フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

金沢 ひがし茶屋町をめぐる

2020-01-14 | 旅行

今日は、金沢の「ひがし茶屋町」を訪ねよう。

金沢市ホームページより
 
「東山ひがし重要伝統的建造物群保存地(平成13年国指定)」
 
浅野川の東岸に位置する「ひがし」は、文政3年(1820)犀川西岸の「にし」とともに公許され、形成された茶屋町です。街路に面して、一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして座敷を設ける「茶屋建築」が連なっています。
京都・祇園の茶屋町と並び、これら江戸時代後期から明治初期にかけての茶屋建築がまとまって残されている「ひがし」は、日本の華麗な茶屋文化を今に伝える貴重な町並みです。」

 朝は時折陽が射していい天気になった。

朝風呂にゆっくり浸かり、食べ応えのあるバイキングの朝食を食べる。(写真を撮り忘れる)

ホテルを出てJRの駅に着き、構内を歩くと、「シャインマスカット」の写真が掲示されていた。何かなと思ってよく見ると、なんと、「加賀ブドウ」と書かれているではないか。「シャインマスカット」は甲州・信州だけかなと思っていたが、加賀でも作っているとは驚いた。

ホームの向こうには、橋杭がどんどん建設されている。そう、北陸新幹線の福井への延伸工事が進んでいるのだ。

金沢に着いた。方言で、「あんやと」というらしい。

金沢の東山山麓は数々の寺が連なる街を形成していて「卯辰山山麓(うだつさんろく)重要伝統的建造物保存地区」となっている。

その南西に「東山ひがし」の茶屋町がある。

市内を流れる浅野川東岸にそって町は広がっている。「秋声のみち」の表示があり、近くに「徳田秋声記念館」がある。徳田秋声は金沢の出身だったのか、できれば立ち寄ってみたいなと思いながら、茶屋町に入っていく。

※ 「徳田秋聲(1871~1943)は、尾崎紅葉の門下を経て、田山花袋、島崎藤村らとともに明治末期、日本の自然主義文学における代表的作家として文壇に名乗りを上げました。・・「新世帯(あらじょたい)」「黴(かび)」「爛(ただれ)」「あらくれ」「仮装人物」「縮図」などの諸作が名篇として知られています。」(記念館ホームページより)

 

北陸と言えば、幻の魚ノドグロ・・普通の名前は「アカムツ」というが、口の中が黒いのでそう呼ばれている。昔は見向きもされない安い魚だったらしいが、テレビで取り上げられてから、希少価値が高まり、高級魚になったといわれている。

そのノドグロを食べさせてくれるという店に入った。(店の名前を忘れてしまった)

少し小ぶりのノドグロの塩焼き定食。プリッとした白身を口に入れると、脂ののった旨みが広がった。

昼食を食べ終わった後は、茶屋町の中を歩く。観光客が少しずつ増えてきた。

しばらく歩くと甘いものが食べたいということとなり、ぜんざいを食べに入る。

少し時間がかかりますとのことだったので、待つ間にビールを少々。少し違和感があるといえばある。

外がかりっと焼かれた餅が入ったぜんざいは、適度な甘さで、美味しかった。

その後もぐるっと歩いて、道路側に出てきた。

「秋声記念館」に寄るはずだったが、あちこちしているうちに時間が無くなってしまった。次回に置いておくことにしよう。

金沢市内のバスは右回り・左回りがある。RL(ライトループ)LL (レフトループ)と呼ばれていて、「ひがし」はバス停「橋場町」にある。金沢駅からは往きは右回り、帰りは左回りに乗ると、便利だということを知った。

LLに乗って200円で金沢駅東口に戻ってきた。綺麗に張られた「雪吊り」も、こう雪がないとさみしいな。

雪がある時に再び来訪したい気分になった。


冬の北陸路

2020-01-13 | 旅行

この数年、山の会のメンバーと冬は、温泉旅行に行くことになっていて、今年はどこに行くのかなと楽しみにしていたら、北陸路の温泉ということになった。

11時42分大阪発の「サンダーバード 19号」乗り込む。

昼食は各自弁当を用意することとなっていたので、近鉄百貨店に行くと、長い行列ができているコーナーがあった。どれでも2品で1080円と書かれているのでお得感がるようなので私も最後尾に並んだ。私は、ちらし寿司とお酒のあてになりそうな詰め合わせを買うことにした。

列車が発車してしばらくすると12時を回ったので早速ランチとなる。

右手には、琵琶湖が広がっている。雪は見られない。

それから山間に入り、いくつかトンネルを抜けて福井県に入っても、雪は全く積もっていなかった。

その後予報通り雨が降り始めたころ、「加賀温泉」に到着した。

今夜の宿は、「加賀百万石」。入口を入ると和傘と屏風が美しく飾られていた。

部屋でくつろいだ後はPH8.1無色・無臭の弱アルカリ泉に浸かる。

平日ということもあり、客は少なく、ゆったりと湯船で体を伸ばすことができた。

体を温めた後は、お待ちかねの夕食だ。乾杯の後は、蟹の実をほぐして口に運ぶ。自ずから、皆さんの顔がほころぶ。もちろん、会話は一時途絶える。蟹のあとは鰤の煮つけに舌鼓を打った。


秋田乳頭温泉の旅

2019-02-06 | 旅行

このところ数年続けて、山登りのメンバーと冬の温泉旅に行くことになっている。昨年は津軽海峡だったが、今年は秋田乳頭温泉に二泊三日で行くことになった。

伊丹空港から秋田空港までの空の旅は、1時間半弱しかかからず、飛行機に搭乗したと思ったら、ほどなく雪の秋田空港に着陸した。

私たちが止まった宿は、田沢湖にあるので、秋田空港からのマイクロバス便の方が時間がかかったような気がした。

2日目に、秘湯乳頭温泉鶴の湯に行く。山越えの雪道を40分ほど走ると、目指す温泉に着いた。あたりは、湯治場の雰囲気で右側が、宿泊棟になっている。

温泉施設は、建物が古くしかも狭い。そんなところに、各地からマイクロバスで駆けつけるので、脱衣場は、何とかならないものかと思わせるほどの混雑だった。湯船も狭いところに詰めて入るので、ゆったりするどころではない。

隣が露天風呂になっていて、男女混浴なのには驚いた。

これで、観光客が少なければ、雪の秘湯をゆっくり楽しむことができたと思うと、残念な旅になってしまった。

最後の日は、山の中で行くところもなく、チェックアウトを済ませると、ロビーで秋田空港行のバスを待つだけ。帰りの飛行機は、気流が荒れて大きく揺れたが、北アルプスの峰々や富士山が美しかった。


笛吹ローズクラブの活躍

2018-05-12 | 旅行

旅館で山のメンバーと別れた後、JRの石和温泉駅まで歩くことにした。

石和橋に、横笛を吹く銅像が立っていた。フルートを吹く者にとっては、これは、等閑視できないので近くへ寄ってみた。

橋のかかっているかわはきれいな川で、錦鯉がゆっくり泳いでいた。

「笛吹権三郎伝説」との解説版があった。笛吹川の名前の由来となった母親思いの権三郎の悲しい物語が綴られていた。

石和温泉駅に行くと、驚いたことに駅前は満開のバラで埋まっていた。

コマツガーデンがあるからなのか、それ以前からなのかわからないが、これだけ見事なバラが駅前に咲いているところは他にあるだろうか。

写真を撮っていると、一人の男性が微笑見かけてくれた。お話しすると、その方は「笛吹ローズクラブ」の会長さんで、会員さんたちがボランティアで手入れされていますと、教えてくれた。現在、102種類450本のバラが育てられている、とのこと。
皆さん和気藹々で、バラの好きな人たちばかりが熱心に、花柄摘みなどをされていた。

美しいバラが咲く陰には、大変な苦労があり、それだけに咲き誇ったときの喜びもひとしおなんだろうなと思った。


冬の龍飛崎を訪ねる

2018-02-26 | 旅行

私たちの山の会は、冬に小旅行することになっているが、今年は、冬の龍飛岬に行ってみようということになった。2泊3日の旅だ。さすがに旅行客は少なかった。真冬の青森~竜飛崎を訪ねるのはよほどの旅好きしか行かないであろう場所だからだ。

大阪伊丹空港を飛び立った時はいい天気だった。

それが、青森空港に着くと、一面の雪で、雪雲が覆っていた。

一日目は弘前市の東、平川市南田温泉「アップルランド」に宿泊した。

2日目、1時間半ほどバスに揺られて、ようやく竜飛崎にある「竜飛崎温泉」に到着した。

早速、防寒服に身を固め、竜飛崎へ歩いていくことにする。寒風が吹きすさぶ岬なので、雪は風で吹き飛ばされ、道は凍ってつるつるで歩きにくいことこの上ない。灯台の向こうが龍飛崎だ。

ようやく竜飛崎に到着。ものすごい風で、写真のシャッターを押す手がかじかむ。一同、何はともあれ到達できたことを喜んだ。

直ぐ近くに、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌謡碑が立っていた。こんな寒い時に竜飛崎に来たのは、この歌があるからだ。

宿に戻って温泉に浸かり、地酒「竜飛崎」を味わった。旅情が加味された分、美味しさがひとしおだった。

明くる日の朝はいい天気になった。宿からは、津軽海峡の対岸にある北海道の山々がよく見えた。この下に北海道新幹線へと続くトンネルが通っている。

宿から青森駅に戻ってきた。道路には、雪がたっぷり残っている。そここで雪かきをしている人がいて、雪国の暮らしの大変さを思った。

 

青森に来たついでに、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を見学した。
多くのねぶた作家の作品が展示されている。照明が消されているので、美しい世界が広がる。

これが、祭りの時に街を練り歩いたら、さぞかし信じられないほどの迫力となって迫ってくるであろう。

雪の青森を離れ、伊丹空港に戻ってくると、穏やかな冬ばれの青空だった。