フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

林望「謹訳 源氏物語 八」を読み終える

2013-01-12 | 濫読

この第8巻では、源氏が亡くなり、一挙に6、7年の月日が流れた。この展開には「あれっ」と思ってしまった。物語は、源氏の息子たちの話しに舞台が変わる。息子薫は14歳、友人の「匂兵部卿」(今上帝の弟、三の宮)の話から始まる。二人は、衣服に香を焚き染め、人も驚くほどのいい香りをあたりに放っている。

 

「橋姫」からは、言われるところの「宇治10帖」の物語だ。薫は既に20歳になり、宰相の中将になってい。宇治に宮廷社会から忘れられた八の宮(桐壺帝の八の宮)と呼ばれる宮様がいて、世間とは隔絶した奥山で仏に帰依した暮らしを送っている。宮には、姉は大君、妹は中君と呼ばれる二人の美しい娘がいた。

仏の道に関心を持っていた薫は、宇治八の宮の清らかな暮らしに興味を覚え、ある日宇治を訪ね、二人の姉妹に出会う。姉妹のことを友達の匂兵部卿に話し、いつしか二人で宇治に通うことになる。

薫中将は、姉の大君、匂兵部卿は妹の中君に心を寄せるようになる。そんなある日、二人の姫のそばに仕える老女から、薫は自分の出生の秘密(母親女三宮と柏木の不義の子)を聞かされて愕然とする。

八の宮は、山にこもって勤行の日々を送っていたが、病にかかり、二人の娘を残して亡くなってしまう。

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど
    きのふけふとはおもわざりしお」(「椎本」)

最後の章は「総角」、これを「あげまき」と読むのは知らなかった。飾り結びの一つで、四っつの結び目が美しい結び方だ。

「あげまきに長き契りをむすびこめ
       おなじ所によりもあはなむ」

姉妹と薫、匂兵部卿とのやりとりが、いつ終わるともしれないほど続く展開に少しうんざりさせられたが、驚いたことに、大君も病に倒れ、亡くなってしまった。一人残された中君はどうなるのか、というところで「総角」の章が終わる。恋の会話はほとんど歌のやり取りで進められるという、平安貴族の優雅さにはただただ、「フムフム」と頷かざるを得ない。

「林望 謹訳源氏 九」の刊行は2013年2月4日となっているので、しばらくは源氏物語と離れることになる。


紫の上が逝く 林望「謹訳 源氏物語 七」

2012-12-20 | 濫読

第七巻は「柏木」「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」「幻」の六帖である。

源氏の幼馴染で友人の柏木=前太政大臣の(亡妻 葵上の兄)の腹違いの息子、と源氏だいの正妻の地位にある女三宮との間に不義密通の若君が生まれ、源氏の懊悩が深まる。そのことに悩み抜いた柏木は、病にかかり、若くしてこの世を去る。女三宮は、出家する。

源氏の息子=左大将は、柏木がいつも持ち歩いていた横笛を一条御息所(柏木の妻=落葉の宮の母)から貰い受ける。これは、もとは陽成院もので、式部卿の宮が秘蔵していたが、柏木が子供の時から素晴らし音色で笛を吹いたので、贈り物として柏木に授けられた由緒のある横笛である。左大将は、その名笛で「盤渉調」(ばんしきちょう)の小手調べの小曲を吹く。

「横笛の調べはことにかはらぬを
             むなしくなりし音こそ尽きせね」

(この横笛の調べは、なにも昔と変わったこともございませんが、亡くなられたあの君の吹く音はもう聞くことができず、わが泣く音ばかりは尽きせぬことでございます。)

その後、左大将が夕霧と呼ばれて、落葉の宮に言い寄る。最後は妻として迎えるなど、色好みで若いころの源氏を彷彿させる。

最愛の紫上が、四年前、命にかかわる大患に苦しんだがその後小康をたもったものの、またも体調を崩し、懸命の加持祈祷が行われる。14歳のときに源氏に嫁いできた紫の上には子供がなかった。正妻としての扱いがされないものの、美貌、穏やかな人柄、知性と教養で抜きんでている。

逝くものと送るものの歌のやり取りが、悲しくも美しい。

源氏の歌
「ややもせば消えをあらそう露の世に
             後れ先立つほど経ずもがな」

(ややもすると、みな無常の世に、誰が先立かを争っている露のような世の中に、
そなたとはいずれが先か後かわからぬけれど、いずれ間をおかず一緒に消えてゆきたいものだね)

紫の上の最後の歌
「おくと見るほどぞはかなき
             ともすれば風に乱るる萩の上露」

秋の日の、ほのぼのと夜が明けてくる時、紫上の命は消え果てる。源氏はその後の一年は紫上のことばかり考えて暮らす。師走には、昔須磨にいたときに紫上から貰った手紙を全て焼き捨てさせ、出家の意思を固める。


「古楽とは何か」(ニコラウス・アーノンクール)

2012-12-13 | 濫読

 先日、バイエルン放送交響楽団が京都コンサートホールで、ヤンソンス指揮の「運命」を演奏した。私は「運命」が好きなので特になんとも思わなかったが、アーノンクールの問題意識はこういったことに疑問を呈することから始まる。今日の演奏会のプログラムにおいては、演奏曲目が限りなく少なくなってきている、はたしてこれでいいのだろうか、今日の音楽は力を失ってしまっている、人々の生活からかけ離れてしまっているのではないか、ということである。

「中世からフランス革命に至るまで、音楽は文化や人生の大黒柱の一つだった。音楽を理解することは一般教養に属していたのである。今日では音楽は、オペラや演奏会に行くことで虚しい夕べを飾り、…ラジオによって家庭での静寂の淋しさを追い払ったり活気づけたりするための、単なる装飾と化してしまっている。したがって今日われわれは、量的にはかつてよりはるかに多くの音楽を、それもまさにほとんど切れ目なしに所有していながら、音楽は人生にはほとんど何の意味ももたず、ちっぽけな装飾につぎないという、矛盾に満ちた状況が生じたのである。」

「音楽がもはや人生の中心に存在しなくなってから、すべてが変わった。装飾としての音楽は先ず第一にあらねばならない。…美しさというのは音楽の単なる一つの要素にすぎない、人々の暮らしには、醜い面や辛いところもあるが、それらから逃げようとうしているのが今日の音楽だ。

もう一度、モンティヴェルディやバッハ、モーツァルトの音楽をただ美しさを求めることから越えて、全体として理解することにより、それらの音楽がもつ力とメッセージに身をゆだねようではないか」と

以下、成程と思った文章を、書き記しておくことにする。

《音組織と音程法》

「我々は、音程法のシステムを全ての人の基準とすることはできない、…われわれにとって純正なものは他の人にとっては間違いであるということもあるのである。…われわれは聴覚を多くの場合ピアノの平均律に即して訓練してきた。この調律法においては、十二の半音はすべて、厳密に等しい間隔で調律されている。…そこでもし耳にこのシステムをもったまま、別のシステムに従って音程づけられた音楽を聴くならば、それは間違って演奏されたような印象を受けることになる。」

…ピアノでク訓練された「絶対音感」は演奏家にとっては、障害になるということか。

《古楽器は是か非か》

「ベーム式フルートの響きの理想から見れば、オットテールのフルートは、さまざまな音が均質に響かないから悪い楽器であるし、一鍵式フルートの側から見れば、ベーム式フルートは全ての音が画一的に響くから悪い楽器であるともいえるのである。

楽器を選択する際に決定的な意味を持つ問題は、客観的なクオリティである。現代楽器で演奏するべきか、古楽器で演奏するべきか、という問題のほかに、そもそも楽器とは何か、ということも問われなばならない。

一時的な古楽器ブームの結果として、数多くの多少とも美しく仕上げられた六穴ないし八穴の木管が、たとえその響きが常に適切でなくても、などともてはやされて使用するようなことがあってはならない。われわれは常に、聴覚や趣味を審判官として、最良のものにのみ満足をすべきなのである。」


「モーツァルトにはモンティヴェルディと同様の原理が見受けられる。モーツァルトにとって重要だったのは常にドラマであり、対話であり、個々の言葉であり、衝突とその解決であり、雰囲気全体を象徴するポエジーではなかった。

モーツァルト以降の世代になると、対話的・言語的な要素はだんだんと音楽から失われていった。その理由はフランス革命およびそれの文化面に引き起こした変化にある。…聴き手はそれ以降もはや対話の相手ではなくなり、響きから刺激を受け陶酔する享受者へと変えられたのだった。私が、考えるに、革命前の音楽をわれわれがまったく理解できない理由はそこにあるのだ。」

「音楽は対話」だとの観点から、アーノンクールは、極論して、今日のクラッシク音楽の「衰退」の原因をフランス革命に求めている。果たして今日の私たちは、彼が言う様に「革命前の音楽を全く理解できない」のであろうか。18,19世紀の音楽に慣れ親しんできた一人として、17、16世紀あるいはそれ以前の音楽とどのように向かいあって行くべきなのであろうか。

かつて受験勉強で齧ったフランス革命の歴史に改めて興味が湧いてきた。

今日もアダージョの森は静かな夕暮れを迎えた。


丸谷才一「女ざかり」を読む

2012-11-04 | 濫読

英文学の翻訳、幅広い文芸評論で知られた作家、評論家、英文学者で文化勲章受章者の丸谷才一さんが、10月13日亡くなった。87歳だった。

68年に「年の残り」で芥川賞を受賞したあと、72年の「たった一人の反乱」など10年おきに長編を書いてきたとのこと。今まで、気になりながらも、全く読んだことのない作家だったが、亡くなったなったということもあり、93年のベストセラーだった「女ざかり」を読んでみる。

念願の論説委員になった新日報社の南弓子は社会部出身の文章が書けない浦野を手助けする一方で、初めての社説を書いた。だがその社説は水子供養で儲けている、ある宗教団体を怒らせてしまい、そこから巨額の援助を受けていた政府与党の幹事長・榊原の圧力で、弓子は左遷を言い渡されることに。だが、彼女はきっぱり拒否。弓子を説得できないとなると、今度は、その新聞社の新社屋建設における国有地の払い下げに、待ったがかかる。彼女をなんとか助けようとの動きで話が展開するが、話がもつれそうなところで、意外なところから事態は解決した。全てが解決すると、弓子は、新聞社を辞めたくなってきて、年度末に退社することになる。結末は、(言わないが)、やや白けるかんじだが、、表題通り45歳の弓子は、今後も力強く生きていくだろうという感じだ。

ストーリーの展開の合間に色んな登場人物、新聞人、日本史の大学教授、官僚、哲学の教授、書家、政治家、女優などが、さまざまなウンチクを披露するのが面白い。
それ以外にも、「山鳥色の紬の一つ紋」「ひは茶の帯締め」の色、「絵志野の四方小鉢」「染付の猪口、久谷の猪口、黄瀬戸の猪口」などの色と形、あるいは「サニーレタス、アンディーブ、白ネギ、完熟の赤いトマトのサラダ」のアンディーブの味と料理レシピなどに興味がいったりして、読み終わるのに時間がかかったてしまった。

「丸谷さんが嫌ったのは、やたらに暗くて深刻ぶる態度、じめじめと湿った感情的な文章、偏狭なまじめさやえん世的な世界観だった。…逆に、知的な市民生活や明るい笑い、健全な楽しみや品のいい態度を好んだ。」(毎日JP)と言われるのが、少し分かったような気がする。


林望 謹訳「源氏物語」第6巻読了

2012-09-28 | 濫読

9月も終わろうとしているときに、台風17号と台風18号の二つの台風がやってきている。台風18号が東日本の東側をかすめて通過している。その影響か、今朝は昨日より4度高く、外気温は14度だった。

早朝は曇っていたが、9時頃になると、いい天気になってきた。しかし、風は強い。庭のホトトギスが満開になってきた。

林望謹訳「源氏物語」第6巻を読み終える。第6巻は、若菜の上下になっている。

若菜上は源氏39歳~41歳、40歳の祝いが盛大に行われる。霧壺の女御(明石の姫君、)が若君を出産する。(東宮の長男)

若菜下では、冷泉帝が即位後18年、26歳で突然、位を東宮に譲る。それにより、東宮が天皇となり、霧壺の女御の若君が東宮となった。紫の上が37歳の重き厄年をむかえると、突然胸の変調をきたす。重体となり、とうとう息を引き取るが、源氏は「もののけ」のしわざとして、霊力のある験者を呼び、必死の加持祈祷をすると、紫の上は息を吹き返した。しかし、病弱の身であることに変わりなく、紫の上は、出家の願望を源氏に頼み込む。源氏は、断りきれず、在家のまま入道させる。

一方、源氏の正室三宮に恋心を抱く衛門の督は、源氏が紫の上の病の看病につきっきりになっているすきを狙って、三宮に言い寄る。その後、三宮が懐妊すると、俄かに衛門の督が病臥に伏し、重篤となる。

源氏は、位は準天皇として人臣を極め、孫が東宮になるなど、これ以上もないほどの栄達を図る一方で、最愛の紫の上が病に倒れ、正室が道ならぬ懐妊をするなど、身辺に不幸が出来する。はてさて、今後はどんな展開になっていくのであろうか。

ガマズミが赤く実ってきた。