いつかは読みたいと思いながら、なかなか手に着かなかった、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」(1967年)を読み終えた。
ガルシア・マルケスは、この作品などによって1982年にノーベル文学賞を受賞している。
「マコンド」という仮想の土地を舞台に、様々な苦難を経て、その建設に当たったホセ・アルカディオ・ブェンディアとウルスラ・イグアラン夫妻に始まる一族の、
始まりから終焉まで、およそ100年にわたる歴史が書かれている。
読み始めてみると、「事実」と「幻想的世界」の境界がないまま、短いストーリーがとめどもなく続いていく(「リニア―な時間の流れをほとんど踏み外すことなく記述」訳者: 鼓直(つづみ ただし))という展開に戸惑った。これは、文学的には「魔術的リアリズム」といわれる表現方法とされていて、日本の作家では中上健次の「枯木灘」などが有名である。
おまけに、登場人物の名前がややこしい。ホセ・アルカディオの子供が同名のホセ・アルカディオでその子供がアルカディオ、もう一人の子供がアウレリャノで、その子供がアウレリャノ・ホセ、その後の子供たちにもホセ・アルカディオやアウレリャノという名前が付けられている。この同じ名前・同音の繰り返しは、ややこしくなる以外にも独特の心理的効果を与えている。
要は、「ラテンアメリカの世界は、西欧的な感覚では理解できませんよ」ということを暗示しているのであろうか。
さらに、この小説を特徴づけるているのは、個性的な人物が次から次と出てくることだ。誰の言うことにも耳を傾けず己の生きたいように生き、死んでいく人々。
チョークで3メートルの円を描き、その中に立ち、その中へは母親すら入れないというアウレリャノ大佐や、不毛の愛を経帷子に織り込んで死んでいくアマランタという女性、部屋に閉じこもって誰とも合わず羊皮紙の秘密を読み解き続けるアウレリャノ・・。自分の生きざまを通すということは、「孤独」を愉しむということなのだろうか。
しかも、暮らしに困らないほどの資産を得ても、安逸に流れずしたいことをして、挙句は、家は荒れ放題、日々の食べるものに困るという生活に転落していく。これは、ひょっとすると、西欧に植民地化されてきたラテンアメリカの人々の生き方に対する作者の批判なのだろうか。
物語の背景として、赤蟻、蜘蛛、黄色い蛾、蠍、シダ、オレガノ、ベゴニアと言った動植物が頻繁に出てきて、コロンビアの亜熱帯気候の湿った暑い世界が広がる。
さらに、政府軍と自由党との内戦やバナナ・プランテーションにおける労使紛争等が出てくるなど、コロンビアの独立以来の歴史も織り込まれている。総じて、一度読んだだけでは、全容を理解できない仕掛けになっているが、個々の短い話は、「そんなことがあるはずはないな」などとつぶやきながらも、不思議な面白さがある。そして、最後は思わず唸ってしまうような結末を迎えるのだ。
読み始めてからしばらくの間かなりの違和感があり、やめようかなとも思ったが、途中であきらめずに最後まで読んでこその、喜びを得ることができた。
ずいぶん難しい本をお読みになるのですね。
ガルシア・マルケス、名前すら知りませんでした。
若い頃はけっこう本好きだったのですが・・・
本を読むのも体力のあるうちですね。
この本は、半世紀も前に出版されたときから、気になっていた本なんですが、やっと今になって読めたので、宿題をやり終えたような気分です。
南米コロンビアは、2018年のFIFAワールドカップのとき日本と一緒のHグループにいましたね。
読書は確かに体力もいりますね。そういうこともあり、消化しにくいものは先に食べておかねばと思っています・・
この名前のような 焼酎なかったっけ?
コロンビアの作家ですか、、
ベッドサイド読書家なので きっと
このような本はすぐに眠りに入れ
好都合でしょうけど
現実と 幻想世界が 入り混じるお話は ちょっと苦手〜
寓話的な
ケイ 石黒の「忘れられた 巨人」も
ファンタジーの 「Road of the ring]
なども 苦手 かな〜
最後まで 完読 拍手〜
さすがカタナンケさん、銘酒「百年の孤独」をご存知でしたか。ネットで検索すると、そちらの方は沢山出てきますね。
短い話の連続という手法なので、眠りに入るのには好都合ですよ。
この本を読むことにより、恐らくこれからも行くことがない南米コロンビアに少し親しみを覚えました。
マジックリアリズムじゃありませんよ。
たぶん同じ中上健二作の千年の愉楽と勘違いしてませんか?