太湖を辞して今度は岩井堂。目的は或る古い石像を確認することである。
先日、金井竹徳著・「石の心 上州の石仏」の写真をパラパラとめくって
いたら「奪衣婆」の二枚の写真があった。これらは爺イが全く関心の無
かった範疇。それも岩井堂と下室田の「長年寺」とあつたのでメガネ探し
の帰途に尋ねる事にしていたからである。
下の少し怖い写真がそれ(14.01)。岩井堂左手から裏に回ると薄暗い
中に数体の仏像と共にある。思ったより小型で全長50㌢ぐらい、余程目を
凝らさないと判別は出来ない。
「奪衣婆」とは所謂、世間で言う鬼婆の類ではあるが、誰でも何れはお世話
になる由緒ある鬼婆であるそうな。
この鬼婆殿、三途の川のほとりの衣領樹(えりょうじゅ)の蔭に住み、渡し
賃(六文銭)を持たないでやって来てしまった亡者の衣服を剥がし、樹上で
待っている懸衣翁(けんえおう)に渡し、懸衣翁はそれを枝に掛けて撓り
具合で罪の重さを問うとされる。
有名な「奪衣婆」の像は一番上の写真のような物であるので、岩井堂の方は
丸出しで少々お行儀が悪過ぎる。
それが鬼婆たる所以かもしれないが、「奪衣婆」は「脱衣婆」とも言われる
ので本来は「衣」を「奪」う「婆」の筈なのに、「衣」を「脱」ぐ「婆」と
勘違いして伝承されたかな?まさか!
いずれにしても、出所は中国で成立した「十王教」であると難しいことを
言われるが、仏教が日本で民間に浸透して行く過程で古来の民間信仰と習合
してしまい、道祖神の姥神として祠つられたり、閻魔堂の中で閻魔様の脇に
置かれているらしい。西毛ではこの岩井堂の他には下室田の「長年寺」に
あると聞いたので帰りに少し足を伸ばして(移動に1時間)確認してきた。
ここのは、かなり磨耗はしているせいか余り怖い顔でもない(15.03)。
長年寺はゴルフの行きかえりに何時も前を通っているが訪問は始めて。
入り口は狭いが中は堂々たる構えの大きな寺。号は「室田山」
問題の石像は本堂の左に多数の苔生した石像の間に並んでいた。
爺イが彼らのお世話になるのは、そんなに先のことでもないので、序での
事に巷間伝わる冥土へのプロセスを確認したら中々厄介な手順が組まれている
ので下記ご参考までに。(大笑い)
先ず、死後七日の「初七日」には不動明王による下調べ。終わって三途の
川に来ると上記の奪衣婆と懸衣翁によって生前の罪の軽重が計られ、十四日目
に釈迦如来の裁判を経ると川の渡り方が決まる。
川上の水の少ない「山水瀬」を渡るのは罪の軽い亡者、悪人と判定された
亡者は川下の「強深瀬」を渡らされるが流れ早く、波高く川底には大蛇か
待ち構え、浮き上がれば鬼王夜叉に射られると言う苦難の通路。善人が渡る
のは中流にある金銀七宝の橋とか。爺イは当然の事でこの橋だろう。
四九日までの間に七回の裁判があるが35日に閻魔大王による「六道」分類
の裁判を経て49日に判決が確定し亡者は六つの世界の何れかを進むことに
なる。「六道」とは地獄・餓鬼(餓えと渇きの苦の世界)・畜生(弱肉強食
の苦の世界)・阿修羅(闘争の世界)・人道(現世)・天道(天人の住む
天上世界)のことだとさ。
此れだけではなく百日・一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・三十三回忌と
再審査制度が完備。
以上の全ては他人の受け売り、爺イが知っていたわけではない。
さて、皆さんはどうなるのでしょうか?閻魔様に聞いてみよう。
先日、金井竹徳著・「石の心 上州の石仏」の写真をパラパラとめくって
いたら「奪衣婆」の二枚の写真があった。これらは爺イが全く関心の無
かった範疇。それも岩井堂と下室田の「長年寺」とあつたのでメガネ探し
の帰途に尋ねる事にしていたからである。
下の少し怖い写真がそれ(14.01)。岩井堂左手から裏に回ると薄暗い
中に数体の仏像と共にある。思ったより小型で全長50㌢ぐらい、余程目を
凝らさないと判別は出来ない。
「奪衣婆」とは所謂、世間で言う鬼婆の類ではあるが、誰でも何れはお世話
になる由緒ある鬼婆であるそうな。
この鬼婆殿、三途の川のほとりの衣領樹(えりょうじゅ)の蔭に住み、渡し
賃(六文銭)を持たないでやって来てしまった亡者の衣服を剥がし、樹上で
待っている懸衣翁(けんえおう)に渡し、懸衣翁はそれを枝に掛けて撓り
具合で罪の重さを問うとされる。
有名な「奪衣婆」の像は一番上の写真のような物であるので、岩井堂の方は
丸出しで少々お行儀が悪過ぎる。
それが鬼婆たる所以かもしれないが、「奪衣婆」は「脱衣婆」とも言われる
ので本来は「衣」を「奪」う「婆」の筈なのに、「衣」を「脱」ぐ「婆」と
勘違いして伝承されたかな?まさか!
いずれにしても、出所は中国で成立した「十王教」であると難しいことを
言われるが、仏教が日本で民間に浸透して行く過程で古来の民間信仰と習合
してしまい、道祖神の姥神として祠つられたり、閻魔堂の中で閻魔様の脇に
置かれているらしい。西毛ではこの岩井堂の他には下室田の「長年寺」に
あると聞いたので帰りに少し足を伸ばして(移動に1時間)確認してきた。
ここのは、かなり磨耗はしているせいか余り怖い顔でもない(15.03)。
長年寺はゴルフの行きかえりに何時も前を通っているが訪問は始めて。
入り口は狭いが中は堂々たる構えの大きな寺。号は「室田山」
問題の石像は本堂の左に多数の苔生した石像の間に並んでいた。
爺イが彼らのお世話になるのは、そんなに先のことでもないので、序での
事に巷間伝わる冥土へのプロセスを確認したら中々厄介な手順が組まれている
ので下記ご参考までに。(大笑い)
先ず、死後七日の「初七日」には不動明王による下調べ。終わって三途の
川に来ると上記の奪衣婆と懸衣翁によって生前の罪の軽重が計られ、十四日目
に釈迦如来の裁判を経ると川の渡り方が決まる。
川上の水の少ない「山水瀬」を渡るのは罪の軽い亡者、悪人と判定された
亡者は川下の「強深瀬」を渡らされるが流れ早く、波高く川底には大蛇か
待ち構え、浮き上がれば鬼王夜叉に射られると言う苦難の通路。善人が渡る
のは中流にある金銀七宝の橋とか。爺イは当然の事でこの橋だろう。
四九日までの間に七回の裁判があるが35日に閻魔大王による「六道」分類
の裁判を経て49日に判決が確定し亡者は六つの世界の何れかを進むことに
なる。「六道」とは地獄・餓鬼(餓えと渇きの苦の世界)・畜生(弱肉強食
の苦の世界)・阿修羅(闘争の世界)・人道(現世)・天道(天人の住む
天上世界)のことだとさ。
此れだけではなく百日・一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・三十三回忌と
再審査制度が完備。
以上の全ては他人の受け売り、爺イが知っていたわけではない。
さて、皆さんはどうなるのでしょうか?閻魔様に聞いてみよう。
再び雨で無聊を囲っていますが
その内、スッキリ登山の報告を
したいものです。