面白かったです👍
何処から書いたらよいものか…
まず、太平記。
後醍醐天皇が天皇中心の世を夢見て頑張ったがために招いた南北朝時代は、50年を超える長きに渡り、日本を戦乱の世とした。
それなのに、何故、この軍事記録は、「太平記」なのか!?
はい✋ 逆説の日本史をここまで読んできた人は、「怨念を鎮めるため。戦乱記、などというタイトルにすれば、それこそ世が乱れる! 後醍醐天皇が吉野の里で死ぬところで前半は終わり、どういうわけか22巻は紛失。 23巻からは、死んだ筈の後醍醐天皇を始め、楠木正成や足利尊氏が亡霊として再登場し、暴れまわる話、となるらしい。実際に読んだことがないので、「らしい」としか言えませんが。
どうか、祟り神とならないで下さいまし~ということですね。
現実には滅ぼされた源氏が、物語の中では光源氏として活躍する物語を紫式部に書かせ、支援した藤原氏の例がすでにあります。
ところで、22巻が紛失していることについて~
多くの研究者は、同じ作者により書かれたとみているが、実際には分業で書かれたのではないか? 22巻で物語は終わっていた(この巻が「まとめ」だった筈)が、前半の主題、「徳なき王は滅ぶ(朱子学)」なので、後醍醐天皇は滅びました! 徳のない君主に忠義を尽くすことが、本当の忠臣蔵だぁ~大石内蔵助や楠木正成のように。 ここで物語が終わってしまっては、神道の日本人としては困る! (朱子学は中国渡来のもので、日本オリジナル信仰ではない) 怨霊に暴れまくり、活躍してもらうことで鎮めなければ…! ということで追加で書かれたと見るのが自然というわけ。井沢説です。 貴方は、どう思われますか? (私は井沢説に賛成✋)
もう一つ、目から鱗だったこと。
金閣寺の足利義満は有名ですが、その足利義満の子で第六代将軍、足利義教のことは、殆ど知らずにいました。
中世の武装集団で力を持っていた比叡山の制圧は、比叡山延暦寺の焼き討ちをした織田信長の前に、足利義教が行っていた👀のですね! 彼こそパイオニアだったんだ~
驚いたことに、信長と足利義教は…もっと言えば、古代ローマ皇帝のカエサルも含め、(ここは井沢さんではなく、私が勝手に言ってます)この3人には共通点がいっぱい~あるのです。
信長は明智光秀に、足利義教は味方(だと思っていた)赤松一家の屋敷で暗殺された。カエサルも同じくブルータス等、味方と思っていた人物達によって暗殺された。
彼らが政治の困難に立ち向かう際、独裁的権力を行使した。聖徳太子以来、日本人に浸透している和を以て貴しとなす、「話し合い」によって決めようにも、武家が乱立していては、話はまとまらず、武力で決着をつけるしかない。 よって戦乱の世は続くばかり。十字軍時代の中東にしても、サラディンなど、抜きんでたトップがいて初めて平和な状態が維持出来ていた。 これは歴史が証明している。
私はかつて、織田信長には批判的だったんですね。だって、比叡山焼き討ち。女子供も… 大河で知るこれまでの信長といったら、暴君として描かれることが多かったし…。
しかし、国を一つにまとめようとすると、多少、強引でなければ成し遂げられない。(ジェノサイドのヒトラーのようなのは違いますから)
サラディン、カエサル、信長、その前に南北朝時代の後の乱れた世を統一する目的で足利義教が遂に成し遂げた「鎌倉府覆減」(南北朝時代、鎌倉と京都に2つの幕府がある状態からの脱却)、九州制覇、比叡山制圧。
世界史の流れを見たあと、再び日本史の流れを眺めてみると、以前は見えてこなかったことが見えてきた気がする~ 勿論、井沢さんの手を借りて✋
そして~偉業を成し遂げようとする者は、味方に殺される運命…だとしたら、あ! 米国のリンカーンもケネディもそうだったな。
目が疲れてきたので、(かすれて良く見えない…)この辺で失礼します。