枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

望・大潮、葉月・お月見

2021年09月21日 | Weblog
 運動は嫌い・苦手で、ドッチボールでさえ突き指をする。すばしこさに欠けるので的になるらしいが、樫木では折れるんだわ。小学校時代も逃げ足は速いが平地は駄目で、斜面や上りは得意だった。崖など物ともせず飛ぶので猿と言われた。この反対に男の兄が頭でっかちで、勉強で点数を稼ぐ知能犯でもある。

 妹は棒切れを振り回し、柿の木に登り山を駆け近所のガキと取っ組み合いの喧嘩もする。何時も言われてたな…おとなしゅうしとれ! 何を言うか、この間は助っ人してやったわ あんちゃんが泣き虫で弱いからじゃろ。向う処敵なしである。人間は、勉強が出来れば好いのではない。けど弱い者虐めはせんわ。

 ああ・つまらんの兄貴など要らんわ。弟が居たらなぁ…絶対に姉ちゃんが鍛えてやる。幸田文・弟とは違うが、他所の兄妹関係を見るにつけ羨ましかった。今は枇杷葉での繋がりで大勢の妹、兄も数人居るで弟も。近しい間柄ではなくても心が通じることにうれしくなる。皆さん有難う感謝感激雨あられの心境。

 昨夜は雲が多くて短時間で切り上げた。佐藤愛子・戦い止まず陽は暮れずを、予約者が多いと貸し出されたので急ぎの返却で。ご自分でも書いているから言えば、大器晩成の方なのであろうなと読んでいる。境遇からして籤運も悪かったらしく、日の目を見るのが遅かった。還暦を過ぎれば体力も衰える道理だ。

 でも。何をするでもなくても生きているんだから好い。早くから華々しい活躍であったり、売れすぎての結果早死にしても。普通にしていて、亡くなるのが最善であり嬉しいと思えるがどうかな?ハチャメチャな人生のようで、したたかでありなるようにしかならんと悟った結果歯車は好転したような気もする。

 物書きは嘘が吐けなくてはならない。事実も真実も無く、雑文であると何であってもそこを巧く誤魔化せる手腕がなくては読者は飽きる。そうだろうなぁ・・・わたくしだってブログ上では演じていますよ、元女優ですから。然しそういったことを感じさせずで、訪問者を労りようこそと云う。枇杷力恐るべし。

 晴れ渡った天気に枇杷葉を撮影し、唐辛子・木通・木香バラと写していった。駐車場の3年目に一旦枯れた枇杷葉は、既に5mはあり手が付けられん状態になっている。今年は、これを主体にして剪定をしよう。きっと雨神のお陰だろう、生葉も勢い伸び硬くなってきているのはうれしい。焼酎にも漬けられる。

 物事への決まりごとは守りたい、生葉を寒中に採るにはそれなりの理由があるのだが早まる。何でもかんでも早く・速くと追い立てるが、その時期まで待つという行為が何故出来ぬ?徳川家康を好むと云いながらも、本音では誰よりも速くなのも違和感がある。枇杷葉は、その時期でないと効果も半減しちゃう。

 
 

 
コメント (14)
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