資料館
リコーデジタル G3
奥の部屋には展示ショーケースがあり、武蔵野国国分寺にまつわる貴重な文化財資料が展示してある。
今回は、武蔵野国国分寺に使用されていた屋根瓦に一部が展示されていた。印象的だったのは瓦を作った場所(国?)の刻印が鮮明に残っていたことだった。
天平時代にこのように素晴らしい焼き物技術があったこと、造形美に満ち溢れていることに感動した。
資料館
リコーデジタル G3
奥の部屋には展示ショーケースがあり、武蔵野国国分寺にまつわる貴重な文化財資料が展示してある。
今回は、武蔵野国国分寺に使用されていた屋根瓦に一部が展示されていた。印象的だったのは瓦を作った場所(国?)の刻印が鮮明に残っていたことだった。
天平時代にこのように素晴らしい焼き物技術があったこと、造形美に満ち溢れていることに感動した。
資料館
再び国分寺資料館に戻る。今まで国分寺の文化財としてばらばらに保管展示されていたものをこの資料館に取りまとめて保管展示することになった。これにより国分寺の文化財的資料の散逸を防ぐことが出来ると共に、一箇所で弥生時代から天平時代の国分寺の資料を見ることが出来るようになった。
国分寺史跡ジオラマを見ると天平の昔の国分寺の規模の大きさが分かる。
七重の塔の威容は素晴らしいかったであろうと想像される。3枚の写真ともバックの関係で上からの撮影しかしていないために、建物の高さが出ていないのが残念だ。やはり下からのアングルや他方向からと色々なアングルで撮影するべきだったと反省。
計画停電はどうなっている??
昨日は、我が家は第3グループで15時20分から18時20分までが停電とい言うことになっていたが、昨日は実施されなかった。
しかし18時頃所用で外に出ると、我が家の向かい側の家並みはすべて停電していて真っ暗。
あれっ??? 何故?? 一瞬目を疑った。
同じ第3グループの我が家は、一昨日は確実に実施されたのにもかかわらず、昨日は何故実施されなかったのか?
第3グループでも実施される所とそうでない所があるのは不思議である。停電を予定して行動しているのにもかかわらず、これでは大いに迷惑である。
電力が余っていようが不足していようが、決めた時間に実施された方が生活予定が立て易い。東電の苦衷は分からないではないが、もう少し確り実施して欲しいと思う。
停電
東北地震を受けて計画的に停電する「計画停電が」実施された。
リコーデジタル G3 ISO800
計画停電実施区域を5グループに分け、一日に3時間程度の停電が、グループごとに時間をずらして行はれる。
我が家は第3グループ、昨夜午後6時50分頃より8時50分頃までの約2時間実施された。
ローソクの明かりのみの生活、太平洋戦争時代を思い起こした。毎晩こんな状況だった・・・・
リコーデジタル G3 ISO800
蜀台が無く、急遽その辺にあるブリキ缶の蓋に仏壇から取り出したローソクを立てた。
リコーデジタル G3 ISO800
暖房器具はこんな事態もあろうかと、数年前に用意した電気を使わない石油ストーブが活躍した。普段はガスファンヒータを使っている。
被災地の復興にいくらかでもお役に立つことが出来るのであれば、この程度の事態であれば何時でも協力したいと思う。
昨夜は寒かった。被災者の皆さんのことを思うと、ぬくぬくと過ごす自分たちが申し訳ないような気がする。
テレビでも再三放送しているが、買い溜めだけはしないようにしたい。買い溜めした分被災者に届く物資が不足するのだ。常に被災者のことを念頭に置き行動したいものだ。
資料館
地震は気になるがひとまず資料館の話に戻ることにする。
資料館玄関
資料館の外見は一見普通の民家のような作りになっている。
中に入るとすぐ左側に事務所があり、資料館その他の案内パンフレットや、国分寺市の生い立ちに関する書籍などが販売されている。
事務所の向かい側には国分寺史跡のジオラマがあり、天平時代の国分寺の様子が分かるようになっている。
日毎に増える被害の大きさ
日を追う毎に増える被害の大きさに心が痛む。テレビ画面に映る被害者の言葉、涙無しには見られない。
弟の連れ合いの実家が仙台だった。新築早々の家があっという間に津波にさらわれたとのこと、ようやく連絡が付き、家は無くなったが家族全員無事避難出来、仙台市内の妹の家に同居させてもらっているとのことで、先ずはひと安心。
計画停電の無計画さ?停電すると言ったり、しなかったり協力しようにもこれではただ振り回されるだけ。
交通機関の運転状況も、計画停電の曖昧さに振り回されて、十分運行されない。通勤の人たちの苦労が想像され気の毒である。
福島原発の状況は、日々悲観的な状況になってきている。放射能の拡散による人的被害もさることながら、万一近隣の都市町村に放射能が拡散した場合には、農作物に与える影響は甚大なものになると考えるのは私だけだろうか。
東北地震は決して対岸の火事では済まされず、日本全土に関わる重大事である。我々も心して事に当たらねばならないと思う。
何故??
13日午後夕食の食材を買に出た。何時ものス-パーマーケットに行くとびっくり、パンは菓子パンから食パン、おにぎり、弁当、カップヌードル、インスタントラーメン、冷凍食品野菜の一部、飲料水その他、保存食のすべての棚が空っぽ・・・・・
何これ??住民たちが今回の震災で危機感に目覚めての買いだめに走ったのか、店員に次回入荷を尋ねると、入荷は不明との返事。
道すがらのガソリンスタンドには売り切れの張り紙。ガソリンまで・・・何故??
我々高齢者にとっては情報も少なく、機敏な動きも出来ず、すべてに遅れをとってしまう。
今日はまた、計画停電とか、一日に3時間程度の停電と言うが、自分の住む町の停電時間は何時からなのか情報がない。大雑把に何々市は何時からとあるが、市の中の各町村の区別はあるのか無いのか、全く分からない。
高齢者でもインターネットを扱える人はある程度の情報を入手することは出来るが、そうでない人たちは新聞テレビの情報しかない。
行政の不手際さが目立つ。常時あるわけでない緊急事態とあればやむを得ないと思うが、もっと的確な情報を提供してほしいものだ。
巨大地震
地震で揺れた時、いよいよ関東大地震発生か?と一瞬思った。しかし被害は東北地方であった。
その後、テレビ報道に釘付けになった。東北地方の被害の大きさがテレビ画面いっぱいに広がり、特に津波が襲ってくるシーンにはただ呆然とするのみであった。
自然の威力のすざまじさ、なすすべも無い人知、この状況に直面した人々の心中如何ばかりか、想像するだに心が痛む。
加えて福島原子力発電所の爆発事故。安全を謳っていた原発が悪魔に変貌する。
チェルノヴィイリ原発事故を思い出す。地震災害はともかく、原発事故のほうが恐ろしい。無味無臭無色の悪魔が忍び寄る不気味さは地震災害以上の恐怖である。
災害地復興に微力を尽くしたいと思うが、高齢の身に何が出来るのだろうか。せめて義援金など送らせてもらいたいと思う。
東日本巨大地震
2011.3.11.午後2時46分、三陸沖を震源とするマグにユード8.8の巨大地震が発生。国内観測史上初めて、阪神大震災の180倍の規模とのこと。
私自身もこの強烈な揺れに、身の危険を感じたことは初めての経験だ。
居間のシャンデリヤは振り子のように揺れ動き、振幅の大きさは天井に達するばかり、庭の木々は振動し揺れ動き、ぎしぎしと不気味な音を発していた。
日頃このような事態の立ち至った時には、こうしてああしてとシュミレーションをしていたつもりが、いざと言う時には何も出来ないと言う現実にただただ反省するのみである。
二階の私の部屋は落下物で散乱していた。時計は完全に壊れていた。心配したカメラの収納庫は難を逃れ安泰だった。パソコンもデスクトップ型はパソコンラックの上を10センチほど移動していてもうしこしで落下する所だった。
ノートパソコンはこのようなことを予想してあらかじめ高さが低く面積の広いデスクにおいてあり、被害にあうことはなかった。
納戸も少し落下物がある程度で治まった。一階では収納庫の扉が開き中のものが表に散乱しているといった状況だった。
私の兄弟、そして茨城県取手市に住む家内の兄弟たちも皆無事、室内の落下物の損傷のみで済み一安心。
それにしても東北地方の被害の大きさには胸が痛む。亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、一日も早い復興をお祈りする。
資料館
ソニーサイバーショット HX5V
庭の一角に石造りの五重の塔があり、近くの古木とよく似合っていた。
リコーデジタル G3
奥には裏門?だろうか。竹薮があり、椿の垣根がめぐらされ、山奥の山荘の趣がある。
ソニーサイバーショット HX5V
藪椿?山茶花?見分けがつかないが所々に咲いていた。
ソニーサイバーショット HX5V
奥に見えるのが資料館。瀟洒な白い建物である。資料館として新しく建てたものであろう。