日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

逆説の日本史 1⃣ 封印された[倭]の謎 井沢元彦

2021-10-01 22:53:23 | 読書

 緊急事態宣言が解除されました。帰りに図書館へ寄ってみると、駐車場が「宣言に入る前日のように」ほぼ満車。図書館はずっと開いていたのですが…❓ 予約を入れていた3冊を受け取ってきました。残りは他図書館から取り寄せです。

 順序が逆ですが、先週、1⃣を見つけたので読んでみました。忘れていた箇所もあり、「たとえ」に笑いました。そうだったな~著者は名古屋出身だったな~ だから、中日ドラゴンズか~ 本題に入る前に、今の日本史研究における問題点に触れられています。

歴史に記録されぬ「当たり前のこと」

 「なぜ、ソフトバンクホークスのマスコットは、鷹(ホークス)なのか?」

と、問われたら、

 「うーーーん。そうだな~ 鷹は、鳥の仲間の内でも強そうだし。」

 「じゃぁさ、楽天イーグルスのマスコットは、どうしてイーグルスなんだろう?」

 「ホークスもいいな~と思うけど、すでにソフトバンクが…っていうより、ダイエーが採用していたから」

 「じゃあ、中日ドラゴンズは、どうしてドラゴンズなんだろ?」

 「そりゃぁ、ほんとは🐯虎とか🦁ライオンとか強そうな動物が良かったけど…阪神と西武に使われてるから」

 では、実際の「ドラゴンズ50年史」には、どう書かれているかというと、

「昭和22年、チームは中部日本新聞社社長の干支が「辰年」であるところから、それにちなんでニックネームがドラゴンズと決まった」

では、もし社長が私のように酉年だったら? まさか、中日ドラゴンズではなく、中日チキンになったんだろーか

Back To the Future  バック トウ ザ フューチャーっていう有名な映画の殺し文句;

「君はチキンか~?」 要するに弱虫、弱腰、意気地なしって意味だけど… いくら干支が酉🐔でも、中日チキンは いかんわ~

(注意:決して中日を馬鹿にしているのではありませんので)

まぁ、ようるすに、たまたま社長の干支がチキンや🐰ウサギじゃなくて(弱そう…)辰だったから採用になった! 当たり前じゃないから「記録」された。一方で、他のチームに対抗して何か動物を~と考えたという、当たり前の事柄までは記録されないって井沢さんの主張、当たり前すぎるだけに見落としてしまう重要ポイントだな~と改めて思いました。

 

 

 もう一つの重要ポイントは、怨霊、言霊、といった呪術的側面の無視。これはシリーズ全編を通して何度も触れられており、1⃣では、何故、出雲大社と宇佐神宮だけが、 二礼 四(死)拍手 一拝 なのか?

 以下は、単なる( ..)φメモメモです:

 「死拍手をもって拝礼されるのは、不幸な死を遂げたタタリ神。宇佐神宮に祀られているのは、比売大神。

井沢説は、古代初の皆既月食で卑弥呼は死を迫られた(殺された)→ 不幸な死を遂げた → 古事記に記された神話、「雲隠れの神が原因で、世の中が真っ暗になった(これは卑弥呼が死んだ年に起こった皆既月食ではないか?)」→ 卑弥呼はアマテラスではないか? 実在の人物 卑弥呼を神格化したのが天照大御神(アマテラスオオミカミ) もう一つ、天照大御神を祀った伊勢神宮は、いわば「仏壇」 天皇は大事なことを決める際、宇佐神宮へ遣いをやった → 宇佐神宮(九州)にこそ、天皇の祖先は居た(北九州市に卑弥呼の墓(壺に収められ、お腹に何本もの矢が刺さった女性)はある → すなわち卑弥呼=比売大神=天照大御神。

 宇佐神宮は天皇の祖先の墓(のようなもの)であり、伊勢神宮は天皇の仏壇のようなもの。

 ちょっとややこしい? 神格化された天照大御神を祀ったのが伊勢神宮であり、その、もともとの実体を祀ったのが宇佐神宮である。(309ページ11-12行抜粋)

 「宇佐(あるいは北九州)の地が天皇家の先祖の地であることを知っていた宇佐地方の神官たちが、「応神天皇の霊の出現」を言い立てて、朝廷に大きな社殿を作らせた」だから邪馬台国はやはり九州にあった、という井沢説。 面白い! これを読んで早速、宇佐神宮と出雲大社へ~ 甥っ子&両親と参拝したのは、甥っ子2歳の時だったから…17年前! 

 

ちなみに、自分で調べたこと:として、井沢さんも書いていたことをノートに自分も書いている!

「卑弥呼様は、神にお仕えする巫女だ。神のお告げを受けて、邪馬台国を収めて下さるのだから、宮殿の奥深くに閉じこもり、めったに人前にお出にならないそうだ」「弟様といわれるお方がお食事を運んだり、女王様の命令を伝えたりしている。」(小学校ノートより)

ちなみに、井沢さんは弟様というのは、実際には夫だった可能性もある、と書いている。お腹に矢が刺さった状態で亡くなったのも…意味深。

 

小学校ノートの「調べたこと」;聖徳太子が死んだ後、どうなったか? 

かつて自分が書いたこととはいえ、気になる記述を発見。

「聖徳太子の死によって、一時は新しい国作りもこれまでか…と思われた。しかし、それまでおとなしくしていた蘇我氏が勢力を盛り返し、思うままにふるまい始めた。このため、太子の志は、もはやこれまでかと思われた。 しかし!(…と、ここで小学生が強調!)

645年、そが氏は天皇中心の国を目指していた中大兄の皇子や中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らによって滅ぼされてしまった。

 

授業でも、「悲劇の聖徳太子」が強調されていた気が…

聖徳太子がやったこと

●十七条の憲法 ●法隆寺(ほうりゅうじ)●摂政の仕事(推古天皇のかわりに政治を行う)●遣隋使 小野妹子

日本全国で、豪族同士が争っていたが、仏教の教えを守り、天皇中心の国を作ろうとした。

蘇我氏と協力してやろうとしたが失敗。

「世間のことは、むなしい。仏だけが真実だ」といい、失望して死んでいった。享年49才。

小学生が見た日本史

以上、小学生ノートからの抜粋でした。

予約し遂に借りてきた5巻を明日から読みます。

 

 

Comments (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする