枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月・八せん終わり・中潮

2021年09月12日 | Weblog
 季節は本格的な秋に突入しており、草木の様子にも変化が見られる朝夕となる。観葉植物の室内取り込みも遣っておかねば、霜が降りたら一大事。問題は置き場所だが、就寝する部屋に持ち込むことにした。すばるの動向が気になるものの、増えた鉢の行き所も見当たらずなのも不安を掻き立てるばかりだ。

 nasuさんからの物件が丁度正午に届いたが、ご飯を作ってだったり食事中では咽喉に詰まっても困る。頃合いをみて先程連絡し、余りの出来事に説明不可となってしまう。もお駄目だよぉ~独りなんだから…誰かに上げるかって?勿体なくも、腐らせないようにだけはしなくちゃ。お礼もそこそこで舞上る。

 枇杷葉の効果は多用途に用いられるが、実に個人差も激しいもので断定はできないのだ。其処には信じるという心が作用するので、幾ら話しても聴けなければ回復は望めない。病を治したい・愛しい人を治してあげたいという相互関係が築かれ、枇杷葉の力が援けるのだ。絶望の淵に居る者は救えないの…。

 きくは、聞くではなく聴く。それが繋がっていき通じあうことで連携作用が生じて、身体の傷んだ箇所に効く。同じことの繰り返しになるが、微々たる始まりであろうとも続けていれば助かる。医者には命は援けられない。薬の投薬投与でしか保てない。副作用の強烈さを鑑みるに、怖くて身体が拒否する。

 以前の勤務先で密告したり攻撃していたkさん。先月の半ばから体調不良で今月一杯休養らしいが、わたくしへの見返りだろう。その前には父親の急死で、一言でも詫びるという態度であれば救われ赦されたものを。自分本位でのわたくしへの面当・暴言にも、黙り耐えた酬いを受けたようで辛抱に乾杯ね。

 ブログ訪問をしていても、中味のない文章もあるし解読不能のことにも遭遇するが数人の方は変わらず。根気が良いというのか、辛抱な性格とも云えるがお互いの暗黙の了解に頷く。何もかも人任せであったり、同情を余儀なくさせればいいのでもない。自分なりに遣っていることが誰かの気持ちも明るく。

 あ・基本、わたくしにはそういうのはありません。安易な同情は真平なので、影に隠れてしていることはあっても書かない。人の何倍も努力を重ねても達成できない事もあるし、視点を換えたら驚く成果になることも儘あるから諦めないだけ。病院・医者嫌いなのも、性格が悪い故で信用できないからでも。

 まあね、年金暮らしで金銭的なこともあって無駄な金はない。枇杷葉で儲ければ好いとも思われるだろうが、効果が各々異なるので対価も違う。そのトラブルにも巻き込まれたくない。無償であれば気分も楽でしょう?但し着払には致しますが、第六感にも判断を委ねるので簡単にはいかず誤解も生じる。

 
コメント (14)
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