もう少し本阿弥切古今集を続けさせていただきます。
てもふれて月日へ尓介るしら万ゆ見 お幾ふしよるはものをこ所於も遍
てもふれで月日へにけるしらまゆみ おきふしよるはものをこそおもへ
手も触れで月日経にける白真弓 起き伏し夜はものをこそ想へ
本阿弥切古今集から 紀貫之
原本(縦16.7cm 2行書き)を半切(同135cm)に拡大・臨書
書道での見せ場は右下の“介るしら万ゆ”のところでしょう。
原本を初めて見た時もこんな表現の仕方があるんだ、と驚きました。
でも、最初は何の意味か分かりませんでした。
“ける”はいいとして、“しらまゆ”は、本当に恥ずかしながら、白い繭かなんかを連想したことでした。
“しらまゆみ”で一つの単語で、“み”(見)が次の行に飛んでいたという次第です。
その白真弓、檀(まゆみ)という木(それも白木のまま)で作られた弓のことをいうようです。
その材質が強くよくしなるので、古来からその材となっているとのことです。
この歌での白真弓は、長い間想い続け悩むものの、その想い届かぬ女性の姿とする説もあり、
であるならば尚更、この部分の肉厚な表現から、思わずルノアールの絵とダブったことでした。
また臨書しながら分かったことですが、
右下部分の縦長の小さい太い字に対し、左下数文字は横広の大きな細い字で呼応させているようです。
最後の“ものをこそおもへ”は
古今和歌集の原本(仮名序など)では“いこそ寝られぬ”となっており、
最初の“い”は寝(い)ぬで、結局、眠ることができない、の意になるとのことです。
この場合、寝ぬ、射るが“い”で呼応し、
夜は(男女が)寄ると“よる”で呼応し、
起き、伏しは共に“弓道上の用語”でもあるようです。
いやはや、であります。