クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

榛名神社から天目山周回(改) H-25- 4-17

2013-04-18 16:51:37 | 榛名湖周辺
もう、お祭りの追っかけも一段落なので久しぶりに榛名周辺のハイキング。
今度で三回目になる榛名神社発で天神峠ー氷室山ー天目山ー湯ノ沢峠(仮称)ー
沢下りー榛名神社の時計回りのコース。前回の時に使った概念図。



R-29、R-211、R-33と乗り継いで榛名神社前。例によって参拝者用無料駐車場(9.22)。

二の鳥居から随神門を眺める。この門は明治以前は仏寺の守護神として,
運慶作と云われる仁王を安置していた仁王門だったが神仏分離令に発した
廃仏毀釈運動に巻き込まれて神道の随神門に変わった歴史がある。
この明治の廃仏毀釈が無ければ現在の国宝といわれるものは優に3倍はあった
だろうとも云われているが実際には政府は神仏分離令などを下したのみであり、
国ぐるみで廃仏毀釈が行われていたわけではない。仏門に積年の恨みを持つ
過激な運動家の扇動によって民衆が暴走したものである。尤も寺院の腐敗も
酷かったらしいが。



随神門の中の向かって左が「右大臣」、



右が「左大臣」。勿論左大臣が上座であり、公家の筆頭で現代でいえば総理大臣格。
その補佐が右大臣。



門を潜ると直ぐに赤い欄干の「禊橋」、その下を流れるのは当然の事に禊川。



右に鞍掛岩の表示、



指示してある山腹を眺めると岩で出来た橋のようなもの。これは洞穴状だったものが
奥の岩が落ちて橋のように残ったらしい。



鞍掛岩の昔の姿。「くらかけ」とは「いわくら」が欠け落ちたことから由来する
名称ではないかとの説がある。



やがて参道から分かれて遊歩道に下っていく。



小野関三太夫氏が大正13年の大干ばつの時に彫った「降雨竜祈願彫刻」があるが
元々の彫が薄いため今では全く見極めは不能。せめて朱入れをして欲しい物だ。



右手の対岸の崖上から細い滝、多分これが瓶子(ミスズ)の滝だろう。この滝は
人工的に作られた滝という噂があるが滝の両側の岩が神酒を入れる器(瓶子:みすず)に
見えることから名づけられたと云われる。
そう云えば平家物語の鹿ケ谷陰謀のとき、藤原成親が「平氏(瓶子)たはれ候ぬ」と
言ったがその瓶子である。



榛名山番所跡を通過。信州に向かう大戸通りの裏往還通行の取締りで
1631-1869間の稼動。



その先に大きな堰堤が見えて、右手に九折岩(ツヅラ岩)が屹立している。この岩は
鉾岩・ヌボコ岩・ローソク岩とも言われるらしいがどれが正式の名か?
この堰堤は国登録有形文化財の砂防堰堤との表示がある。
1955年建設の高さ17m、練石積の堰堤で県内には5基。



左から堰堤を乗り越すと河原が現れる。帰途にはこの沢を下って帰ってくる予定。



九折岩を目の前に見る。上空が曇りで明るいと写真が何時もこんな具合。
何かカメラ操作上で方法があるんだろうか?



僅かの距離で新しい道標。ここから山の中の峠道に入る(9.49)。



入り口からは高度を上げるために急登の木枠段。



上がり切ると静かな林間の道が山裾を伸びていく。



時々はこんな崩れたところもあるが通行にはまったく支障なし。



落ち着いた林間の道には休憩用のベンチもある。



やがて分岐の道標、直進は0.2KでR-33に出られるが峠道は右へ切り返すように
大きく下って隣の尾根に向かう。



尾根沿いの道で蛙がお出迎え。日向で体温を上げているのか? 近づいても
びくとも動かない大物ぶり。



登路が突然荒れてきた。水路なのか、遊歩道なのか判らない小石ごろごろの道。



右手の沢には新品のように白く輝く堰堤が連なってきた。



時々は木枠段で危険箇所を避けるがここのは親切にも鎖つき。



目の前に豪快な堰堤が現れる。



その先からの峠道が消えていて無粋なダンプ用の作業道となる。



一寸、右に外れたところに常滑の滝の道標、但しその位置には堰堤が見えるのでパス。



ダンプ道から離れて再び山の中へ。



木組みの防災壁の下を通過。遠くに県道のガードレールが見えるが峠は未だずっと先。



こんな木橋を渡って東の稜線に移る。



榛名特有の笹の道が現れて何となくホッとする。



目印の「丁目石」、彫ってあるのは「二十二丁」だが、かつて資料館で聞いたら
あれは製薬会社が設置したもので側面には「あせしらず」との宣伝文句が
彫られているとか。



前方に到着かと思わせる稜線が現れるがこれは回り込み稜線で峠は未だ先。



こんな小さな木橋で沢を渡る。



初めて見る遊歩道の道標、但し距離などは書いていない。



又、沢のどん詰まりを人工の飛び石で渡る(10.53)。



再度のダンプ道、下地が柔らかくズルズルなので至極歩きにくい。



峠への最後の登りは手すり付き。どうも今日は体調が良くないので大助かり。



広場の隅に道しるべ。「右いかほ 左あがつま 善光寺道」とある。
現在は県道などの関係で観光用に何処を峠としているかは知らないが
ここが正真正銘の峠だろう。



ハイキング案内図前で休憩。体調を考えてバスで戻ろうか? そのまま行くか
考えたが人の気配も無いのでゆっくり行けば大丈夫と判断。但し長い休憩。



大きい深呼吸を繰り返して呼吸を整えてから氷室山に向かう。距離0.3k、標高差は
100m強と推定されるが360段といわれる木段登りは年寄りには大分辛い。



大岩の所を通過。突然、下が騒がしくなった。高校生の大集団が来たのだ。
狭い木段で一々先を譲るのに辟易する。集団は相当バラけていて数人づつが
連続するので何時も人気の無いルートばかり歩いている爺イは完全にペースが
狂ってしまった。



石の階段は手すり付きで助かる。



途中でしゃがみこんで集団の通過を見送る。付き添いの先生に聞いたら地元のH高校
新入生の親睦を兼ねた戸外活動とか。あとからあとから際限なく湧いて来る感じ。
頂上直下で完全に混雑に巻き込まれてこっちも無理するので益々体調は悪くなる。



何とか、氷室山にたどり着く。今までここの標識は木の支柱にマジックペンで書かれただけで
何時も擦れていたが今はN.G氏の名刺版が取り付けられている。



生徒たちはこの狭い頂上で着替えをしたり水を飲んだりして大混雑なので碌に
休憩することも出来ずに0.8K先の天目山目指して急降開始。
直ぐに登りが始まるがどうも酸素の取入れが弱いらしく足が動かずのろのろと。



天目が見えた。遠いし予期したより大きな山に見えて途端に休憩。



曲がり角に宮標石。



ここから笹の道にかかる。実際は殆ど傾斜は無いのだがまるで急登を行くスピード。



関東ふれあいの道の道標。休止していたら最後尾の数人と先生が通過。
結局、一年生全員に追い越されたのだ。尤も孫より遥かに若い連中だから
こんなものかな。



漸く、天目山にたどり着く。既に生徒たちは出発したあとで誰も居ない(12.50)。
東に相馬山が薄ぼんやりと見えた。



北には榛名富士と烏帽子ケ岳が枯れ枝の間から。



位置を変えると相馬と二つ岳がセットで。雄岳のアンテナもはっきり見える。



この東南の山は方向からすると三つ峰方面かもしれない。



古い頂上標識が道標のトップに健在。



もう一つの標識の上に氷室と同じくN.G氏の標識。



かってはこんな標識もあり爺イのお気に入りだった。



台地の真ん中にある三角点を思わせる石柱は二つ目の宮標石。



地籍図根三角点もある。中はこんなもので地籍三角の文字が。





昼食・休憩の後、この白リボンの位置から峠を目指して南に向かう。
峠までの直線距離400m、標高差は200mだから傾斜は半端ではない(13.30)。



地籍調査の赤黒杭を確認しながら踏み跡皆無の笹原を行くが、笹が南に順目なので
その上を踏みつけていくので滑ること。



赤テープや古くて白に脱色したビ二ール紐もある。



広い斜面を正面のこの山を目標に下ればよい。この山は1271m峰で俗称は旗矢ケ岳。



踏ん張りが利かずに何回も転倒しながら下って行き、漸く左に笹の無いスペースに
逃げ込む(13.53)。



この直ぐ下にかって爺イがつけた天目山南登山口のマーク健在。



こんな偽峠を過ぎて



一山越すと



漸く湯ノ沢(仮称)峠に着いて又もや大休止。手前からはR-126から来る峠道が明確(14.10)。



南には1271m峰への稜線が延びている。



振り返って降りてきた天目山を眺めると優しい山容だ。



H-18の頃はこの峠にもこんな標識が転がっており何回も修復したが
今はどちらも土に返ったらしい。





左手のこんな崩落跡を見ながら右手から西への下り開始(14.24)。



この沢下りには地形図上では破線が書かれているが今はその道形は殆ど残っていない。
だが、出だしだけは何となく道があるような気がする。



この沢にはずっと下流までこの植物が生えていた。何かは知らないが。



道が無くなってからも赤黒杭を追っていく。



もう、途中からは適当に沢の中、右岸、左岸を行ったりきたり。



こんな所にも赤黒杭。



たまには細枝に赤リボン。



目印の大岩通過。



今度の巨岩には赤リボンが突き刺してある。



そしてこの岩の左に赤丸印。これは誰かの案内紀行でこれを見たら右岸に移れと
してあったものでかつては左岸からでも見えたのだが今は薄れて近寄らないと
判らない。



かっての画像



途中に実に綺麗な滑川床。



やがて広い河原に差し掛かる。



前面に古い堰堤が現れるが右を抜けるために案内の赤テープをつけてある。



乗り越してからは直ぐに左岸に移る。見上げるとこれもかなりの高さだ。



もう、大分終着点に近づいて安心。



そして往路の遊歩道入り口到着で何とも草臥れた本日の爺イ(15.41)。



堰堤を乗り越え、



もう榛名神社に寄る元気も無く参道を下って駐車場に
帰着が16.06。

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2 コメント

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自分が登っているような・・・ (egiko-ike)
2013-04-19 18:08:02
体調がよろしいようで、毎週何がしかの山に分け入りますね。 小気味いい短文と写真でまるで自分が登っているような気分です。
榛名山も奥深いものがありますね。 K
返信する
re.榛名周辺 (爺イ)
2013-04-19 19:22:44
egiko-ikeさん
気候も大分良くなってきたので山麓をうろついています。
山ツツジやヤシオの時期までは榛名周辺の
余り知られていないコースを歩くことにしようと思っています。
今年の巨人は出足が良いので釣られている感じ。
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