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玉響(たまゆら)の露も泪もとどまらず 亡き人恋ふる宿の秋風 定家
季節外れの作品ですみません。
何故この作品か、せめてその訳でも。
それは単純に「たまゆら」由来であります。
まず本歌の意味からまいりましょう。
weblio(学研全訳古語辞典)によりますと、
何とあの、小倉百人一首を撰じるなど平安時代の代表的歌人・藤原定家の歌で、
古今和歌集に収められているとのことです。
歌意は、玉のような草木の露も私の涙も、ほんのしばらくの間もとどまらないでこぼれ落ちる。
亡き人を恋い慕う、この家に吹く秋風のために、とあります。
その解説には、作者・定家の母が亡くなった年の秋に、生前住んでいいた家を訪ねて詠んだ歌であると。
「秋風」は、亡き母を悼む悲しみに重なり、ものさびしい風の音が深い悲しみを表す。
「たまゆらの」は、「ほんのしばらくの間」と「玉のような」の意をかけている。
「玉」は「露」「涙」の縁語になる、とも。
私が“たまゆら”という言葉を知ったのは30年ほど前になりましょうか、
「たまゆら」という“こけし”(内閣総理大臣賞受賞とか)を手にした時からでした。
その時に“玉響”と漢字を当てることやその意味も知りましたが、
日本語は何と素晴らしいのだろうと思ったことでした。
「たまゆら」とひらがなの文字が入った作品を書道で書いたのは、
佐藤春夫の詩「海辺の恋」(2018.10.1付 拙ブログ「こぼれ松葉をかきあつめ・・・」)が初めてでした。
そして今回何気なくこけしを眺めていたら、急に書道として書きたくなり、
“たまゆら”が入った和歌を探していたら、この歌が見つかり、
それを漢字で書いてみた、という次第であります。
この「玉響」、書道としては結構難しく、特に「響」の字はあのウィスキーの「響」のラベルの印象が強く残っていました。
ただ和歌の中での“響”ですので、“響かせすぎないように、しかし少しは響かせたい!”なんてことの試行錯誤で、
今回この字だけで100回以上は練習したことでした。
半切大の作はほぼ1年ぶり。
久しぶりに、かって書道仲間の友の奥様先生から教えてもらった、
A4コピー用紙縦1/3に、鉛筆でどういう作品にするかを思案して構想する・・・所謂デザイン・・・を楽しみました。
でも、いざ書き始めるとついつい力が入り、また書道の原則を忘れたところ多々でありますが、お許しあれ。
言われてみて「響」をよく見ましたが、そんなに強くもなく、弱くもなく仰る通りに書かれていると思います。
玉響を「たまゆら」と読むのも、その意味も私にとっては初めて(2018年に使われたとのことですが)接する感じです。藤原定家の歌も素晴らしいし、それをこの様な見事な書にするのも素晴らしいと感心するのみです。日本文化の素晴らしさを有難うございます。
作品解説を読み更に興味が湧きWikipediaで検索したら、(玉響)は、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと、 転じて「ほんのしばらくの間」の意とありました。
美しい日本語、しかも長い時間、日本人の心に染みてきた言葉「たまゆら」を冠した名人作のこけしを愛でながら藤原定家の歌を書にする・・・、、まさに日本人に生まれて良かった。
を、感じさせてくれた作者の作品だと思いました。