山深み春とも知らぬ松の戸に 絶え絶えかかる雪の玉水(半切大)
式子内親王の御歌を書きました。
実はこの歌、高校時代の書道の授業で書き、何故か今に至るも覚えていた歌2首の内の1首です。
字体は当時と違うと思いますが、往時に立ち返り、60余年ぶりの挑戦です。
国語の授業で習った歌は全く覚えていないのに、書道の授業というところがミソであります。
(因みに覚えていたもう1首は、
高砂の松も昔になりぬべし なほ行く末は秋の夜の月(寂蓮法師) )
しかし何故この2首だけ覚えていたのか
高砂の松も昔になりぬべし なほ行く末は秋の夜の月(寂蓮法師) )
しかし何故この2首だけ覚えていたのか
・・・書道として素晴らしかったのか、歌として印象的だったのか・・・
この肝心なところは、正直分からない有様であります。
そのあと暫くは歌からも書からも遠ざかっていました。
ずうっと後になり、式子内親王のことや歌の背景などを知りました
平安末期、鎌倉時代に入る直前、正に戦乱の混沌とした時代の女流歌人で、
36歌仙にも選ばれているとのことです。
「式子」は、“しきし”“しょくし”と読むが、正しくは“のりこ”であろうといわれている、
とは小名木善行氏。
本歌の解説はネット上にも多くの方がされています。
大方は、出家され侘び住いを送られるなかでの、春の到来を喜んだ歌、と。
特に「雪の玉水」の、透明な“色”と滴り落ちる“音”に着目した解説が印象に残りました。
書道としての字は、生意気にも、今まで練習してきた中で直近になる「高野切第一種」と
これと同一の筆者とされる「大字和漢朗詠集切」から選字(集字)させていただきました。
そうです、先日テレビで、
愛子さまが学習院大学をご卒業との報道がなされていました。
そのご卒論は何と「式子内親王とその和歌の研究」であられたとのこと。
丁度、本歌アップの準備中のこととて、思わず“おおつ!”と叫んだことでした。
何やら嬉しくなったり、アップするのが気恥ずかしくなったり、であります。
敬宮愛子内親王を敬愛する国民の一人としてネットで調べ、御称号が与えられるのは天皇の子女又は皇太子の子女のみとのことも初めて知りました。
式子内親王がご称号を冠せられた方かは存じませんが愛子内親王が卒論で研究なさったということは素晴らしいことと思います。
それにしても、高校時代の書の授業内容を記憶されているのはすごいですね。
高校生の書道の時に習われた歌を覚えておられるとのこと、ビックリです。
書道を通して心の芯にしっかり届いたのでしょうね。
自分の好きな事に関しては理屈を超えていると思います。
そういうのがあって今でも続けておられるのは素晴らしい事だと思います。