そこへやっと行けたのは、おそれ入谷の鬼子母神の朝顔市の日だった。
長いこと東京にいながら、ついぞ朝顔市など縁がなかった。
大阪へ居を移してから行けるようになるなんて、不思議なもんだ。
根岸にあるこの居酒屋へは長いこと行きたかった。
「鍵屋」は江戸の昔から続く酒亭。
いかにもガンコを絵にしたような門構え。大正年間の建物。
元の江戸から続くしもた屋は、震災、戦災をかいくぐり、今、小金井市の江戸東京たてもの園にある。
朝顔市だし、混んでて入れないかもしれぬと友人におどされて行くと、
案の定混んでいて、ご亭主「ひと回りして来てください・・・」。
ひと回りって、何分がひと回りになるのか分らぬ。
朝顔市をひやかして、町内あちこち歩いて戻った時には
やっぱり空いてなくて、友人は「今日はダメだな、また来らぁ」と帰ろうとする。この辺が江戸っ子の引きの早いとこ。おいおい、冗談ぢゃないよぉ。こっちはそう安々とこれる立場ぢゃない。必死で食い下がる覚悟だったが、しばし待って、亭主、席を作ってくれた。そうこなくっちゃ。
お通しは、みそ豆でぇ。
こういうと、関西人はどこに味噌がくっついてんのかと探し回るだろうが、ただ茹でただけ、みそになる手前の大豆なんで、その名がある。
コスモポリタン(日本の)の我が家では、わりかしこれが食卓に乗った。
辛子醤油で食うと、ちょいとオツなもの。
冷奴 根岸はってぇと、笹の雪なんて豆腐料理屋があるぐらいだからきっと水もよかったんだろう。鶯谷っていうぐらい谷間だったし。
正岡子規が庵を結んでいた。文人が多かったんだ。三平とか…。
できますものは・・・冷奴、煮奴、たたみいわし、とりもつ鍋、とり皮なべ、大根おろし、合鴨塩焼き、味噌おでん、お新香、さらしくじら、もずく、かまぼこ、玉子焼き・・・以上。
きっぱりしてるね、どうも。限られた肴で呑む。自由な中にもストイックさがあるのが東京老舗居酒屋の粋さ。満ち足りちゃいけない。関西人ならば、あれも食べたいこれも食べたいと小皿並べて、メシ食ってんだか酒飲んでんだかわかんなくなる。(それも好きだが)
その辺、カチッと線引きするのが昔の居酒屋だ。粋(いき)とは痩せ我慢でもある。腹減ったなら家帰っておまんま食いな、というわけだ。
第一、とり皮やき、とりもつやき・・・はあっても、焼きとりはない。
うなぎくりから焼きはあっても、うなぎ蒲焼はない。このゲテ味がいいではないか。 この見事な引き算のアテのラインナップよ。
変に料理屋になろうとしないところが立派。
さらしくじら 関西では圧倒的に辛子酢味噌。ここは濃い甘味噌。
映画「居酒屋ゆうれい」でも、この「尾羽毛」が小道具として効いてた。
旨いような旨くないような、まったく霞食ってるような、酒を飲むようになって初めて旨くなってくる食べ物の一つだ。
経験上、いい老舗居酒屋には造り酒屋が配った美人画が何十年も
そこに飾ってあることが多い。何よりの装置である。
ちろりでつける燗酒は桜正宗、菊正宗…、純米だ吟醸だのあれこれ言わない。背の高い、白磁の徳利がスキッとしている。
ここはかつて女人禁制だった。今も女性同士は断られる。江戸から続けられちゃあフェミニストも文句言えめえ。
裸電球の色のやさしいこと。壁の衣紋掛けの浴衣に着替えて、兵児帯をサッと巻いて、トンと定位置に座ると、酒と小鉢の一つも出てくる。
くいっ・・・。窓の外からは虫の声。こたえられませんな。(てなことを、二階見上げて想像)
残念ながら、風流な根岸も様変わりであり、実はもう、このすぐ隣まで賃貸マンションが迫ってきている。
本当にこういう店はいつまでもそこにあって欲しい。まったく酒呑みの有形文化財なんですな。
居酒屋 鍵屋 台東区根岸3丁目