ハイカーにとっては、どうにもならない長梅雨で爺イも家のなかで
腐りきっている。こんな時は読書でもしている以外にやることがないのだ。
司馬遼太郎の「功名が辻」を読み返して大河ドラマの脚色が余りにも原作
を無視しているのに憤慨。
口直しに深沢七郎の「笛吹川」を読んだら今まで気付かなかった作者の
大きな遊びを確信した。この小説は1958年の発表であり爺イの持って
いる文庫本も黄色く変色している程であるが同氏の「楢山節考」と同じく
凄まじい描写の連続である。
かって昭和35年の芸術祭参加作品として木下恵介監督が映画化もしている。
笛吹川の川筋にある農民一家が六代に亘って武田氏の盛衰に巻き込まれ、
歴代の一族の殆ど全てが武田の為に犬ころの様に殺されていく。
その過程で架空のこの農民一家の無鉄砲な男の子を何気なく「土屋姓」に
結び付けてしまう。
巻頭の信虎時代の描写で早くも土屋姓をチラチラさせて後の展開への伏線
としている。そして思わず唸ってしまうのは、勝頼最後の田野の場面で
この農民一家の暴れ坊主が何時の間にか「土屋惣蔵(惣三昌恒)」になつた
かの様に伝説で名高い「土屋惣蔵片手切り」を演じてしまうからである。
途中から出てくる暴れ者の名前が「惣蔵」であってもこんな結びつけは
想像も出来ない絶妙の流しこみ。
擬せられた「土屋惣蔵」とは勿論実在の人物で、かの「武田二十四将」にも
選ばれている「土屋昌次」の実弟である。実在のこの兄弟は当然の事に農民では
なく、武田家累代の家臣・金丸虎義の次男と五男で信玄の時代に養子に
なり土屋姓となっている。兄の「昌次」は三方ヶ原の戦いで徳川の鳥居信元
を一騎打ちで討ち取って勇名を馳せ、長篠の戦(設楽ヶ原の戦)では
第三の馬防柵まで到達したが銃撃で戦死。現在、現地には伝説によって
碑が建てられ「設楽ヶ原古戦場いろはかるた」にも「昌次、柵にとりつき
大音声」として伝えられている剛の者。
伝説として伝えられる弟の惣蔵の活躍と言えば、これが「小説・笛吹川」の
「農民・土屋惣蔵」の活躍そのまま。
小説からそのままを引用すると「その頃、惣蔵は天目山の入り口の崖角に
隠れて、通る敵を片手で切り倒していた。左手で藤蔓を掴んで身を支え
ながらーーー」で勝頼に殉ずる。そしてこの農民一家の六代に亘る殆ど
全ての者は武田の盛衰に取り込まれ何れも惨死の憂目を見る。
今、現地には記念碑がある。
NHK大河ドラマで使われた新田次郎の「武田信玄」は信玄の歿で終わっている
からこの兄弟の記述は少ないが津本陽の「武田信玄」は勝頼時代に相当な
ページを割いているので土屋の名が頻発しているから読み比べも一興。
写真は文庫本表紙を除いては「武田家の史跡探訪」より。
こんな話は山には関係無いが、何しろ伝説好きなもので!
腐りきっている。こんな時は読書でもしている以外にやることがないのだ。
司馬遼太郎の「功名が辻」を読み返して大河ドラマの脚色が余りにも原作
を無視しているのに憤慨。
口直しに深沢七郎の「笛吹川」を読んだら今まで気付かなかった作者の
大きな遊びを確信した。この小説は1958年の発表であり爺イの持って
いる文庫本も黄色く変色している程であるが同氏の「楢山節考」と同じく
凄まじい描写の連続である。
かって昭和35年の芸術祭参加作品として木下恵介監督が映画化もしている。
笛吹川の川筋にある農民一家が六代に亘って武田氏の盛衰に巻き込まれ、
歴代の一族の殆ど全てが武田の為に犬ころの様に殺されていく。
その過程で架空のこの農民一家の無鉄砲な男の子を何気なく「土屋姓」に
結び付けてしまう。
巻頭の信虎時代の描写で早くも土屋姓をチラチラさせて後の展開への伏線
としている。そして思わず唸ってしまうのは、勝頼最後の田野の場面で
この農民一家の暴れ坊主が何時の間にか「土屋惣蔵(惣三昌恒)」になつた
かの様に伝説で名高い「土屋惣蔵片手切り」を演じてしまうからである。
途中から出てくる暴れ者の名前が「惣蔵」であってもこんな結びつけは
想像も出来ない絶妙の流しこみ。
擬せられた「土屋惣蔵」とは勿論実在の人物で、かの「武田二十四将」にも
選ばれている「土屋昌次」の実弟である。実在のこの兄弟は当然の事に農民では
なく、武田家累代の家臣・金丸虎義の次男と五男で信玄の時代に養子に
なり土屋姓となっている。兄の「昌次」は三方ヶ原の戦いで徳川の鳥居信元
を一騎打ちで討ち取って勇名を馳せ、長篠の戦(設楽ヶ原の戦)では
第三の馬防柵まで到達したが銃撃で戦死。現在、現地には伝説によって
碑が建てられ「設楽ヶ原古戦場いろはかるた」にも「昌次、柵にとりつき
大音声」として伝えられている剛の者。
伝説として伝えられる弟の惣蔵の活躍と言えば、これが「小説・笛吹川」の
「農民・土屋惣蔵」の活躍そのまま。
小説からそのままを引用すると「その頃、惣蔵は天目山の入り口の崖角に
隠れて、通る敵を片手で切り倒していた。左手で藤蔓を掴んで身を支え
ながらーーー」で勝頼に殉ずる。そしてこの農民一家の六代に亘る殆ど
全ての者は武田の盛衰に取り込まれ何れも惨死の憂目を見る。
今、現地には記念碑がある。
NHK大河ドラマで使われた新田次郎の「武田信玄」は信玄の歿で終わっている
からこの兄弟の記述は少ないが津本陽の「武田信玄」は勝頼時代に相当な
ページを割いているので土屋の名が頻発しているから読み比べも一興。
写真は文庫本表紙を除いては「武田家の史跡探訪」より。
こんな話は山には関係無いが、何しろ伝説好きなもので!
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