フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

玉鬘の婚姻「源氏物語」第5巻

2012-08-30 | 濫読

5月に第4巻を読み終えてから、バタバタをしていたため、続きを読むのに時間がかかってしまった。8月の終わりになって、ようやく第5巻を読み終えることができた。

「螢」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「藤袴」「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」の9章。源氏36歳から40歳の間の話である。

 

玉蔓をめぐる話が中心だ。源氏の娘として育ててきたが、それが左大臣の娘であることを源氏が左大臣に明らかにすることで、話が展開する。入内させるが、最後には、髭黒の右大将の妻となり、若君を生む。それもあってから、髭黒の右大将の北の方は心の病に侵され実家に帰る。

一方、若いころに相思相愛だった源氏の息子、宰相の中将と左大臣の娘、雲居の雁が左大臣の嫌がらせから仲を割かれていたが、左大臣の方から折れることにより、二人は結婚する。

源氏の明石の姫は11歳となり、入内する。源氏は天皇に次ぐ準大上天皇とまで上り詰める。左大臣は太政大臣となり、宰相の中将は中納言となる。

これで林望「源氏物語」もようやく、半ばまで読み進むことができた。年内に読み終えたいものだが、どうなるかな。


充実感と一抹のもの淋しさが漂う帰路

2012-08-26 | 山登り

12時過ぎに暑くなってきたので切っていたクーラーのスイッチを入れる。朝の3時過ぎ、「ミシッ」と音がして建物が揺れた。茨城を震源地とする震度4の地震だ。栃木は震度3との報道だった。

Mさんが、浅間山に登るというので、朝4時に一人で出発した。

長いと思っていた今回の山行きも、あっという間に帰る日になった。山行きの合間にフルートを吹こうと思って持参していたのだが、これまでそのゆとりが無かった。今朝は朝食までの時間があったので、散歩に出たついでに、那須の森の中でフルートを吹いてみる。4日間吹かずにいると、音が擦れてしまうやら指がもつれるやらと満足のいく演奏とはならなかった。

1時間ほど吹くと朝食の時間になったので、ダイニングルームへ。

別にパンが付いたワンプレートの朝食は、まずまずだった。

食後、土産物を買うために道の駅「友愛の森」に寄る。野菜売り場はにぎわっていたが、地元物産コーナーにはたいした土産物がないのに驚いた。他にもレストランや工房館などがあるが、これだけの広い敷地がある道の駅にしては、少し淋しい。

帰りは、東北道~北関東道~関越道~上信越道を通る。軽井沢で何かイベントがあるのだろうか、高速の下り口で渋滞していた。東部湯の丸SAで、早朝浅間山に登りに行ったMさんが合流し、昼食を取る。SAは、太陽が照りつけ、ものすごく暑つかった。
その後は長野道~中央道~名神~第二京阪と高速道路を走りついで19時大阪に到着した。往復2000キロ超を一人で運転したSさんには、たいへんなご苦労をおかけした。改めて「お疲れさまでした、有難うございました」とお礼を述べさせていいただきます。

こうして、春先から楽しみにしていた東北山行は終わった。充実感もあれば、脱力感ともの淋しさが同居した心境だ。階段を下る時の脚の筋肉の痛みは、簡単に消えそうにない。


エメラルドグリーンのお釜が美しい蔵王

2012-08-25 | 山登り

幸いなことに今日もいい天気に恵まれた。ゆっくりと温泉につかった後、朝食を食べる。ゆったりしたいところだが、今日も時間がタイトになっているので、旅支度を整える。

宿を出ると直ぐに刈田岳直下の駐車場に車を走らせる。夏休み最後の土曜日と言うこともあり、駐車場は直ぐに一杯になってきた。前方に横たわっている熊野岳を目指し、だだっ広い馬の背を登る。

登るにしたがいエメラルドグリーンのお釜が見えてきた。色の鮮やかさ、五色岳の荒々しい姿など、見あきることがない。

40分ほどの登りで熊野岳(1841m)に到着した。

既に大分雲が上がってきたため、眺望は今一つだ。

帰りは頂上避難小屋を周り、刈田岳に登る。車道が通じたため、蔵王山は、実に登りやすい山になった。その反面、刈田岳のあたりは、観光客であふれていた。蔵王岳は、百名山と言う言葉が、少し白々しい感じになってしまった。

駐車場に戻ると、長い帰途に付くことになる。一度に大阪まで走ると疲れるので、途中、那須で一泊することになっている。し麓に下りてくると夏の太陽に照りつけられ、猛烈に暑い。山形自動車道から東北道を走り、15時前に那須インターで降りる。

那須街道は、週末の観光客で渋滞していた。15時50分、那須ロープウェー乗り場到着。ほぼ最終のロープウェーだが、せっかくなので乗ることにする。

那須茶臼岳に少し登り、分岐点あたりで引き返してきた。

次回はいつになるのかわからないが、那須岳に登るときの雰囲気は掴むことができた。

ロープウェーを下りてから今日の宿のペンション「那須花」へ。「那須花」は別荘が散在する一角に建っていた。

このペンションは、岩風呂などがかなりある大きなペンションだ。お聞きすると、開業して18年になると言う。きっちりしたフランス料理のメニューは、

見た目にも美しく美味しかった。

那須では人気のペンションとのことで、宿泊客が多かった。

もう明日の登山のことを考える必要は無いので、注文したフルボディの赤ワインを味わいながらゆったりと食事を楽しむことができた。


念願の「影鳥海」、芭蕉の「山寺」

2012-08-24 | 山登り

4時30分に起床。夜中に漂っていた霧がはれて今日もいい天気になりそうだ。日本海に鳥海山の影を落とす「影鳥海」が見れるかどうか、参籠所前の広場で、日の出をひたすら待つ。東の方から鳥海山に朝陽が射し始めると、期せずして「おー」という歓声が上がる。日本海にうっすらと鳥海山の影が見え始めてきた。日本海付近の霧があるため、あまり鮮明ではないものの、確かに巨大な鳥海山の山影が日本海に現れたのだ。

あたりに朝陽が射してくると、「影鳥海」は次第に小さくなっていった。

自然が織りなす景色の楽しんだ後5時40分に朝食を食べる。参籠所の朝食は質素とは言え、生卵が付いていた。

大物忌神社を6時20分に出発する。下山は参籠所下の谷筋をひたすら下る。8月のこの時期になってもまだ、かなりの雪渓がのこっている。

振りかえると、朝陽が当たって雪渓から霧が立ち上がっている向こうに、たおやかでありながら隆々とした岩を持つ鳥海山の峰々が浮かび上がっていた。

10時過ぎに出発した鉾立ビジターセンターに到着した。あたりは一面のガスがかかってきて、天気は下り模様だ。

直ぐに、月山を目指して車を走らせる。山形自動車道を通って月山リフト乗り場に着く前から雨がぽつぽつ降り出してきた。リフト乗り場で、下山してきて登山客に聞くと「雷が鳴りだしたので登山を中止して引き返してきた」とのこと。私たちもどうするか、時間的にもかなりタイトになってしまったので、今回の月山登山は中止しようと言うことになった。

ドライブインで鴨蕎麦を食べる。温かい鴨の出汁がなかなかの味だった。昼食を食べていると、山形県西川町に大雨洪水警報が出された。やはり山に登らなかった方が良かったようだ。

その代わりにと、芭蕉で有名な立石寺(山寺)に参ることにする。

本堂を登り始めたころに猛烈な雨になったが、しばらくするとそれも止んだ。五大堂~奥の院へは階段のかなりきつい登りだった。

芭蕉の「静かさや 岩に滲みいる蝉の声」という句碑と芭蕉の像が建立されていた。往時とは違って、今は観光客の声がかまびすしく、静かさは微塵もない。

女性に人気のある寺なのか、雨にも関わらず、女性参拝者が多かった。

今日は蔵王温泉に泊まる。斎藤茂吉のゆかりの温泉で、あまり大きくはない宿だが、白緑に濁った温泉は山登りの疲れを癒してくれた。温泉旅館の料理はさすがに違う。

 


高山植物が美しい鳥海山(2236m)

2012-08-23 | 山登り

心配していた天気予報は、幸運にも晴れに変わった。長い道のりではないので宿舎でゆっくり朝食を取り、午前8時鉾立ビジターセンターから登り始める。

はるか見渡す日本海が美しい。

鳥海山は、8月の下旬になっても、実に高山植物の豊かなところである。登山道の両側には、色とりどりの花が咲いていた。

写真を取りながらのゆっくり登山なので、楽だ。さすがに8月の下旬ともなると人が少ないので、大自然を私たち5人が独占しているような雰囲気だ。

鉾立てから2時間近くで、御濱神社小屋に到着。

小屋裏には、「鳥の海」という湖がある。

そこから八丁坂を登ると「七五三(しめ)掛け」に出る。

鳥海山の頂上にかかっていた雲が晴れて頂上が見えたのが嬉しい。「七五三(しめ)掛け」で昼食のおにぎりを頬張る。

 

そこから谷に下り、ガレ場を登り直すと

13時50分大物忌神社に到着した。頂上小屋は大物忌神社の参籠所となっている。参籠所に荷物を置き、建物の裏手から鳥海山頂上を目指す。

巨大な岩石のガレ場で、登るのにしばらく苦労するが、ようやく2236メートルの新山頂上に着いた。

記念撮影をして下山する。下りは、安全のため別のルートがつけられていて、山の南側斜面を横切りながら下山してきた。17時30分から夕食を食べる。食後の夕焼けが楽しみだったが、雲が多く、美しい夕焼けは見えなかった。19時に就寝する。