クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

紅葉名所・徳明園訪問 H-24-11-22

2012-11-23 10:04:48 | 伝説・史跡探訪
高崎の紅葉名所の一つ石原町の徳明園を訪ねた。ここは故・山田徳蔵氏が1827年に
着工し(1919年説も)1964年に完成した洞窟観音に併設されている庭園で園内には
山徳記念館もある。

市内から和田橋を渡り護国神社脇から左折して通称・羽衣線に入り道なり。
高崎観音表参道と大駐車場の間を抜けて台地を下りこの道標で右折すれば
直ぐに専用駐車場。





入り口近くで早くも紅葉の気配。



駐車場はほぼ満杯、老人介護施設からの中型バスも数台が到着で関係者が車椅子を
準備中。ここが洞窟観音の入り口で



隣の窓口で三箇所共通の入園料800円也を支払う。



洞窟観音と「漫画のふるさと」と言われる山徳記念館へは既に訪問しているので
今日は徳明園のみ。これをご参考に。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/b3266995b0b56f1c76f7e8b13051361a

駐車場の周辺も可なりの景観。







右手のこの道標から庭園に向かう。



途中の紅葉、月末からのライトアップに備えての照明機器は既に設置済み。





左手の山手は現在最盛期。







やがて池の周辺。















その外側にも大きく広がる。





記念館の東側も。



十分堪能した散策を終わって駐車場にもどり、折角だから途中の清水寺に立ち寄り。
羽衣線途中から細道を使うと石段上の清水寺観音堂近くの駐車場に出られる。
途中で市役所もはっきり見える市内を一望できる展望場所もある。



遊歩道を進むと最近は見ることも少なくなったカラスウリ。



この近辺は常緑樹が主体なのでこんな黄葉が見られるだけ。



僅かの距離で観音堂。実は参詣客多数の時期はやり難い絵馬額などを写すのが目的。
この清水寺は808年に坂上田村麻呂が蝦夷征伐に向かう途中で、兵士達の健勝と
武運長久を祈願して京都東山の清水寺から勧請して開基したと伝わる。



先ず、観音堂内の「狩野常信(1636-1713)」の「龍頭二観音現出ノ図」と
「能楽吉野詣ノ図」の2面の絵馬(高崎市指定重要文化財)。
常信は尚信の弟子で徳川幕府の御用絵師、光圀のお気に入りだったとか。
この絵が其れに該当するのかは?





堂の周囲には16面の絵馬額がある。作者は高崎に縁の深い歌川芳輝(1808-1891)、
号は一椿斎。芳輝は日本橋・高砂町の米山家の次男で高崎の旅籠や・田中家の
養子になって本名は田中芳三郎、歌川国芳の門人になり絵師。墓所は九蔵町・
大恵寺。
大方は痛みが激しく絵馬の姿は分からないが数枚は辛うじて見られる。













一寸一回りの散策終了。

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