今回は、故郷の実家にあった“石”の話です。もう、半世紀以上も前の、高校時代のこと。
高校の友人のお父さんが、佐賀の田舎の我が家にきて、親父に、庭先にあった石をもらえないか、との申し出。
大きさは30~40センチ程度。そのお父さんが何に使うかは聞いたかもしれないが、失念した。
黒っぽく、ごつごつして、何の紋様も筋も入っていないこの石、我が家では、駄石といったらその石に失礼だが、
ただそこに転がっているだけの、本当に普通の石にしか見えなかった。
実は、そのときの親父の言葉、それが、今回のタイトルです。
佐賀弁で「こぎゃな石でん、活かしてくんしゃんなら、どうぞ持っていってくんしゃい」
(「こんな石でも活かしていただけるんなら、どうぞ持っていって下さい」)
戦後ひき揚げてきて、とにかく働くだけで精一杯で、およそ、美術にも石(趣味としての)にも興味を示していなかった親父。
自分もまた関心すらなかったが、その親父から、こんな言葉を聞くとは思いもせず、耳にこびりついて残ったことだった。
他人さまからは、何だ、こんなことで、とお叱りを受けるかもしれないが、
私にとっては後年、この「石を活かす」という言葉から、いろいろなことを教わった気がする。
ものを見る目の大事さ、視点の多さ、
何もなさそうなものに、価値を、光を、命を、
人を見る目もまた然り。名伯楽、名監督、名教育者、
捨てる神あれば、拾う神あり、・・・一粒の麦若し死なずんば・・・などなど、これまた挙げればきりがない。
今、絵をかじっているが、目に入るものは何でも絵にならないかと目を凝らしたり、
描く際には、その対象の良いところを最大限に引き出すよう意を用いたり(ズバリ、この絵はそうではないが)とか、
何かこの言葉に通ずるものを感じる。
この石、その後どういう運命を辿っているのはわからない。今も、誰かの、何かの、お役にたっていてくれればと、ひそかに思う。
[09.5.19 追記]
つい先日、ある友から別便のメールがあり、この絵について
「じーっと見ていると、左方の口が開いてしゃべっているようです。その上に鼻と目が。」と。
私としては全く想像もしていなかった視点。親父の顔に似ているようでもあり、本当にありがたい価値を与えていただきました。
高校の友人のお父さんが、佐賀の田舎の我が家にきて、親父に、庭先にあった石をもらえないか、との申し出。
大きさは30~40センチ程度。そのお父さんが何に使うかは聞いたかもしれないが、失念した。
黒っぽく、ごつごつして、何の紋様も筋も入っていないこの石、我が家では、駄石といったらその石に失礼だが、
ただそこに転がっているだけの、本当に普通の石にしか見えなかった。
実は、そのときの親父の言葉、それが、今回のタイトルです。
佐賀弁で「こぎゃな石でん、活かしてくんしゃんなら、どうぞ持っていってくんしゃい」
(「こんな石でも活かしていただけるんなら、どうぞ持っていって下さい」)
戦後ひき揚げてきて、とにかく働くだけで精一杯で、およそ、美術にも石(趣味としての)にも興味を示していなかった親父。
自分もまた関心すらなかったが、その親父から、こんな言葉を聞くとは思いもせず、耳にこびりついて残ったことだった。
他人さまからは、何だ、こんなことで、とお叱りを受けるかもしれないが、
私にとっては後年、この「石を活かす」という言葉から、いろいろなことを教わった気がする。
ものを見る目の大事さ、視点の多さ、
何もなさそうなものに、価値を、光を、命を、
人を見る目もまた然り。名伯楽、名監督、名教育者、
捨てる神あれば、拾う神あり、・・・一粒の麦若し死なずんば・・・などなど、これまた挙げればきりがない。
今、絵をかじっているが、目に入るものは何でも絵にならないかと目を凝らしたり、
描く際には、その対象の良いところを最大限に引き出すよう意を用いたり(ズバリ、この絵はそうではないが)とか、
何かこの言葉に通ずるものを感じる。
この石、その後どういう運命を辿っているのはわからない。今も、誰かの、何かの、お役にたっていてくれればと、ひそかに思う。
[09.5.19 追記]
つい先日、ある友から別便のメールがあり、この絵について
「じーっと見ていると、左方の口が開いてしゃべっているようです。その上に鼻と目が。」と。
私としては全く想像もしていなかった視点。親父の顔に似ているようでもあり、本当にありがたい価値を与えていただきました。
文を読んで思わず 笑ってしまいした。今回は
絵よりも「文」が良いですね。 誰でもは「」絵は描けても文は掛けない。また方言もいいものですね。さて奥さんのご意見は? うちんにきでは「つけもん石しかならん」と・・・失礼。 いやー巧い文でした。 追伸:先般ある勉強会で報告書の「査読」を聞きました。「添削」と言えば良いものを 話を聞く若者には「渋谷語」 そして「モバイル」の時代ですが 将に齢70にして 今後は恥ずかしくて「文」がかけなくなる位 為になりました。 本人は役人あがりだったかも知れませんが 世代は変わってゆきますね。TTPほか また別便で。 タケシを笑いましょう。