藤原行成の「書状」(私的な手紙)を臨書させていただきました。(半切1/3大)
「和様の書」(2013年特別展に伴い発行 東京国立博物館など編集)からです。
他人様の手紙を臨書したくなるなど初めてのことであります。
現存する行成の手紙としては唯一のものとのことです。
・・謹言自去春来偏思赴
鎮而公私有難抛之事等蹔
逗留之間俄奉勅命献五
節舞姫相次期明春進發
之處忽蒙朝恩不慮昇進
雖疎遠之輩一接言談庶
為礼為義来賀有数況親
昵之人無不会合共其忻悦
随亦相待光臨有日然而
無音空送旬月不知芳情
有其由緒心竊氣色近曾
依諸寺別當事預參・・
ウェブサイト「no+e」(秋野みや)様が、
大変分かりやすい読み下し文をアップされていました。
誠に勝手ながら、主にそれをお借りさせていただきます。
謹んで言す、去春よりこのかた、
偏(ひとえ)に鎮(鎮西:大宰府)に赴かんと思ふに、
公私、抛(なげう)ち難きの事有り。
暫く逗留の間、俄かに勅命を奉じ、五節(ごせち)の舞姫を献ず。
相次いで明春の進発を期するの処、忽ち朝恩を蒙り、
不慮(思いがけず)も昇進す。
疎遠の輩(ともがら)と雖も一たび言に接し〇(庶?)を談ずれば、
礼を為し義を為し、来賀数有り。
況や親昵の人、会合して其の忻悦(きんえつ)を共にせざるは無し。
随ひて亦、光臨を相ひ待つこと日有り。
然り而して無音、空しく旬月を送り、芳情の香を知らず。
・・・後略・・・(拝借引用終わり)
和様の書によりますと、
藤原行成が鎮西の「大宰権帥」を拝命した(寛仁3(1019)年12月)あと、
あれやこれやで任地へ赴任しないでいるうちに、
(筆者註 こんなことが許されていた?)
今度は「権大納言」を拝命し(寛仁4年11月)、
その直後のことを記しているとのことです。
本書状の後半部分は欠失しているため、宛名や日付は未詳とか。
“権(ごん)”が付いているとはいえ大臣に次ぐ要職の大納言、
加えて書家としても超有名になっていた行成です。
詩集や和歌などの書と違い、彼の私的な手紙、どこかに隙がありゃせんか?
とちょっぴり興味をもちました。
ところがどっこい、一見し、いやいや仔細にみても、隙など自分に見つかるはずもありません。
臨書した自分の書は不十分ですが、和様の書にある本物の書は、
心にくいばかりの濃淡、太細、大小、潤掠、疎密の配置、
ところどころでキラリと光る、優雅で均整のとれた字、
濃淡、疎密などを考慮しながら書かれた楷書、行書、草書の組み合わせ、
この1枚の中でさえ、複数回出てくる同じ字(有・不・之など)は違う字体で、
・・・さすが当代一の能書家、
私的な手紙といえども見事なもので、
自分には一枚の芸術品に見えたことでした。
それにつけても行成、この私的な手紙を書くとき、
書家としてそれなりに構えて書いたとは思いますが、
まさかこの手紙が、1000年を経て国の重要文化財に指定され、
国民一般の鑑賞対象になっている
・・・ましてや臨書するものまで・・・
ことなど、思ってもいなかったことでしょう。
ブログを読み、少し聞きかじりで藤原行成を調べてみたらとても興味深い人となりでした。
改めて歴史を感じる作品に敬意を表したいです。
コメントに
「濃淡、太細、大小、潤掠、疎密の配置、ところどころでキラリと光る、優雅で均整のとれた字、濃淡、疎密などを考慮しながら書かれた楷書、行書、草書の組み合わせ」
とあり、更にビックリです。
私などは、バランス、濃淡、太細位しか感じていませんでしたが、成程と感心するばかりです。
何れにしましても、お見事です。