昨年暮れ九州の実家に帰りましたら、無性に、かるがもの親子の絵を描きたくなりました。
いきなり唐突ですが、ささやかながらの訳はこうです。
母は10年ほど前に91歳で亡くなりましたが、生前、その母の見舞いにと、何枚かの絵を送りました。
その内の1枚にこの“かるがも親子”があり、母は自室に飾ってくれていました。
母亡きあともつい最近までは実家に飾ってあったようですが、昨暮に訪ねた時は外されていました。
代が変わり、それは仕方のないことです。
母は、早世した父亡きあと、30数年間を、文字通り1人で、われわれ6人の子供達を育ててくれました。
それは大変だったことと思います。
その当時送った絵の、子かるがもの数も6匹にしたことでした。
今回書いたこの絵では、お母さん鳥が悠々と水を切っているのに比べ、その子供たちは必死に水を掻いています。
しかし、今になって思えば全く逆で、母こそ必死に足掻きながら子供達を育て、
子供達はその分ゆったりと過ごさせてもらっていたのだと思われます。
かるがもの絵を描く時にはいつも、母の姿がダブります。
2011年にも、母を想い出して描いていました。(2011.6.9付拙ブログ)
季節外れではありましたが、そんな事情ですのでお許し頂きたく。
絵としては、小鴨の足掻きの波の表現(パシャパシャ感)に意を用いたことでした。
やや硬めの筆を、真上から突っつくようにしながらの作業でした。
いきなり唐突ですが、ささやかながらの訳はこうです。
母は10年ほど前に91歳で亡くなりましたが、生前、その母の見舞いにと、何枚かの絵を送りました。
その内の1枚にこの“かるがも親子”があり、母は自室に飾ってくれていました。
母亡きあともつい最近までは実家に飾ってあったようですが、昨暮に訪ねた時は外されていました。
代が変わり、それは仕方のないことです。
母は、早世した父亡きあと、30数年間を、文字通り1人で、われわれ6人の子供達を育ててくれました。
それは大変だったことと思います。
その当時送った絵の、子かるがもの数も6匹にしたことでした。
今回書いたこの絵では、お母さん鳥が悠々と水を切っているのに比べ、その子供たちは必死に水を掻いています。
しかし、今になって思えば全く逆で、母こそ必死に足掻きながら子供達を育て、
子供達はその分ゆったりと過ごさせてもらっていたのだと思われます。
かるがもの絵を描く時にはいつも、母の姿がダブります。
2011年にも、母を想い出して描いていました。(2011.6.9付拙ブログ)
季節外れではありましたが、そんな事情ですのでお許し頂きたく。
絵としては、小鴨の足掻きの波の表現(パシャパシャ感)に意を用いたことでした。
やや硬めの筆を、真上から突っつくようにしながらの作業でした。