引退とは情けないが問題解決先決。

 原発の汚染処理も、黒い雨のことも暫定処理なのか?コロナは最優先だが躓きの初っ端は解決されていない。桜処か赤木さんの無実にも係わる。あの連中自体が諸悪の根源じゃないか!大平内閣が急死で危ぶまれた時に、総理の椅子を蹴った人物からしたら哀れでもある。自分を過大評価しても器には収まらなかった反省。

 昨夜、草木も眠る丑三つ時。天界では地上の憂き目を歓んでか、雷神と風神までが宴会だった模様。わたくしはそれを聴きながら読書しておりましたが、いつの間にか眠っていました。今朝は何時ものように起きたが、Aさんの検査入院が長引いているので図書館に行き返却と貸し出しを。書籍も発刊の憂き目に遭い少ない。

 道端のガードレール沿いに見事な韮の花が並び、山の崖には定家葛が傲り垂れ下がる。沿路の草むらには仙人草が生茂る。草刈りも先月済ませたばかりなのに、雨で勢いは止まらずのようだ。田舎の事情であるので、個人的には手を出す範囲でもなく花を愉しむ。我が家の韮は此処から飛来したものと思え、食卓に並べ置く。
 
 木香バラの新芽が物凄い。朝顔が巻き付いているので、遠慮がちに外すが来年の初夏が怖ろしい。野葡萄も沢山の実を付けるのを、蔓を曲げて落下。百日紅の白・紫・薄紫は花弁が減り、桃色だけが天を突き咲く。鉢の木立ベゴニアは静かに佇むが、ランタナは忘れたように蕾を出してくる。気温の上下で植物は変化する。

 先日、火急の用事で出掛けた時。ディープブルー・ターコイズのサマーニット上下を着ていたが、店に入る前から注目されて店員さんに要件を告げると直ぐに了解だった。靴は白パンプス、足の甲を覆う処が花弁に抜かれている。コロナ禍なので最小限の滞在にしたくて、事前に連絡済にしていたが、5分程度で引上げ安堵。

 不要不急の外出を控える身であれば、衣類も着替える機会が減った。普段着にして着ておかねば、これから先にはもっと袖も通さずになる。コーディネイトするのも気分次第だが、自分の好きな色と似合う彩が違わないのは愉しい。店員さんを驚かせる心算はなかったが、印象に残ったのは確かだな。宝石も香水も似合わず。

 魔女の覚醒からの続巻も、緋色の夜明けで完結するらしいが抜群に面白い。汝の敵を愛せよでイエスが見せた奇跡、視えない者の眼が開き歩けない足が立った。枇杷葉は、まさしくそれなのであり感謝と祈りで適うのだ。アビーが枇杷葉エキスで拭くとうれしそうにしてるんだ。判るんだね気配で、命あるものには必ず通じる。
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枇杷葉エキス

2021年09月03日 | Weblog
 枇杷は早春から出始め、夏までの期間を店頭で見かけます。出初めにはハウス物が殆どで、粒は大きいけれども甘さは少ないです。初夏を聴く頃になれば路地物が出るので、品種もさまざななら味も多々です。一般的なのが長崎茂木で、形は涙型で楽器の琵琶に似ているのが特徴。味は土地の条件に左右される。

 田中は、少し大きさが増しているのと果汁たっぷりで甘酸っぱい。淡路島のが美味しいですが、堆肥や農園の遣り方で大きく異なる。糠と塩だけの自然農法には小まめな手入れというか、声掛けや気持ちを添わせることが欠かせない。愛情を心に留め接すると、枇杷葉にも伝わるのは奇跡の林檎と同じなのかも。

 千葉県の周辺であるのが房州で、形は丸くゴルフボール大である。特に甘さも強くなくだが土質にも因る。我が家のは何れも甘く果汁は多いし皮は薄い。無農薬での栽培であり、葉の大きさや出来具合にはその年の気温も無関係ではない。袋は掛けてもしなくてもどちらでもいいが、ネット張りは独りでは無理。

 土肥の白枇杷。長崎茂木と形は同じだが大きさは小振りで、甘酸っぱく果汁も多い。白枇杷だけだと見た目には熟れていないような色付きだが、他の赤枇杷と並べると分る。我が家のは粒が小さいので(摘芽しないため)、食べる時にめんどくさがる向きも有。然し乍ら効果は赤枇杷の30倍はあり、取扱い注意。

 枇杷葉は、飲用した種を植えて発芽したのを3年程育て冬場に移植。鉢でも地植えでも可能だが、木丈は10mにも伸びるので設置場所は検討しよう。家の近くが一番好いが、土地の問題も生じるだろうから判断は自由。位置としては西や北向きだと日照条件で、発育環境が変わって来るので余裕を持つように。

 枇杷葉が着床したら新芽が出て来るので、その年は採らないで置き翌年の冬からにしよう。苗の場合でも、採れなくはないが枯れてしまう恐れも有。枇杷葉は根張りをするので小さな鉢だと下を突き抜けて広がる。プランターだと気づいたら動かせないことにも。さて5年目位から硬くてごわごわの葉を採ること。

 用意する物。果実瓶・ジャム瓶・ペットボトル ホワイトリカー(35℃)枇杷葉の生葉数枚。これを容器に合った形態に切り、焼酎を注いで1ヶ月程度で完了。冷暗所での保管。色々な容器で作って置くと、多方面に使えますので便利です。種だけであったり、花芽が咲くようになればそれも可能で杏仁の香が。

 枇杷葉の生葉は主に外科的な処理・処置ができ、花芽や種は内蔵への手当や化粧水に適しています。肌荒れは勿論のこと、自律神経失調症にも効果がみえ心因性の癒しになります。アルコールに抵抗感のある方は、煎じて飲む方法もあり枇杷葉茶として用います。一度に大量でなく、毎日続けることでの治癒を。
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自然治癒力なれど

2021年09月02日 | Weblog
 人間のと言うよりも、生き物・生命体には必ずある機能なのではないか?それを何等かの方法で援ける働きをするのが枇杷葉と云う、媒体ではなかろうか。随分と前になるが、仕事が建物内の掃除で埃の積む場所を徹底的にした。埃が煉瓦であるのも曲者だった。結膜炎になってしまい痒いわ爛れるわの眼が開かずで。

 枇杷葉の生葉を漬けていたエキスで拭き、枇杷葉茶で洗顔して目脂を払拭したことがある。物凄いダメージで危うく失明する処だった。無論仕事は休む。この会社では、膀胱炎にも悩まされた。敷地内には煙草の吸殻が彼方此方、わたくしはそれを火箸で延々と拾って歩いた。咽喉に痰も絡まるしで最悪の条件が並ぶ。

 枇杷葉での治療しかなく(保険には未加入)、高額なことと時間的に無理があって通えず。だが仕事に行かねば生活できない。熱のある震える身体を、枇杷葉で騙して勤めたが過酷さに1年で辞めた。あの時の悲惨さを思えば、今の何という快適さであり体調維持の歓びだろう。自然からの恩恵に感謝以外には有得ず。

 医者は専門的な知識は豊富かも知れないが、経験や専門外のことには数値だけで話している気がする。個人的には医者は信用しない。データだけを見て、患者の顔も診ず処方箋を出す。保険に加入していた時には仕方なく受け取ったが、殆ど呑まなかった。だってあれは毒です。物凄い拒絶反応が出てそれで再度受診。

 人間の身体には自然治癒力が備わっており、枇杷葉は症状に応じて癒し治していく働きをしている。其処には心・精神的な応対もしていて、緩やかでありながら的確に治癒する。人間の身体は年齢と共に縮んだり、錆るし壊れていくのは自然のこと。それを枇杷葉は速度落とし、或いは再生する働きを潜ませているの。

 草木染めにも活用できるのは、柿や紅花同様に保温・保湿効果があるからだ。江戸時代には、そういった作物や植物は生きていく糧であったから、最終的な処分まで待って使った。それでも冬の寒さから身体を守り、知恵と工夫で生きてきた。今は贅沢な限りを尽くし、資源を無駄に使い地球を壊して平然としている。

 昨夜からの雨である。真夜中には雷鳴を聴こえたが、雨音ばかりで朝を迎え今しがたまで激しく降っていた。すばるは新しい寝床を用意したのが気に要らず、場所も嫌だと抗議する。ハンモックなんだけど吊るしてないから?もう少し寒くなったら毛布を敷きます。色が黒なのも駄目らしい、同じ色で好いと思うのよ。

 
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文月、八専始まり・長潮

2021年09月01日 | Weblog
 八専。はっせんとは、壬子の日から癸亥の日までの一二日間の内、これに五行を配した時干と支が同じ五行となる壬子・申寅・乙卯・丁巳・己未・庚申・辛酉・癸亥の八日のことで、一年に六回ありこの日は法事・供養などの仏事、破壊的な物事の着手、嫁取りなどには凶日とされています。と暦には載っている。

 昨今の生活では凡そ暦で事例を決めたり、判断の基にすることは少なくなったが避けられるならとも思える。古の人々は、運気が悪いと方違えをしたりだったが。源氏物語や枕の草紙では一般庶民の暮らしこそ多忙であるが、宮中や其処に集まる者は暇な時間を潰すのに苦労もあった。人も多くなかったからだろ。

 枇杷葉が遣唐使・遣隋使で中国から渡ってきた時には、薬樹・薬草での管理は内々のことで絶対に庶民に洩れてはならない箝口令・極秘密。奈良時代に施薬院との名称で光明皇后が建てるが、観音さまのお告げであると銘打ったのは漏れては困るから。植物の名が連なるものの、枇杷葉に関しては一切が省かれる。

 枇杷葉は其処に努める者が、懐に忍ばせた一粒の種からの発芽で育ち密やかに花を咲かせ実を結んだ。月日は経ち、枇杷葉であれば傷口は治り傷痕は残らず回復する。徳川家康の執念には常時枇杷葉茶を飲用して節が伺えるのは、精神的なものが大きく粘り強く強固な意志を思わせる。鳴くまでは余りにも長いよ。

 今と昔では医療事情も転換期を迎え大きく変化しているが、人間の精神的な内面は然して変わらずと思う。何世代も同居する時代ではないが、却って単体での経緯が悲劇を生むこともある。お互いとの認識も欠け、相手を敬う気持ちも失せれば他人の命等どうでもいい。感情の縺れも解けなく縛られていくばかり。

 枇杷葉でわたくしに出来ることにも限度がある。気づいてくれなければ、こちらに振り向いてでなければ援けられない。闇雲に枇杷葉の効能を書いているからと言って、信じてくれなければ無意味でもある。一心に念じて祈り波動を飛ばし続けるしかなかった。安い同情もしたくなく、想いの通じることだけを…。

 此処に来てくれて文章を読んでくれたかな…癌治療の投与は止めたそうだが体力の回復には遠いだろう。近所にはきっと枇杷葉があるわよ、我が家のでなくとも鼻を摘まんででも飲んでほしい。ブログ名も書けずハンドルネームも言えませんが、本人ならきっと気づいてくれると信じています。探し当てたのも縁。

 今年も余す処4ヶ月となった。枇杷葉の新芽も勢い増しで繁っているのに、月末ともなれば葉の中心が膨らみ始め苞が覗く。これが次第に大きくなって薄茶色の苞から白い花弁を伸ばす。11月や12月になると、そこら中が芳香に包まれ寒中へと渉っていく。旧暦の霜月から師走にかけて剪定し、花芽茶や生葉を採る。
 
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